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箸墓古墳、2月20に立ち入り調査!(2013Topic)

2013年02月14日 | お知らせ
 箸墓は卑弥呼の墓か
 大和 岩雄 著
 大和書房

2月13日、卑弥呼の墓説のある桜井市の「箸墓古墳」(大市墓)への立ち入り調査が認められた。NHKニュース(2/14 4時20分)によると、

邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説もある奈良県桜井市の箸墓古墳について、管理している宮内庁が初めて研究者の立ち入りを認め、今月20日に調査が行われることになりました。箸墓古墳は、全長およそ280メートルの最も古い時期の大型の前方後円墳で、3世紀中ごろに亡くなったとされる邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説もあります。

陵墓に指定されているため立ち入ることができず、これまでは周辺の調査などをもとに研究が進められてきましたが、宮内庁が研究者の団体からの要望を受け、今回初めて調査を認めることになりました。調査は今月20日に行われ、研究者が古墳に立ち入って形などを確認することになっていますが、発掘や土器などの採取はできないということです。また、奈良県天理市にある大型の前方後円墳「西殿塚古墳」でも同じ日に調査が行われます。

古墳時代に詳しい大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「研究者として陵墓は公開されるべきだと考えている。2つの古墳は古い時代の前方後円墳で、まだ墳丘の形態なども分かっていない。複数の研究者が見ることで、新たな知見が得られるものと期待している」と話しています。

 天皇陵を発掘せよ (三一新書)
 石部 正志 ・古田 武彦・藤田 友治 編著
 三一書房

同じニュースを報じた共同通信の記事(2/13)は、こちらに出ている。「発掘や土器などの採取はできない」とのことであるが、とにかくこれは大きな「一歩前進」である。箸墓のお近くにお住まいのYさんは、早速Facebookに「近所が騒がしくなりますが、だんだん箸墓の秘密が明らかになってきますね」とコメントされていた。では「箸墓古墳」とは、どんな古墳か。『ならまほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)によると、

大市墓(おおいちぼ 桜井市箸中)<箸墓古墳>
箸墓古墳は、邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もあり、わが国において最も著名な古墳の一つである。現在は宮内庁によって第七代孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命の大市墓として管理されている。墳丘長は二八〇㍍、前方部の先端がバチ状に広がる形状は前方後円墳の中でも古相を示すとされる。

近年、周辺の調査が進められてきており、徐々に古墳の詳細が明らかになりつつあるものの、内部施設、副葬品については全く知られていない。ただ、墳丘裾部分に板石が散見されることから、竪穴式石室の存在が予想される。平成十年九月の台風七号により、多くの樹木が倒壊し、墳丘に大きな損傷が生じた。この復旧工事に当たって、根起き箇所などから多数の二重口縁壷形埴輪、特殊器台形埴輪が採取された。


 盗掘でわかった天皇陵古墳の謎
 安本 美典 著
 宝島社

また同じ日に調査が行われる「西殿塚古墳」は、同書によると、

衾田陵(ふすまだりょう 天理市中山町)<西殿塚古墳>
継体天皇皇后手白香皇女(たしらかこうじょ)の衾田陵に治定されている前方後円墳。龍王山麓に位置し、前方部を南に向ける。全長は二三〇㍍、後円部径は一四五㍍である。最大の特徴は、東から西側にかけての傾斜面に築造されたため、東西の比高が一三㍍もあり、よって西側には「エプロン状張り出し部」と称される基壇が存在することである。

また墳丘の特徴として、前方部頂上に一辺約二〇㍍の方形壇が存在するが、埋葬施設を示すものか否かについては不明である。墳丘周りの発掘調査によって葺石の基底石が検出され、本来の墳丘が現在の宮内庁の敷地外まで広がっていることが明らかにされた。


いずれも「陵墓」(天皇、皇后、太皇太后、皇太后などを葬る墓所)に指定されているので、調査が認められていなかったのである。掘らずにどこまで分かるかは未知数であるが、まずは研究者の観察眼に期待したい。
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