このほど発刊されたばかりの南都銀行の社内誌『なんと』2017年夏号の「巻頭言」に、田中利典師の「生きる喜びを歌おう」が掲載! 同行社内誌編集者のMくんは、当ブログで利典師のエッセイを読み「いつか巻頭言をお願いしよう」と考えていたそうである。ちょうど7月19日(水)に開催された「第8回 観光力創造塾」のパネリストに師が参加されることを知り「ぜひこの機会に」とお願いし、快諾いただいた(本年5月)。
しかしその後、利典師は「マイコプラズマ肺炎」(マイコプラズマという菌が肺に感染しておこる病気)という厄介な肺炎に罹患、病床の中でご執筆いただいた。社内誌が発刊された現在、師の肺炎は快癒し、マグロのトロや伊勢エビや新米に舌鼓を打っておられる。病牀六尺ならぬ病床3月の賜物である。では以下に「巻頭言」の全文を紹介する。
「生きる喜びを歌おう」金峯山寺長臈(ちょうろう) 田中 利典さん
現代社会は「世界的な政情不安、テロや格差の拡大、溢れる情報、急速に変化する技術や社会構造…」という時代を、みんながそれぞれに不安や苦悩を抱えながら生きている。いや、そう生きていないと「バカか!」と思われるような時代でもある。これって、どうもおかしい。
こういう時代は過去にあったろうかと考えてみるが、まあ、世の東西を問わず、どんな時代にも大きな矛盾や不安・苦悩はあったに違いない。
日本でもたとえて言うなら、応仁の乱から戦国時代、あるいは明治維新期、大東亜戦争期と戦後の大混乱など、それはそれはものすごくたいへんな世情と、社会変革による不安定な時代を経験しているいまはその何倍もたいへんなんだ、としてもである。
ただ、それらの時代といまの時代、根本的になにが違うかというと、そういう社会状況や経済不安、いろんな事件・事象が、まさに世界の裏側のことまで刻一刻とダイレクトに、一個人に届くことである。不安感をあおることを目的とした偽情報も含めて、人々のこころを脅かす大量の情報が、雨あられのように容赦なく、降りそそぐ、そんな時代を私たちは生きている、と言ってよいのだろう。
命の危険も含めて、すべての生活が左右されたであろう戦争や天変地異などの大災害を経験した過去のたいへんな時代でも、自分の住んでいる土地、自分の実生活に根ざした問題のみが一大事で、現代人が抱える自分ではなんともしようがない世界中のことや、将来的な経済問題に至るまでの不安や苦悩は、誰もが持ちえなかったにちがいない。
そう思うと、いまの私たちの生活というのは、「ちょっとどうなんだ」ということに気がつくのである。詩人・山尾三省さんが書いた「土と詩」という詩がある。
土がそのまま詩であれば
僕は幸福をつかんだのであろう
詩がそのまま土であれば
僕は幸福そのものであろう
だが土の詩人は疲れて歌うことがない
詩人の土は無言である
幸福はいらない
ただ生きてゆく
ただ生きて心を実現してゆく
土は無限の道場
詩はそこに正座する

極端な言い方をすると、世界中の不安や将来の問題など、抱えきれやしない。テロだろうが原発事故だろうが、経済成長がゼロだろうが、ましてや北朝鮮の核問題など、そんなことには関係はなく、自分の足下、大地、風土に生きていることにしか、自分には関われないのだ。いや、土(社会)に根ざして生きている、そこからしか、対処する方法など生まれやしないし、詮無いことなのではないだろうか。そういうことを山尾三省さんの「土と詩」は教えてくれているように私は思う。土(社会)に生きる喜びが歌えなくなるほど、疲れ果ててはいけないのだ。
洪水のように流れてくる情報に流されることなく、土に根ざし、大地、風土の中で自分を見失うことなく生きていきたいと私は願っているし、そこを忘れて、見えざる現在や将来への不安におののくのは愚かなことだと思っている。まんまと、現代社会が用意した落とし穴に入り込んでしまってはいけないのだ。
もう一度、自分の足下、家族、会社、地域社会、友人などなど、自分がいままで手にしてきた絆とか、人間関係の中の自分を、自信を持って見つめ直すことが、大きな現代的不安に立ち向かう強い力になり得ると私は信じている。
情報に踊らされる現代人たちよ。不要な情報などくそくらえ!と叫んでみよう。そして自分を信じて、いま生きている喜びを大いに歌おうではないか。
田中利典師は、早速昨日(8/9)、ご自身のFacebookにこの文章を紹介され、次のようにコメントされた。
「『なんと 2017夏号』に寄稿!」なんと、今夏の南都銀行社内報「なんと2017夏号」に拙文を掲載していただきました。親しくさせていただいている鉄田さんからのご依頼で書かせていただきました。相変わらずのへたくそな文章ですが、よろしければご笑覧ください。誌上でですが、詩人の山尾三省さんに、お手伝いをいただいています。
早速、私が「玉稿ありがとうございました! 明日の拙ブログで追っかけますので」とコメントすると、師からは「最近、あまりちゃんとした文章をかいていないので、稚拙なまま、出しています。m(_ _)m」「でも、久しぶりに書いた私にとっては、それなりに骨のある文章でしたので、嬉しいです」と返していただいた。
「自分の足下、家族、会社、地域社会、友人などなど、自分がいままで手にしてきた絆とか、人間関係の中の自分を、自信を持って見つめ直すことが、大きな現代的不安に立ち向かう強い力になり得る」とは、全くそのとおりだし、私もこれらを信じて生き抜いていきたい。
利典師、ありがとうございました。皆さん、ぜひ熟読玩味してください!

