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桜井・相撲神社(産経新聞「なら再発見」第8回)

2012年11月24日 | なら再発見(産経新聞)
《土俵に見立てられた神聖な空間=桜井市の相撲神社》

毎週土曜日に好評連載中の「なら再発見」、今日の見出しは《桜井・相撲神社 古代の力士 勝負は命がけ》である。有名な野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の死闘が描かれている。筆者は、桜井市出身・在住の露木基勝さんである。

 相撲は、古代には命がけの格闘技だったようだ。日本書紀によると、今から約2千年前の垂仁天皇の時代に、国内で初めて天皇の前で相撲が行われたとされる。
 当麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢が「自分より強いものがいるならぜひ戦ってみたい」と豪語していた。それを耳にした天皇が対抗できる力自慢を探させ、呼び寄せたのが出雲の野見宿禰(のみのすくね)だ。 
 結果は、野見宿禰が当麻蹶速のあばら骨を蹴り折り、その腰を踏み砕いて勝利を手にいれた。
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 取組みが行われた場所が、桜井市穴師にある大兵主(だいひょうず)神社境内の野見宿禰をまつる相撲神社。小さい祠(ほこら)があり、境内の4本の木に囲まれた空間を土俵に見立てている。
 昭和37年には、当時の日本相撲協会の理事長や幕内力士がこの地を訪れ、顕彰大祭が行われた。大鵬(たいほう)と柏戸(かしわど)の両横綱による土俵入りも奉納された。
 伝説の舞台に立ってみると、どんな死闘が繰り広げられたのだろうかと想像膨らんでくる。
 野見宿禰に関して、日本書紀には、出雲国より即日に招集したという記述がある。「島根(出雲)から奈良まで即日に招集できたのか?」と思われるかもしれないが、実は山陰の出雲ではなく、桜井の出雲から呼び寄せたという説がある。
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 桜井市出雲は三輪山の東側に位置する。大兵主神社は三輪山の西側で、峠を越えれば約5キロの距離。それなら「強い人がいる」という噂も当然伝わり、即日招集できたのも納得できる。
 その出雲には、野見宿禰に関する伝承が多い。村社である十二柱(じゅうにはしら)神社もそのひとつだ。
 境内には、鎌倉時代の巨大な五輪塔がある。これは、ここから南約300メートルの場所にあったという野見宿禰塚から移された、とされている。
 五輪塔は鎌倉時代初期に、野見宿禰の冥福を祈るために建てられたと伝えられている。



狛犬を支える力士像

 鳥居脇の狛犬(こまいぬ)は必見で、締めた8体の力士が狛犬を支えている。野見宿禰は当時、習慣化されていた殉死のかわりに、埴輪を陵墓に並べることを提案し、埴輪作りの祖とも言われている。
 力士像を眺めていると、どこか埴輪に通じる素朴さを感じる。いずれの力士も異なる相撲の型をとっていて、筋肉の盛り上がりなども写実的。力強い表現は見ていて飽きることがない。
 百聞は一見にしかず。ぜひ立ち寄り、実物をご覧いただきたい。
(奈良まほろばソムリエ友の会 露木基勝)


今日はページ繰りの関係か、モノクロで、露木さんが撮られた狛犬を支える力士の写真もカットされているので、ここで紹介させていただく。相撲神社は大兵主神社への参道脇の小さな森のようなところにあり、知らずに通り過ぎる人が多いのは残念である。敗者の当麻蹶速については、地元の当麻に「葛城市相撲館 けはや座」がオープンされているので、こちらも必見である。

コメント (2)
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