今朝(2/9)も「なら再発見」(産経新聞奈良版および三重版)が掲載された。「よくネタが続きますねぇ」と感心されるが、何しろ書き手が14人もいるので、続々と話題が出て来るのだ。この連載の前、ライターのもりきあやさんは「今日も奈良は おさんぽ日和」を毎週水曜日に連載されていた。こちらはお1人で執筆されていたので、私は「毎回、よくネタが続くなぁ」と感心していた。
奈良まほろばソムリエの14人は、年齢も住所地も得意分野もさまざまなので、いろんなネタが湧き出てくる。早くも長期連載の様相を呈してきた。産経新聞さん、これからもどうぞよろしく。
さて今回の見出しは《沈下橋 河合、斑鳩両町結ぶ生活道》。執筆されたのは安堵町の西川誠さんである。西川さんの「サプライズ」ネタには、いつも驚かされている。沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう)は、川面すれすれのところに架かり、増水すれば沈むという潜水橋である。何とも不思議な橋があるものだ。どんなメリットがあるのだろう、早速全文を紹介したい。
大和川と佐味田(さみだ)川の合流点から少し下流に、河合町大和田と斑鳩町目安を結ぶ大城(だいじょう)橋という、今では珍しくなった沈下(ちんか)橋がある。潜水橋(せんすいきょう)のことで増水すれば沈んでしまう。
「なぜそんな橋を」と疑問に思うかもしれないが利点はある。
川に架かる橋の多くは堤防と堤防に架かるが、沈下橋は河川敷と河川敷に架かる。そのため、全長は短く橋脚も低くなり、工事が簡単だ。増水時に沈めば水の抵抗も少なく、水面を流れる漂流物も避けられる。
一般の橋の場合、河川の洪水があるとその度に橋が流されたり、破損したりする。かつて重機がなく、人力による工事が大変な時代には、被害を最小限にする知恵を生かした画期的な橋だった。

河合、斑鳩両町を結ぶ沈下橋の「大城橋」
難点は、大雨が降ると渡れないので、結局遠くの橋へ迂回しなければならない。水の抵抗を低くするために欄干がないので、転落の危険度も高い。橋の北側の堤防に小さな慰霊碑があり、不幸な事故を物語っていた。
愛用のバイクで橋を渡ってみた。幅が狭く水面も近い。堤防からは静かに見える流れも、速く感じる。緊張したが、意外に利用者は多く、10分程度の間に数台の自転車やバイクが渡っていった。
慣れているのか、スイスイと走ってゆく。自転車に乗った学生グループが、会話をしながら横並びで渡っている。見ているこちらが怖い。
時代の流れに勝てず、子供の頃には珍しくなかった沈下橋も、この辺りではこの橋以外、目にすることもなくなった。

富本憲吉作の「大和川急雨」
しかし、過去に他にも沈下橋が架かっていた姿を伝える絵がある。
少し上流の安堵町の出身で人間国宝の陶芸家、富本憲吉(とみもとけんきち)の代表作品に「大和川急雨」という名作がある。
ある日、富本が釣りをしようと大和川に出かけた際、急に雨が降り出した。その情景があまりにも美しく描きとめたいが、目的が釣りなのでスケッチする道具ない。そこでタバコの内紙にマッチの消し炭で書いたのが「大和川急雨」だ。
そこには、大正時代の大和川に架かる沈下橋と、降りすさぶ雨が描かれている。富本はこの絵がお気に入りで、何度も作品に使っている。
「最後の清流四万十川の沈下橋めぐり」。こんなツアーの広告を見かけた。
四万十川は日本を代表する清流で、こちらは残念ながら水質改善が話題になる大和川。
川と沈下橋に変わりはない。水の流れにも時代の流れにも耐えて頑張っている姿を見るのは良いものだ。(奈良まほろばソムリエ友の会 西川誠)
記事にあるように、四万十川にはたくさんの沈下橋が架かっている。四万十市のHPによると《四万十川の沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。緑の山々に青い四万十、そして沈下橋という風景は、もっとも四万十川らしい風景でしょう。河口からいちばん近い沈下橋は、佐田(今成)沈下橋で、橋を渡るときの気分はそう快です。他に、四万十市内だけでも、深木、高瀬、勝間、口屋内、岩間、長生、中半家、半家の沈下橋があり、いずれも四万十川らしい、川と人との関わりの感じられる風景が見られます》。
私が訪ねた橋に、木製の「上津屋橋(こうづやばし)」(京都府久御山町~八幡市)がある。「木津川流れ橋」とも呼ばれる。増水すると橋脚を残し、橋桁だけが流される構造になっている。よく時代劇のロケ地にもなっている。
奈良県下には谷瀬の吊り橋、上市の吉野川鉄橋、信貴山の開運橋など、珍しい橋が多い。これらを訪ねてみるのも面白いだろう。西川さん、興味深いお話を有難うございました。私も大城橋(だいじょうばし)を訪ねてみます!
奈良まほろばソムリエの14人は、年齢も住所地も得意分野もさまざまなので、いろんなネタが湧き出てくる。早くも長期連載の様相を呈してきた。産経新聞さん、これからもどうぞよろしく。
さて今回の見出しは《沈下橋 河合、斑鳩両町結ぶ生活道》。執筆されたのは安堵町の西川誠さんである。西川さんの「サプライズ」ネタには、いつも驚かされている。沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう)は、川面すれすれのところに架かり、増水すれば沈むという潜水橋である。何とも不思議な橋があるものだ。どんなメリットがあるのだろう、早速全文を紹介したい。
大和川と佐味田(さみだ)川の合流点から少し下流に、河合町大和田と斑鳩町目安を結ぶ大城(だいじょう)橋という、今では珍しくなった沈下(ちんか)橋がある。潜水橋(せんすいきょう)のことで増水すれば沈んでしまう。
「なぜそんな橋を」と疑問に思うかもしれないが利点はある。
川に架かる橋の多くは堤防と堤防に架かるが、沈下橋は河川敷と河川敷に架かる。そのため、全長は短く橋脚も低くなり、工事が簡単だ。増水時に沈めば水の抵抗も少なく、水面を流れる漂流物も避けられる。
一般の橋の場合、河川の洪水があるとその度に橋が流されたり、破損したりする。かつて重機がなく、人力による工事が大変な時代には、被害を最小限にする知恵を生かした画期的な橋だった。

