青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

上市夕景

2018年10月05日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(平野のスイッチバック駅@上市駅)

秋の陽射しがゆっくりと西に傾く上市の駅前。富山から敷設された富山鐡道と、滑川から敷設された立山鉄道の結節点として作られた上市駅は、山でもないのにスイッチバックの駅。当初は富山鐡道が富山から上市の東にある名刹・大岩日石寺までの延伸を見越していたせいで、現在のように西側から路線を集約する形の駅になったと聞きます。当初目的の頓挫や廃止によって配線構造だけがスイッチバックとして残った事例としては、一畑薬師への参詣路線として作られた一畑電鉄の一畑口駅なんかと同じ。


茜雲…と言うにはやや夕日の照りが弱いような。そんな空模様の下を、富山発の上市ローカルの折り返し電車がゆっくりとポイントを渡って進入して来ました。上市町は富山平野の中心部に位置する人口2万人程度の町、地鉄に乗れば富山の中心部まで25分程度と十分に通勤圏にあります。もとよりスイッチバックの駅ですから運行上の境界点ともなっていて、ここから先の滑川方面はガクッと運行本数が減少してしまいます。


地元の高校の生徒さんたちが、折り返しの電鉄富山行きの改札を待っている。「えこまいか」も導入されているし、別に列車別改札という訳でもなさそうですが…そもそも寒い国の人って電車は待合室で待つもの、という習慣が染みついているのだろうか。頭端式ホームから柔らかい光の差し込む夕映えの待合室。学生時代の帰り道のふとした風景と言う感じで、何とも郷愁を誘います。こんな光景に「雪ちゃんの日本海みそ」の広告がホント富山っぽくていいよねえ。ほのぼのとしたCMでお馴染みの「日本海みそ」の本社があるのがこの上市町。駅から歩いて2~3分の位置に工場があります。

日本海味噌 春夏秋冬フルバージョン

日本海味噌と言えば何と言ってもこのCM、関東でも流れてたから結構知ってる人も多いと思う。割と夕方のアニメの再放送で流れているイメージで、個人的にもローカルな雰囲気といい凄く印象に残っているCMだったけど、春夏秋冬全バージョンあるのは知らなかったなあ。

♪ゆきがしんしん(7) ふるあさは(5) つるぎたてやま(7) くろべはさむく(7)
♪ゆきちゃんのたよりは(7) こうじみそ(5)
♪こころほのぼの(7) おみそしる(5)
♪こいしいな(5) かあさんのあじ(7)
♪あーあえっちゅう(7) にほんかいみそ(7)

完璧な5音7音の七五調でまとまった歌詞に、これまたキャッチーなナニワのモーツァルトことキダ・タロー大先生の優しいメロディ。聞いたら一発で頭に残る耳残りの良さといい、やはり先生は天才である。割とコード進行が「と~れとれ ぴ~ちぴち カニ料理~」っぽいけど、キャッチーなメロってのはそういうもんなんだろう。キダ・タロー先生に隠れてしまっている感もあるけれど、作詞の石井学さんと言う方の書き付けた郷土の光景が浮かび上がるような歌詞も珠玉。秋の風景を「もみじちかちか燃える夜は」と表現するソングライティングは洒脱であると言えましょう。
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釜ヶ淵爽秋

2018年10月04日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(トップライトを浴びて…@越中荏原~越中三郷間)

昼を過ぎ、夏を思わせるような強い日差しが戻って来ました。常願寺川の鉄橋を渡って来た特急うなづき3号。アルプスエキスプレスの3連で運行されます。以前は特急立山と並ぶ地鉄の花型特急だった特急うなづきですが、北陸新幹線の開業によって黒部宇奈月温泉からのアクセスルートが出来た事もあり、以前に比べるとだいぶ減便されています。


沢中山で見送った14720系。残念ながら車内はガラガラですが、寺田から電鉄富山の間は本数も多いので休日の日中だとこんなもんなんですかね。常願寺川の土手に上がっていく緩やかな登りの築堤でロケーションは申し分ないのだけど、架線柱が密に建ち過ぎていて案外と撮り辛い。冬になるとこの常願寺川周辺はバックに立山連峰を望むスーパーフォトジェニックな撮影地になるそうですが、さすがに山方面はなかなか雲が取れず…。



淡く揺れるコスモスの中を、電鉄富山行きの14760系。午後の陽射しの下、杖を支えに買い物袋を提げたおばあちゃんが電車を待っていた釜ヶ淵の駅。五百石まで夕飯の買い出しだろうか。人がフレームに入る事の温かみというものを感じながら、そっと一枚。



今年の9月は、最初っから秋雨前線にグズグズとまとわりつかれ、最後は物凄い台風が仕上げにやってくるなど呪われたかのように雨に祟られた月でした。元々、今回の富山旅も正直あんまり天気予報良くなかったんだけど、ここまで天気が持ち直してくれるとは思わなかった。沢中山の駅から、散居村の風景の中を爽やかな秋の風に吹かれて降りて来る雷鳥カラーにシャッターを切りながら、束の間の青空の立山路を満喫したのでありました。
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富山未来予想図

