インドネシアの高校生、ハネダくん(ハネダ・キヨサキ・アルファブシ Haneda Kiyosaki Alhabshi)は、今夜の夜行バスで成田に入り、明日(2/3)正午のガルーダ・インドネシア航空便で帰国する。昨年の3月に来日したので、もう1年近くが経っていたのだ。
※写真はすべて、若林さんのブログとFacebookから拝借した
ハネダくんはAFS(高校生の交換留学財団)のプログラムで来日した。日本に来られるのは、成績優秀者に限られるそうだ。奈良県立高取国際高校で学び、「今井町町並み保存会」の若林稔会長宅(橿原市今井町)にホームステイしていた。私も「今井町のハネダくんは、インドネシア人留学生」という記事で紹介した。
ハネダくんは昨年12/22(土)、天理教校学園で開催された日本語による弁論大会(第22回 奈良県留学生・研修生の日本語による体験発表会)で5分間のスピーチをした。これが感動のスピーチだった。ハネダくんがインドネシア語で原文を書いてから英語に翻訳。それを担任の先生が日本語に訳し直したものである。若林さんのブログ「奈良県内留学生の日本語弁論大会でハネダは留学の思いを語る」から引用する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c9/b05b88d290611c17e216f2082ff0df11.jpg)
私の名前はハネダです。私は黄金の国インドネシアから来ました。私は以前にある映画を見ました。すばらしい映画で私の生き方を変えました。また、本当の人生の意味も教えてくれました。その映画は「ラスト・サムライ」でした。タカモリやその他の偉大な人の話でした。タカモリは、「サムライにとって強さや熟練が重要ではない。サムライは本当の生き様を見つけることを学び、生き様を見つけなければならない」と言っていました。
また、私には大きな疑問がありました。第2次世界大戦と広島・長崎の原爆の後で、どうして日本人は元気を取り戻せたのでしょうか。どうして日本経済が他の国より発展したのでしょうか。どうして日本人は自分の国の文化に自信を持っているのでしょうか。
宮本武蔵の「五輪書」が答えをくれました。日本人は「武士道」とともに生きているのです。サムライは武士道を子供につたえ、現在にいたっているのです。「恥よりも死を」という考え方は私の生き方に大きく影響を与えました。私が日本に来た理由は、日本人が武士道の精神とともにどのように生活しているか知りたかったからです。
1.サムライは、生き方や集団の規律をまもり、それが何年もの間に日本社会のすみずみまで広がり、いまの日本人の考え方に影響しています。
2.この規律は「武士道」として知られています。「ぶし」とはサムライのことで、「どう」とは道のことです。このサムライの道は、忠誠心、正義、自己犠牲、そして名誉のような価値のつながりが基本になっています。
3.武士道は、日本社会、日本人の心、家族や企業、そして、今でも一般に存在しています。
4.日本人は忠実で、正直で、誠実で、仕事でも訓練されています。昔、サムライがそうであったように、日本人は規則を守り、毎日自分を高めようとしています。
5.学生は、先生に忠実で、労働者は会社に忠実で、多くの人たちが家族や会社の名声をまもろうとしています。
6.武士道は2つの宗教の教えに影響を受けています。それは、禅宗と儒教です。
7.禅は6世紀に中国から来ました。そして儒教も12世紀に中国から来ました。
8.禅は、心と体が一体になることと、心を真っ白にする心の平和の状態をもとめることで、悟りを達成することを目的としました。
9.たとえば、私が今習っている「茶道」や「書道」です。どちらにも「道」の言葉がついています。
10.サムライについては、禅の修行と理解が戦いでは心を落ち着かせ、我慢強くさせました。また、もっとひどい状態でも怖れに負けることはありませんでした。
11.このことで、私が出会った日本人は静かで我慢強いのもわかります。
12.人間関係は儒教が社会の基礎になっています。先祖や知人や目上の人を尊敬しなければなりません。
13.現在でも日本人は心に儒教をもっています。なぜなら、家庭でも職場でも目上の人を大変尊敬しているからです。
14.「忠誠心」はサムライの一番大切なものかもしれません。サムライは君主に忠誠であろうとし、毎日君主のために命を危険にさらしていました。
15.サムライは人生に後悔を残すことがなければ、死ぬことを気にはしませんでした。サムライはいつも忠誠であろうとし、恥ることがないようにしていました。
16.「恥よりも死をえらぶ」はサムライの考え方でした。ほかにも、武士道には「正義」「哀れみ」「礼儀」「誠実」の考えがあります。
