紹介するのが遅れてしまった。産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、第95回(10/11付)は、「姫丸稲荷神社 仁賢天皇在位11年余の善政」、筆者はNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」のガイド名人・田原敏明さんだ。田原さんは11月2日(日)と12月15日(月)に実施される「天理のいいとこ再発見!秋のバスツアー」のガイドもお務めになる。では、記事全文を紹介する。
まほろばソムリエの会の「ひと味深い大和路」のガイド中に、奈良県の古墳の数をよく尋ねられる。平成23年10月版の「県民だより奈良」は約9600基と紹介している。市町村別では1位が天理市で約1690基とある。
天理市は数で勝っているだけでなく、崇神(すじん)天皇陵や景行(けいこう)天皇陵など、古代史ファン必見の古墳も多い。これらの陵墓は天皇が死後に眠る奥津城(おくつき)だ。
天理市には、古代天皇が日々の政務を執った宮跡(みやあと)伝承地こそ少ないものの、石上(いそのかみ)神宮に代表される古代の山辺(やまのべ)郡石上郷の地で国を治めた2人の天皇の宮跡伝承地がある。20代安康(あんこう)天皇の石上穴穂宮(あなほのみや)と24代仁賢(にんけん)天皇の石上廣高宮(ひろたかのみや)だ。
その伝承地を訪ね歩いた。
※ ※ ※
天理駅からスタートして途中数人の通行人に所在を尋ね、安康天皇宮跡の穴穂神社(天理市田町(たちょう))をやっと見つけた。
神社というよりは、ブロック塀に囲まれた廃屋のようだ。格子戸から中をのぞくと、狭い敷地に小さな祠(ほこら)が2つ並んでいた。

穴穂神社(安康天皇穴穂宮伝承地)=天理市田町
もとは布留川(ふるかわ)用水を守護する貴船社と呼ばれていたが、安康天皇の直轄地「穴穂部」の伝承地にちなんで明治初年に改称されたという。
安康天皇は中国の歴史書「宋書」が記す倭の五王の「興(こう)」に比定される。家来の讒言(ざんげん)を受けて殺した叔父の妃を娶り、事情を知った連れ子の7才の眉輪王(まよわのおおきみ)に泥酔中に刺し殺された。有力豪族の葛城氏没落のきっかけとなった「眉輪王の変」だ。
政変後、他の兄弟やいとこの有力後継者・市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺して皇位を奪ったのが安康天皇の末弟、21代雄略(ゆうりゃく)天皇だ。万葉集巻頭歌や稲荷(いなり)山鉄剣に名を残し、倭の五王「武(ぶ)」に比定され、記紀に多くの逸話がある。天皇の歴史書たる日本書紀が「はなはだ悪(あ)しくまします天皇なり」と記しているのは面白い。
市辺押磐皇子の遺児の兄弟2人は播磨の国に逃れ住んだ。後年その身分を明かして弟の23代顕宗(けんぞう)天皇に次ぎ、故郷の地で皇位に就き石上廣高宮を営んだのが兄の仁賢天皇だ。
※ ※ ※
古道の面影を所々に残す「上ツ道」が西名阪道と交わる在原寺(ありわらでら)跡付近の路傍に、「正一位平尾姫丸大明神」の石碑がある。石上廣高宮伝承地はここより1キロ余り東方の100メートルほどの小高い「平尾山」にある。169号線を横断して緩やかな坂道を上がっていくと、竹林の中に姫丸稲荷神社(天理市石上町)の朱塗りの鳥居列が眼に入った。鳥居横に「石上廣高宮伝称地」碑が建っている。

平尾山姫丸稲荷神社の石上廣高宮伝承地=天理市石上町
この辺りは古代には「宮の屋敷」と呼ばれ、銅鐸も出土している。上ツ道沿いにある石上市(いそのかみいち)神社や在原寺の旧地とも伝わり、あの在原業平(ありわらのなりひら)も石上で生まれ幼名を平尾丸と名付けられたという。
※ ※ ※
父のかたき、雄略天皇の墓を暴き、骨を砕くことが親孝行と主張する弟を、それは後世の人々のそしりを受けることになると諭(さと)す兄。仁賢天皇は謙虚で温厚、殖産を奨め国を善く治めたが、皇子の25代武烈(ぶれつ)天皇は妊婦の腹を裂くなど「諸悪(もろもろのあく)を造(し)たまふ」暴君と記される。
古代天皇もいろいろ。独裁的な天皇の時代ほど歴史は面白い。誰もいない境内で、しばし記紀の世界へタイムスリップ。竹林を渡る心地良い風に仁賢天皇在位11年余の善政を思う。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)
田原さんのご案内で、姫丸稲荷神社(石上廣高宮伝称地)を訪ねたことがある。途中で車を降り竹林の中、坂道を登り切ると突然視界が開け、神社が目に飛び込んでくる。それまでは標識も何もないので、よくこんな場所を見つけたものだと田原さんの探求心に驚かされた。
冒頭に紹介したバスツアーでは、天理市の北部を訪ねる。行程を市のHPから抜粋すると
、
天理駅(9時45分出発)= 内山永久寺跡 … 石上神宮 … 厳島神社(良因寺跡)=(昼食:山の辺の道お弁当)…楢神社…(上ッ道)…在原神社(在原寺跡)…北の横大路(龍田道・業平道・治道・高瀬街道)…和爾下神社(柿本寺跡)=史跡赤土山古墳= 天理駅(16時頃解散)
※=バス …徒歩
お申し込みは10月27日(月)までに、希望日、住所、氏名(ふりがな)、年齢、電話番号を明記して、天理市総合政策課(FAX:0743-62-5016 Eメール:60th@city.tenri.nara.jp)へ。
締め切りは10月27日(月)。ぜひ、お早めにお申し込みいただきたい。
田原さん、興味深いお話を有難うございました。バスツアーでのガイド、どうぞよろしく!
まほろばソムリエの会の「ひと味深い大和路」のガイド中に、奈良県の古墳の数をよく尋ねられる。平成23年10月版の「県民だより奈良」は約9600基と紹介している。市町村別では1位が天理市で約1690基とある。
天理市は数で勝っているだけでなく、崇神(すじん)天皇陵や景行(けいこう)天皇陵など、古代史ファン必見の古墳も多い。これらの陵墓は天皇が死後に眠る奥津城(おくつき)だ。
天理市には、古代天皇が日々の政務を執った宮跡(みやあと)伝承地こそ少ないものの、石上(いそのかみ)神宮に代表される古代の山辺(やまのべ)郡石上郷の地で国を治めた2人の天皇の宮跡伝承地がある。20代安康(あんこう)天皇の石上穴穂宮(あなほのみや)と24代仁賢(にんけん)天皇の石上廣高宮(ひろたかのみや)だ。
その伝承地を訪ね歩いた。
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天理駅からスタートして途中数人の通行人に所在を尋ね、安康天皇宮跡の穴穂神社(天理市田町(たちょう))をやっと見つけた。
神社というよりは、ブロック塀に囲まれた廃屋のようだ。格子戸から中をのぞくと、狭い敷地に小さな祠(ほこら)が2つ並んでいた。