河合、斑鳩両町を結ぶ沈下橋の「大城橋」
難点は、大雨が降ると渡れないので、結局遠くの橋へ迂回しなければならない。水の抵抗を低くするために欄干がないので、転落の危険度も高い。橋の北側の堤防に小さな慰霊碑があり、不幸な事故を物語っていた。
愛用のバイクで橋を渡ってみた。幅が狭く水面も近い。堤防からは静かに見える流れも、速く感じる。緊張したが、意外に利用者は多く、10分程度の間に数台の自転車やバイクが渡っていった。
慣れているのか、スイスイと走ってゆく。自転車に乗った学生グループが、会話をしながら横並びで渡っている。見ているこちらが怖い。
時代の流れに勝てず、子供の頃には珍しくなかった沈下橋も、この辺りではこの橋以外、目にすることもなくなった。

富本憲吉作の「大和川急雨」
しかし、過去に他にも沈下橋が架かっていた姿を伝える絵がある。
少し上流の安堵町の出身で人間国宝の陶芸家、富本憲吉(とみもとけんきち)の代表作品に「大和川急雨」という名作がある。
ある日、富本が釣りをしようと大和川に出かけた際、急に雨が降り出した。その情景があまりにも美しく描きとめたいが、目的が釣りなのでスケッチする道具ない。そこでタバコの内紙にマッチの消し炭で書いたのが「大和川急雨」だ。
そこには、大正時代の大和川に架かる沈下橋と、降りすさぶ雨が描かれている。富本はこの絵がお気に入りで、何度も作品に使っている。
「最後の清流四万十川の沈下橋めぐり」。こんなツアーの広告を見かけた。
四万十川は日本を代表する清流で、こちらは残念ながら水質改善が話題になる大和川。
川と沈下橋に変わりはない。水の流れにも時代の流れにも耐えて頑張っている姿を見るのは良いものだ。(奈良まほろばソムリエ友の会 西川誠)
記事にあるように、四万十川にはたくさんの沈下橋が架かっている。四万十市のHPによると《四万十川の沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。緑の山々に青い四万十、そして沈下橋という風景は、もっとも四万十川らしい風景でしょう。河口からいちばん近い沈下橋は、佐田(今成)沈下橋で、橋を渡るときの気分はそう快です。他に、四万十市内だけでも、深木、高瀬、勝間、口屋内、岩間、長生、中半家、半家の沈下橋があり、いずれも四万十川らしい、川と人との関わりの感じられる風景が見られます》。
私が訪ねた橋に、木製の「上津屋橋(こうづやばし)」(京都府久御山町~八幡市)がある。「木津川流れ橋」とも呼ばれる。増水すると橋脚を残し、橋桁だけが流される構造になっている。よく時代劇のロケ地にもなっている。
奈良県下には谷瀬の吊り橋、上市の吉野川鉄橋、信貴山の開運橋など、珍しい橋が多い。これらを訪ねてみるのも面白いだろう。西川さん、興味深いお話を有難うございました。私も大城橋(だいじょうばし)を訪ねてみます!