以前、両親が私に言いました。「インドネシアが与えてくれることを望んではいけない。問題は、おまえがインドネシアに何ができるかだ」日本で9か月間勉強した今は、その問題に答えることができます。「武士道の精神」でインドネシアの人々の道徳心を高めよう。みんなを元気づけよう。そしてインドネシアをもっと良い国にしよう。私はインドネシアの人たちに日本での体験を伝えるつもりです。ご静聴ありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b9/4b0c90ca9e62da18602bbd3db52c25f4.jpg)
これについて若林さんは《滞在9ヶ月目の彼の原稿を初めて見せてもらったときに彼の日本観は我が家と学校から広がった彼が関係した中での出来事で、我が家を中心にして彼が見た姿に改めて背筋が伸びる思いがするとともに、私の信念と、それを支えてくれる周辺環境にあるべき道が残っていたことを確信しました》と書かれている。
「武士道」については、NHKが繰り返し番組を作り、再放送を続けているので、当ブログ記事「新渡戸稲造著『武士道』の要点整理」にも毎日たくさんのアクセスがある。日本人の間でも関心が高まっているのだ。
ハネダくんは若林さんから書道と茶道を学んだ。若林家の初釜(1/16)は、ハネダくんの書道と茶道の発表会となった。平日だったので私は参加できなかったが、亡父が残していた着物と袴が参加した。父は身長175cmのやせ型だったので、ハネダくんにピッタリ合う。これをお正月休みに若林宅に届けていたのである。若林さんのブログ記事「帰国間近のハネダ…書道と茶道の発表会」によると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/03/e9de6cf0cfa289b41c5abc78556de856.jpg)
1月16日(水)、我が家の初釜はハネダの書道と茶道の1年の成果を見ていただく発表の場とした。お茶席にお呼びしたのは1席10人づつ3席で30人、例外に飛び入りでお祝いに駆けつけて下さった方や、書道の作品展だけ見に来て下さった方30人ほどとお手伝いの方などで平日なのに70~80人の方が関わって下さった。
志を高く持つ若手の国会議員、教育長、市の幹部職員の方や南都銀行の支店長などの要人、町の方々やお茶の先輩、書道の仲間、と広い顔ぶれが参加していただけたが、そんな方々に臆することなく、堂々としたお手前を披露したり、見ていただいて決して恥じない作品を作り上げたハネダの努力に最大の拍手を送りたい。
玄関を入ったお客様は、まず、ガレージに展示したハネダの水墨画、書、そして来日からの1年を物語る写真、メッセージなどをご覧いただいて、待合へ、
1席ごとにお呼びした方たちがお揃いになるとお席に、そしてハネダの登場。
当日はtetsudaさんのお父さんから頂いたはかま姿で、インドネシアに還っても手軽に使える盆手前を披露しました。お客様の応答にも答えながらのお手前は堂々としたもので、師匠の前本先生も親父の私も謙遜しながら内心鼻高々、うれしいものでした(良く稽古してくれたものね)。
3席目のお客様をおもてなししながら、過ぎし1年を思い起こして話し合っているとき、良くやったねと言うお客様のひと声に万感迫るものが来てつい潤んでしまいました。ハネダにとっても、私たちにとっても今日は一つの大きな節目の1日になるでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/01/0c523b22078c546be4b7b3534a4a01c5.jpg)
天川村で、雪を初体験(生まれて初めての雪体験)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/08/4f0de4b9e4f3730e4f5614bdcf71fbee.jpg)
若林さんの熱心なご指導で、ここまで書道と茶道ができるようになったのである。ハネダくんは、時にはつらい思いをしたこともあっただろうが、よく努力されたものである。そして昨日(2/1)、若林さんはFacebookにこんな文章を投稿された。
ハネダと過ごす時間があと少しになりました。1年近く我が家の息子として滞在して、第2の故郷が今井町で若林の家だと胸を張って言ってくれるように育って明日京都から夜行バスで成田に入り、3日、12時成田空港発ガルーダインドネシア便で第1の故郷インドネシアに帰ります。
お世話になった人は数知れず、そしてハネダの日本での兄弟は51(我が家に帰ってくる学生たちはみんな我が家の子供なので)、皆さんにこのページを借りてお礼を書きたいというので合作のお礼を申し述べます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/6b/da414e33d14c551072d0853ce63d9718.jpg)
みんな さん お元気ですか? 私は げんき です 日本では いちねんかん ありがとうございました 日本の ぶんか たくさん べんきょう しました にほん きた ときには いまいちょう ぜんぜん わかりません でした いちねんかん勉強して、今井町は ものすごい とおもいます にほんごは まだ よくはなせませんけど 今は だいぶ わかってきた インドネシアに かえてからも にほんごを 勉強したいです
