青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

蓮極楽浄土

2018年11月15日 17時00分00秒 | 飯山線

(緩やかに続くホーム@蓮駅)

136Dは戸狩もスルーし、飯山駅で135Dとの交換を兼ねてようやく15分停を持ちます。戸狩から先は飯山の市街地に入ってしまうので追っ掛けが効き辛いのですが、停車時間を使って蓮の駅へ先回り。この蓮の駅も、飯山線に出張って来るとかなりの確率で立ち寄ってしまう駅の一つ。緩やかにカーブするホームに、伸びやかなレールが続いている。替佐から長野盆地と飯山盆地を隔てる隘路を走って来た線路が、みゆき野の空の広がりにほっと一息つくような、そんな駅。


「蓮」と書いて「はちす」と読ませる、若干宗教的雰囲気のあるこの駅。駅の東側にある集落の大字から付けられた駅名だそうですが、その由来はやはり仏教の極楽浄土を想起するものであるらしい。仏様の乗っている台座が蓮の葉であるように、仏教と蓮には切っても切れない関係があります。そんな駅名とリンクするように駅の向かいには「永國(ようこく)寺」というお寺さんがあって、駅の横から小さな参道が続いています。


短いながらも丁寧に敷かれた石畳の参道から飯山線の線路を見る。蓮の駅と永國寺は集落の高台にあって、千曲川沿いの集落と耕地を見下ろしています。この時期は参道の両脇に植えられたモミジが赤く染まり、風趣のある秋の雰囲気が一杯。


千曲川の川風が吹き抜ける蓮の駅。ホームに落ちた枯葉がカサカサとアスファルトの上を転がって行きます。澄み渡った乾いた風に吹かれながら列車の到着を待っていると、ついウトウトとしてしまって危うく涅槃に連れて行かれそうになる。やがて軽やかなエンジン音を響かせて136Dが蓮の駅に到着すると、いつの間にか列車を待っていた一人の学生さんが乗り込んで行きました。


永國寺の参道から、列車の去った蓮駅のホームを望む。「天国にいちばん近い島」と歌ったのは原田知世だったが、さしづめここ蓮の駅は「極楽にいちばん近い駅」と言ったところか。日蓮聖人は、「蓮は佳きもの、泥より出でたり」として、泥の中から綺麗な花を咲かせる蓮に煩悩の渦巻く俗世に咲く極楽浄土を見たといいます。泥から出て綺麗な花を咲かせる蓮には、俗世に染まらない「浄土」の力があると言う事ですね。これを仏教の言葉では「淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)」と言うそうですが。

煩悩にまみれた浄土信州飯山色原理主義一派の鉄道マニアが言ったところで何をかいわんや、ってトコでしょうけど、仏教の考え方と言うものに触れておくのも、たまには悪いことでもないのかなと(笑)。
コメント
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