2018年10月03日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(すっかりお天気@富山駅前)

五百石の駅で思わぬ寄り道をしている間に、あっという間に天気が回復した越中路。昼飯を食いがてら稲荷町の駅から市内電車・バスのフリーきっぷ(600円)を買って富山駅前まで出てみました。すっかり富山の中心街の顔となったセントラムが、富山駅前電停を出て行きます。富山市の「路面電車南北接続事業」により、平成31年度には高架の駅の下を通って市内線の線路が北側の富山ライトレールと接続される見通しです。


駅前通りから、頻繁に富山駅前電停へ出入りをする市内線の電車。南富山方面・大学前方面ともに駅前電停に立ち寄るルートへ変更されているので、ものの15分も見ていれば市内線を走る車両の大半は見れてしまうのではないだろうか。それにしても朝方の雨が埃を洗い流したのか、秋の富山の素晴らしい青空である。電鉄富山駅の入る富山エスタをバックに出て行く8000形の南富山駅前行き。


周りを歩く観光客も、駅前を行き交う市内電車にカメラを向けている。プレスドアもレトロな7000形が交差点に出て来た。後方に見える富山地鉄ホテルに宿泊し、電鉄富山駅に出入りする電車を眺めながら2Fのラウンジで朝食バイキングをゆっくり食べるのが至高の富山の朝だと思うのだがいかに。


富山駅前を行く環状線用のセントラムこと9000形。富山ライトレールと接続された暁には、岩瀬浜から富山駅を通って環状線を一周し、再び岩瀬浜方面へ戻って行く運用になるそうで。そうなると地鉄車とライトレール車の共通運用になるのかな。ライトレールのTLR0600型(ポートラム)とセントラムは共通設計になっているのと、ライトレールの運転士の殆どが地鉄の軌道線経験者の出向で賄われているという現状からも、特段乗り入れの障害はなさそうですね。


ちょっと気の利いた海鮮モノでも食ってやろうかな。なーんて考えていたのだが、なんのこたーない路面電車を見てたら時間無くなっちゃって、昼飯はいつもの立山そばをズズーッと啜ってまた稲荷町へトンボ返りしてしまった。さっき沢中山で見送ったDDEは午後のTY運用に備えて稲荷町でお休み中。隣にいる10020系は…今日は動かないのかなあ。休日だしね。休日はいつもこの定位置にいて静かにしているのが10020の印象。前回平日(夏休みだったのでね)の富山で動く10020を見たときは感動したもんですが。
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五百石立志伝

2018年10月02日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(立山あーとれいん@榎町駅)

榎町駅に進入する「立山あーとれいん」のHMを付けた14760系の第4編成。車内では沿線の住民が描いた絵や写真が飾られています。私の愛してやまない14760系は2両ユニットで都合7編成が活躍していて、気になるカラーリングは1~3編成が原色の雷鳥(ダイコン)カラー、4~5編成がカボチャ、6~7編成が再び雷鳥(大根)カラーに塗装されてます。そう考えると14760系の原色って結構貴重なんだね。


田添駅へ入線したアルプスエキスプレスこと元西武5000系レッドアロー。こちらでは16010系を名乗ります。2編成があって、土日はサハを入れて特急運用に就いたりしますが、サハ抜きの2連で普通運用に回っていたりと使われ方はフレキシブル。この運用は朝に宇奈月温泉からアルペン4号で立山へ向かった後、電鉄富山まで戻る際の間合いの普通運用。無理して特急料金を払わなくとも、観光列車の使用車両に乗れるのが地鉄の良いところ。


朝に岩峅寺で見かけた14760系の第6編成が、電鉄富山から戻って来ました。どうやら引き続きパン側の幕は故障中。14760系は落成時はスカートを付けていましたが、今は取り外されていて台車から突き出たスノープロウが足回りを引き締めています。ゴテゴテしてメカニカルな引き通し管、連結器の両サイドを挟む2つのタイフォン。赤の細いラインは眉毛のようにキリリとして、広いブラックフェイスの二枚窓の上には菱形の大きなパンタグラフ。それを左右だけでなく上下にも少しだけ角度を付けたフロントマスクの造形がまとめていて、総合的なデザインの完成度が実に高いんだよなあ(溺愛)。


地鉄電車の撮影の際に重宝する、全線時刻表を貰いに五百石の駅へ。朝に岩峅寺へ寄って貰おうと思ってたのが貰いそびれてしまったので。五百石の駅は立山町の中心部にあり、町の公共施設である「元気交流ステーション・みらいぶ」の中に組み込まれていて、外からの見た目で言えば多分地鉄の駅では富山駅に続いて二番目にゴージャス(笑)。「みらいぶ」の中には立山町立図書館が併設されていて、ちょっと覗いてみたんだけど郷土の資料を集めたコーナーには富山地鉄を始め立山製紙や不二越など地元企業の社史のアーカイブスとなっていて非常に興味深いです。