一年かん ならけんの いまいちょうに すんでいました、わかばやし おとうさんと お母さんが わたしの生き方と 考え方を かえました にほんじんの こころ いちばんだいじで たいせつな とおもいます 日本人のこころは 忠実で、正直で、誠実とおもいます いちねんかんも 書道と茶道を べんきょう しました あまりじょうず でわありません けど ほんとに 道のいみを みつけました
てつださんから はかま いただきました。すごく きれい この はかま たいせつに つかいます。ありがとうございました。
インドネシア かえて から、にほん の ぶんか をつたえます そして インドネシアでは にほんの ぶんかが もっとゆうめい に しよう とおもいます にほんに くるまえから ぶしどうに 憧れていた。それは かたなや やりのように かたち で みていたが ほんとの かたなは こころに ありますと おしえて もらって わかりました
いつも みなさんに おしえていただき じゅうじつしたいちねん でした ありがとうございました みんなさんを わすれません また かえってきます ハネダ きょさき あるふぁぶし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a3/7769061e298ce055ed038e7a319c1573.jpg)
ハネダくんは、日本人以上に日本の心の真髄を身につけて帰国するのである。真の国際交流・国際親善は、互いの文化をよく理解し合うことから出発する。ハネダくんは将来、インドネシアを背負って立つ人材になることは間違いない。その時になって、日本で暮らした経験が生きてくることだろう。
ハネダくん、母国での今後の活躍を心からお祈りいたします。そして若林さんご夫妻、1年近くハネダくんをお預かりいただき、またご指導いただき、有難うございました!
※2/3追記
若林さんのFacebookより。《2月2日、京都の西本願寺でお別れの報告をご先祖にしてから、しゃぶしゃぶを腹いっぱい食って成田空港へ旅立ちました。成田では千葉大学のメンバーが出国まで付き合ってくださり、先ほど元気にゲートをくぐっていったと知らせてくれました。「また帰ってきます」がここ1週間の彼の口癖になっていました》。若林さん、寂しくなりますね。
※写真はすべて、若林さんのブログとFacebookから拝借した
ハネダくんはAFS(高校生の交換留学財団)のプログラムで来日した。日本に来られるのは、成績優秀者に限られるそうだ。奈良県立高取国際高校で学び、「今井町町並み保存会」の若林稔会長宅(橿原市今井町)にホームステイしていた。私も「今井町のハネダくんは、インドネシア人留学生」という記事で紹介した。
ハネダくんは昨年12/22(土)、天理教校学園で開催された日本語による弁論大会(第22回 奈良県留学生・研修生の日本語による体験発表会)で5分間のスピーチをした。これが感動のスピーチだった。ハネダくんがインドネシア語で原文を書いてから英語に翻訳。それを担任の先生が日本語に訳し直したものである。若林さんのブログ「奈良県内留学生の日本語弁論大会でハネダは留学の思いを語る」から引用する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c9/b05b88d290611c17e216f2082ff0df11.jpg)
私の名前はハネダです。私は黄金の国インドネシアから来ました。私は以前にある映画を見ました。すばらしい映画で私の生き方を変えました。また、本当の人生の意味も教えてくれました。その映画は「ラスト・サムライ」でした。タカモリやその他の偉大な人の話でした。タカモリは、「サムライにとって強さや熟練が重要ではない。サムライは本当の生き様を見つけることを学び、生き様を見つけなければならない」と言っていました。
また、私には大きな疑問がありました。第2次世界大戦と広島・長崎の原爆の後で、どうして日本人は元気を取り戻せたのでしょうか。どうして日本経済が他の国より発展したのでしょうか。どうして日本人は自分の国の文化に自信を持っているのでしょうか。
宮本武蔵の「五輪書」が答えをくれました。日本人は「武士道」とともに生きているのです。サムライは武士道を子供につたえ、現在にいたっているのです。「恥よりも死を」という考え方は私の生き方に大きく影響を与えました。私が日本に来た理由は、日本人が武士道の精神とともにどのように生活しているか知りたかったからです。
![]() | 五輪書 (講談社バイリンガル・ブックス) |
宮本武蔵 | |
講談社インターナショナル |
1.サムライは、生き方や集団の規律をまもり、それが何年もの間に日本社会のすみずみまで広がり、いまの日本人の考え方に影響しています。