しかしその後、利典師は「マイコプラズマ肺炎」(マイコプラズマという菌が肺に感染しておこる病気)という厄介な肺炎に罹患、病床の中でご執筆いただいた。社内誌が発刊された現在、師の肺炎は快癒し、マグロのトロや伊勢エビや新米に舌鼓を打っておられる。病牀六尺ならぬ病床3月の賜物である。では以下に「巻頭言」の全文を紹介する。
「生きる喜びを歌おう」金峯山寺長臈(ちょうろう) 田中 利典さん
現代社会は「世界的な政情不安、テロや格差の拡大、溢れる情報、急速に変化する技術や社会構造…」という時代を、みんながそれぞれに不安や苦悩を抱えながら生きている。いや、そう生きていないと「バカか!」と思われるような時代でもある。これって、どうもおかしい。
こういう時代は過去にあったろうかと考えてみるが、まあ、世の東西を問わず、どんな時代にも大きな矛盾や不安・苦悩はあったに違いない。
日本でもたとえて言うなら、応仁の乱から戦国時代、あるいは明治維新期、大東亜戦争期と戦後の大混乱など、それはそれはものすごくたいへんな世情と、社会変革による不安定な時代を経験しているいまはその何倍もたいへんなんだ、としてもである。
ただ、それらの時代といまの時代、根本的になにが違うかというと、そういう社会状況や経済不安、いろんな事件・事象が、まさに世界の裏側のことまで刻一刻とダイレクトに、一個人に届くことである。不安感をあおることを目的とした偽情報も含めて、人々のこころを脅かす大量の情報が、雨あられのように容赦なく、降りそそぐ、そんな時代を私たちは生きている、と言ってよいのだろう。
命の危険も含めて、すべての生活が左右されたであろう戦争や天変地異などの大災害を経験した過去のたいへんな時代でも、自分の住んでいる土地、自分の実生活に根ざした問題のみが一大事で、現代人が抱える自分ではなんともしようがない世界中のことや、将来的な経済問題に至るまでの不安や苦悩は、誰もが持ちえなかったにちがいない。
そう思うと、いまの私たちの生活というのは、「ちょっとどうなんだ」ということに気がつくのである。詩人・山尾三省さんが書いた「土と詩」という詩がある。
土がそのまま詩であれば
僕は幸福をつかんだのであろう
詩がそのまま土であれば
僕は幸福そのものであろう
だが土の詩人は疲れて歌うことがない
詩人の土は無言である
幸福はいらない
ただ生きてゆく
ただ生きて心を実現してゆく
土は無限の道場
詩はそこに正座する

極端な言い方をすると、世界中の不安や将来の問題など、抱えきれやしない。テロだろうが原発事故だろうが、経済成長がゼロだろうが、ましてや北朝鮮の核問題など、そんなことには関係はなく、自分の足下、大地、風土に生きていることにしか、自分には関われないのだ。いや、土(社会)に根ざして生きている、そこからしか、対処する方法など生まれやしないし、詮無いことなのではないだろうか。そういうことを山尾三省さんの「土と詩」は教えてくれているように私は思う。土(社会)に生きる喜びが歌えなくなるほど、疲れ果ててはいけないのだ。
洪水のように流れてくる情報に流されることなく、土に根ざし、大地、風土の中で自分を見失うことなく生きていきたいと私は願っているし、そこを忘れて、見えざる現在や将来への不安におののくのは愚かなことだと思っている。まんまと、現代社会が用意した落とし穴に入り込んでしまってはいけないのだ。
もう一度、自分の足下、家族、会社、地域社会、友人などなど、自分がいままで手にしてきた絆とか、人間関係の中の自分を、自信を持って見つめ直すことが、大きな現代的不安に立ち向かう強い力になり得ると私は信じている。
情報に踊らされる現代人たちよ。不要な情報などくそくらえ!と叫んでみよう。そして自分を信じて、いま生きている喜びを大いに歌おうではないか。
田中利典師は、早速昨日(8/9)、ご自身のFacebookにこの文章を紹介され、次のようにコメントされた。
「『なんと 2017夏号』に寄稿!」なんと、今夏の南都銀行社内報「なんと2017夏号」に拙文を掲載していただきました。親しくさせていただいている鉄田さんからのご依頼で書かせていただきました。相変わらずのへたくそな文章ですが、よろしければご笑覧ください。誌上でですが、詩人の山尾三省さんに、お手伝いをいただいています。
早速、私が「玉稿ありがとうございました! 明日の拙ブログで追っかけますので」とコメントすると、師からは「最近、あまりちゃんとした文章をかいていないので、稚拙なまま、出しています。m(_ _)m」「でも、久しぶりに書いた私にとっては、それなりに骨のある文章でしたので、嬉しいです」と返していただいた。
「自分の足下、家族、会社、地域社会、友人などなど、自分がいままで手にしてきた絆とか、人間関係の中の自分を、自信を持って見つめ直すことが、大きな現代的不安に立ち向かう強い力になり得る」とは、全くそのとおりだし、私もこれらを信じて生き抜いていきたい。
利典師、ありがとうございました。皆さん、ぜひ熟読玩味してください!