手に取った「富山地方鉄道50年の歩み」。富山地方鉄道の創始者である佐伯宗義はここ立山町出身の郷土の名士。代々が雄山神社の神官を務める芦峅寺の家に生まれ、冬は深い雪に閉ざされる寒村から上京した立志の人。東京で知己を得て富山に戻り、日本興業銀行の資金をバックに富山電気鐡道を設立。「高志の大観」という理念を掲げて、小資本がバラバラと割拠していた富山県内の交通統合を図りました。宗義は、富山県内で事業を拡大する中で、高橋是清の愛弟子として日銀総裁を務め興銀に天下りして来た結城豊太郎(商工中金初代理事長)など金融界の大物とも繋がり、鉄道会社のトップを務めながら衆議院議員に立候補。電鉄系の地盤をバックに、最終的には国会議員を8期も務めました。観光事業の創設にも熱心で、「立山黒部『貫光』株式会社」を設立し、立山黒部アルペンルートの整備にも尽力しました。「観光」ではなくて「貫光」としたのは、「北アルプスの大自然を『貫』き、地方振興の『光』たらしめる」という佐伯の思いが込められているからなのだそうで。


そう言えば、取り壊された電鉄魚津のステーションデパートにはもうとっくになくなってしまった日本興業銀行の看板が残っていた事を思い出す。今思えば地鉄のメインバンクだったんだね。「ワリコー」とか、いわゆる割引金融債という商品自体、バブル崩壊の嵐に飲まれる前の、経済の右肩上がりを誰も疑ってなかった頃の古風な財テク商品という感じですなあ。興銀、長銀、日債銀の三長銀(長期信用銀行)が売り出していたワリコー、ワリチョー、ワリシン。農林中金が売り出していたワリノー、リツノーとかもあったねえ…「にっ・さい・ぎん・の ワリシン!」ってCM、昭和生まれの人間だったら記憶にめっちゃ残ってませんか?(笑)。草笛光子若え!

という訳で、鉄道の話をしつつ昔の金融商品について語ってしまうブログがこちらです(笑)。
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沢中山望洋

2018年10月01日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(空は俄かに…?@沢中山~釜ヶ淵間)

天気的にはさっぱりワヤだった立山方面から戻り、立山アルペン村のセブンイレブンで缶コーヒーなんぞ飲みながら小休止。お次は寺田方面に…なんて思いつつクルマを走らせていたら、富山平野は雲の切れ間から青空が。立山方面の惨状から諦めてたんだけど、これはひょっとしてお天気回復モードか。思ってもみなかった展開に、ウキウキで沢中山駅近くの跨線橋へ向かうのであります。



左に収穫間近の黄金色の田んぼ、そして右側はこれまた葉を黄色く染めて収穫間近の枝豆畑。富山平野らしい散居村の風景を軽く俯瞰するこの沢中山の跨線橋からは、遠く遥かに富山湾の海が見える。朝の土砂降りからうって変わって日差しはみるみる明るく、露出も上がればテンションも上がるってもんよ。光の加減を見ながら待っていた特急立山号…はまた京阪カボチャ。どうも朝から立山線系統はカボチャばかり。胸焼けするので14760系はよ。



流石に即座にドッピーカンの晴天という訳にもいかず、空はまだまだ雲量多め。特急立山の続行でやって来たのは…おや、14760系ではなく1編成しか残っていないレアな古豪14720系。富山地鉄の鉄道線車両では最古参の昭和37年製造。長電の2000系とか福鉄の200型とか、あの辺りの車両と同世代。さっきのカボチャは日が差したけど、今度はマダラ雲にやられてしまいました。


先程立山で見送ったダブルデッカーエキスプレスが、普通列車運用で常願寺川の扇状地に続く坂道を緩やかに降りて来ます。このDDEに使われている10033編成は平成24年に京阪時代の塗装で復活していますが、その際はまだ2連だったし、そもそもスカートも付けてなかったりでだいぶ印象は違ってたんだけどね。


これが2連時代の10033編成(平成24年頃)。この翌年、譲渡元である京阪から2階建て車両(サハ8831)の追加譲渡を受け、DDEとして再デビューすることになります。やはりスカートを履かせたほうが100倍カッコイイと思うのだが。雪が降る地方だからスカートが付けにくいというのは分かるんですけどね。


京男、越中富山之晴姿。大見得を切りながら富山平野を走り行く京阪の3000系。前後のモハは昭和46年製造と車齢はそこそこですが、ダブルデッカーのサハだけは1995年に更新されているので、地鉄に大量に導入された京阪3000の残党の中で状態の良さそうなのを上手く使いながら組み替えて行けば結構長いこと走れるのではないだろうか(笑)。その都度カボチャを京阪色に塗り替えなきゃいけないのが面倒そうですけどね。この車両にゆかりの深い関西の鉄道ファンにとって、昭和の関西私鉄を代表する名車が第2の人生を謳歌する姿はたまらないものがあるのではないでしょうか。
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