2.この規律は「武士道」として知られています。「ぶし」とはサムライのことで、「どう」とは道のことです。このサムライの道は、忠誠心、正義、自己犠牲、そして名誉のような価値のつながりが基本になっています。
3.武士道は、日本社会、日本人の心、家族や企業、そして、今でも一般に存在しています。
4.日本人は忠実で、正直で、誠実で、仕事でも訓練されています。昔、サムライがそうであったように、日本人は規則を守り、毎日自分を高めようとしています。
5.学生は、先生に忠実で、労働者は会社に忠実で、多くの人たちが家族や会社の名声をまもろうとしています。
6.武士道は2つの宗教の教えに影響を受けています。それは、禅宗と儒教です。
7.禅は6世紀に中国から来ました。そして儒教も12世紀に中国から来ました。
![]() | 武士道 (講談社バイリンガル・ブックス) |
新渡戸稲造 | |
講談社インターナショナル |
8.禅は、心と体が一体になることと、心を真っ白にする心の平和の状態をもとめることで、悟りを達成することを目的としました。
9.たとえば、私が今習っている「茶道」や「書道」です。どちらにも「道」の言葉がついています。
10.サムライについては、禅の修行と理解が戦いでは心を落ち着かせ、我慢強くさせました。また、もっとひどい状態でも怖れに負けることはありませんでした。
11.このことで、私が出会った日本人は静かで我慢強いのもわかります。
12.人間関係は儒教が社会の基礎になっています。先祖や知人や目上の人を尊敬しなければなりません。
13.現在でも日本人は心に儒教をもっています。なぜなら、家庭でも職場でも目上の人を大変尊敬しているからです。
14.「忠誠心」はサムライの一番大切なものかもしれません。サムライは君主に忠誠であろうとし、毎日君主のために命を危険にさらしていました。
15.サムライは人生に後悔を残すことがなければ、死ぬことを気にはしませんでした。サムライはいつも忠誠であろうとし、恥ることがないようにしていました。
16.「恥よりも死をえらぶ」はサムライの考え方でした。ほかにも、武士道には「正義」「哀れみ」「礼儀」「誠実」の考えがあります。
以前、両親が私に言いました。「インドネシアが与えてくれることを望んではいけない。問題は、おまえがインドネシアに何ができるかだ」日本で9か月間勉強した今は、その問題に答えることができます。「武士道の精神」でインドネシアの人々の道徳心を高めよう。みんなを元気づけよう。そしてインドネシアをもっと良い国にしよう。私はインドネシアの人たちに日本での体験を伝えるつもりです。ご静聴ありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b9/4b0c90ca9e62da18602bbd3db52c25f4.jpg)
これについて若林さんは《滞在9ヶ月目の彼の原稿を初めて見せてもらったときに彼の日本観は我が家と学校から広がった彼が関係した中での出来事で、我が家を中心にして彼が見た姿に改めて背筋が伸びる思いがするとともに、私の信念と、それを支えてくれる周辺環境にあるべき道が残っていたことを確信しました》と書かれている。
「武士道」については、NHKが繰り返し番組を作り、再放送を続けているので、当ブログ記事「新渡戸稲造著『武士道』の要点整理」にも毎日たくさんのアクセスがある。日本人の間でも関心が高まっているのだ。
ハネダくんは若林さんから書道と茶道を学んだ。若林家の初釜(1/16)は、ハネダくんの書道と茶道の発表会となった。平日だったので私は参加できなかったが、亡父が残していた着物と袴が参加した。父は身長175cmのやせ型だったので、ハネダくんにピッタリ合う。これをお正月休みに若林宅に届けていたのである。若林さんのブログ記事「帰国間近のハネダ…書道と茶道の発表会」によると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/03/e9de6cf0cfa289b41c5abc78556de856.jpg)
1月16日(水)、我が家の初釜はハネダの書道と茶道の1年の成果を見ていただく発表の場とした。お茶席にお呼びしたのは1席10人づつ3席で30人、例外に飛び入りでお祝いに駆けつけて下さった方や、書道の作品展だけ見に来て下さった方30人ほどとお手伝いの方などで平日なのに70~80人の方が関わって下さった。
志を高く持つ若手の国会議員、教育長、市の幹部職員の方や南都銀行の支店長などの要人、町の方々やお茶の先輩、書道の仲間、と広い顔ぶれが参加していただけたが、そんな方々に臆することなく、堂々としたお手前を披露したり、見ていただいて決して恥じない作品を作り上げたハネダの努力に最大の拍手を送りたい。
玄関を入ったお客様は、まず、ガレージに展示したハネダの水墨画、書、そして来日からの1年を物語る写真、メッセージなどをご覧いただいて、待合へ、