穴穂神社(安康天皇穴穂宮伝承地)=天理市田町
もとは布留川(ふるかわ)用水を守護する貴船社と呼ばれていたが、安康天皇の直轄地「穴穂部」の伝承地にちなんで明治初年に改称されたという。
安康天皇は中国の歴史書「宋書」が記す倭の五王の「興(こう)」に比定される。家来の讒言(ざんげん)を受けて殺した叔父の妃を娶り、事情を知った連れ子の7才の眉輪王(まよわのおおきみ)に泥酔中に刺し殺された。有力豪族の葛城氏没落のきっかけとなった「眉輪王の変」だ。
政変後、他の兄弟やいとこの有力後継者・市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺して皇位を奪ったのが安康天皇の末弟、21代雄略(ゆうりゃく)天皇だ。万葉集巻頭歌や稲荷(いなり)山鉄剣に名を残し、倭の五王「武(ぶ)」に比定され、記紀に多くの逸話がある。天皇の歴史書たる日本書紀が「はなはだ悪(あ)しくまします天皇なり」と記しているのは面白い。
市辺押磐皇子の遺児の兄弟2人は播磨の国に逃れ住んだ。後年その身分を明かして弟の23代顕宗(けんぞう)天皇に次ぎ、故郷の地で皇位に就き石上廣高宮を営んだのが兄の仁賢天皇だ。
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古道の面影を所々に残す「上ツ道」が西名阪道と交わる在原寺(ありわらでら)跡付近の路傍に、「正一位平尾姫丸大明神」の石碑がある。石上廣高宮伝承地はここより1キロ余り東方の100メートルほどの小高い「平尾山」にある。169号線を横断して緩やかな坂道を上がっていくと、竹林の中に姫丸稲荷神社(天理市石上町)の朱塗りの鳥居列が眼に入った。鳥居横に「石上廣高宮伝称地」碑が建っている。

平尾山姫丸稲荷神社の石上廣高宮伝承地=天理市石上町
この辺りは古代には「宮の屋敷」と呼ばれ、銅鐸も出土している。上ツ道沿いにある石上市(いそのかみいち)神社や在原寺の旧地とも伝わり、あの在原業平(ありわらのなりひら)も石上で生まれ幼名を平尾丸と名付けられたという。
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父のかたき、雄略天皇の墓を暴き、骨を砕くことが親孝行と主張する弟を、それは後世の人々のそしりを受けることになると諭(さと)す兄。仁賢天皇は謙虚で温厚、殖産を奨め国を善く治めたが、皇子の25代武烈(ぶれつ)天皇は妊婦の腹を裂くなど「諸悪(もろもろのあく)を造(し)たまふ」暴君と記される。
古代天皇もいろいろ。独裁的な天皇の時代ほど歴史は面白い。誰もいない境内で、しばし記紀の世界へタイムスリップ。竹林を渡る心地良い風に仁賢天皇在位11年余の善政を思う。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)
田原さんのご案内で、姫丸稲荷神社(石上廣高宮伝称地)を訪ねたことがある。途中で車を降り竹林の中、坂道を登り切ると突然視界が開け、神社が目に飛び込んでくる。それまでは標識も何もないので、よくこんな場所を見つけたものだと田原さんの探求心に驚かされた。
冒頭に紹介したバスツアーでは、天理市の北部を訪ねる。行程を市のHPから抜粋すると
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天理駅(9時45分出発)= 内山永久寺跡 … 石上神宮 … 厳島神社(良因寺跡)=(昼食:山の辺の道お弁当)…楢神社…(上ッ道)…在原神社(在原寺跡)…北の横大路(龍田道・業平道・治道・高瀬街道)…和爾下神社(柿本寺跡)=史跡赤土山古墳= 天理駅(16時頃解散)
※=バス …徒歩
お申し込みは10月27日(月)までに、希望日、住所、氏名(ふりがな)、年齢、電話番号を明記して、天理市総合政策課(FAX:0743-62-5016 Eメール:60th@city.tenri.nara.jp)へ。
締め切りは10月27日(月)。ぜひ、お早めにお申し込みいただきたい。
田原さん、興味深いお話を有難うございました。バスツアーでのガイド、どうぞよろしく!