1席ごとにお呼びした方たちがお揃いになるとお席に、そしてハネダの登場。
当日はtetsudaさんのお父さんから頂いたはかま姿で、インドネシアに還っても手軽に使える盆手前を披露しました。お客様の応答にも答えながらのお手前は堂々としたもので、師匠の前本先生も親父の私も謙遜しながら内心鼻高々、うれしいものでした(良く稽古してくれたものね)。
3席目のお客様をおもてなししながら、過ぎし1年を思い起こして話し合っているとき、良くやったねと言うお客様のひと声に万感迫るものが来てつい潤んでしまいました。ハネダにとっても、私たちにとっても今日は一つの大きな節目の1日になるでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/01/0c523b22078c546be4b7b3534a4a01c5.jpg)
天川村で、雪を初体験(生まれて初めての雪体験)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/08/4f0de4b9e4f3730e4f5614bdcf71fbee.jpg)
若林さんの熱心なご指導で、ここまで書道と茶道ができるようになったのである。ハネダくんは、時にはつらい思いをしたこともあっただろうが、よく努力されたものである。そして昨日(2/1)、若林さんはFacebookにこんな文章を投稿された。
ハネダと過ごす時間があと少しになりました。1年近く我が家の息子として滞在して、第2の故郷が今井町で若林の家だと胸を張って言ってくれるように育って明日京都から夜行バスで成田に入り、3日、12時成田空港発ガルーダインドネシア便で第1の故郷インドネシアに帰ります。
お世話になった人は数知れず、そしてハネダの日本での兄弟は51(我が家に帰ってくる学生たちはみんな我が家の子供なので)、皆さんにこのページを借りてお礼を書きたいというので合作のお礼を申し述べます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/6b/da414e33d14c551072d0853ce63d9718.jpg)
みんな さん お元気ですか? 私は げんき です 日本では いちねんかん ありがとうございました 日本の ぶんか たくさん べんきょう しました にほん きた ときには いまいちょう ぜんぜん わかりません でした いちねんかん勉強して、今井町は ものすごい とおもいます にほんごは まだ よくはなせませんけど 今は だいぶ わかってきた インドネシアに かえてからも にほんごを 勉強したいです
一年かん ならけんの いまいちょうに すんでいました、わかばやし おとうさんと お母さんが わたしの生き方と 考え方を かえました にほんじんの こころ いちばんだいじで たいせつな とおもいます 日本人のこころは 忠実で、正直で、誠実とおもいます いちねんかんも 書道と茶道を べんきょう しました あまりじょうず でわありません けど ほんとに 道のいみを みつけました
てつださんから はかま いただきました。すごく きれい この はかま たいせつに つかいます。ありがとうございました。
インドネシア かえて から、にほん の ぶんか をつたえます そして インドネシアでは にほんの ぶんかが もっとゆうめい に しよう とおもいます にほんに くるまえから ぶしどうに 憧れていた。それは かたなや やりのように かたち で みていたが ほんとの かたなは こころに ありますと おしえて もらって わかりました
いつも みなさんに おしえていただき じゅうじつしたいちねん でした ありがとうございました みんなさんを わすれません また かえってきます ハネダ きょさき あるふぁぶし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/a3/7769061e298ce055ed038e7a319c1573.jpg)
ハネダくんは、日本人以上に日本の心の真髄を身につけて帰国するのである。真の国際交流・国際親善は、互いの文化をよく理解し合うことから出発する。ハネダくんは将来、インドネシアを背負って立つ人材になることは間違いない。その時になって、日本で暮らした経験が生きてくることだろう。
ハネダくん、母国での今後の活躍を心からお祈りいたします。そして若林さんご夫妻、1年近くハネダくんをお預かりいただき、またご指導いただき、有難うございました!
※2/3追記
若林さんのFacebookより。《2月2日、京都の西本願寺でお別れの報告をご先祖にしてから、しゃぶしゃぶを腹いっぱい食って成田空港へ旅立ちました。成田では千葉大学のメンバーが出国まで付き合ってくださり、先ほど元気にゲートをくぐっていったと知らせてくれました。「また帰ってきます」がここ1週間の彼の口癖になっていました》。若林さん、寂しくなりますね。