NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2022.12.1)掲載されたのは〈雌雄の狛犬に守られ/薬園八幡神社(大和郡山市)〉、執筆されたのは大和郡山市在住で当会会員の佳山隆生(かやま・りゅうせい)さんだった。
※トップ写真は、薬園八幡神社の幣殿(へいでん)=大和郡山市材木町で
佳山さんは画家で、こんなHPも作られている。薬園八幡神社は城下町のど真ん中にある神社で、立派な社殿には驚かされる。この神社は以前(2015.1.17)、産経新聞の「なら再発見」で、当会会員だった藤村清彦さん(故人)も「屋根、狛犬…“不思議の園”」の見出しで紹介されていた。では、記事全文を紹介する。
薬園八幡神社(大和郡山市)
薬園八幡(やくおんはちまん)神社は郡山城下にあり、創建は奈良時代にさかのぼります。749年、東大寺の大仏造立の鎮守のため宇佐八幡宮から勧請(かんじょう)した八幡大神(やはたのおおかみ)を分霊し、平城宮の南、梨原の地に祭ったのが始まりで、この地にもとよりあった広大な薬草園に由来する名とされます。
750年に今の御旅所(大和郡山市魚町)がある清澄荘薬園に遷(うつ)され、1491年、現在地に鎮座したと伝わります。表門と鳥居の間にある石燈籠(どうろう)の鋭い文字には、柳里恭(りゅうりきょう)の号が刻まれており、江戸中期に活躍した文人画家、柳沢淇園(きえん)の書であることから、郡山藩主柳沢家との深い関わりがうかがわれます。境内に入ってすぐ左側の燈籠は、江戸末期の安政伊賀地震で亡くなられた人々のために造られたといいます。
狛犬(こまいぬ)は全国的に非常に珍しいもので、本来は特に性別があるものではありませんが、それを示す特徴があり、向かって右側の愛嬌(あいきょう)のある阿形(あぎょう)がメスで、左側の威厳を感じる吽形(うんぎょう)がオスです。また、鎌倉時代から伝わる手のひらサイズの狛犬1対が本殿に大切に所蔵されています。
本殿は一間社隅木入春日造(いっけんやしろすみぎいりかすがづくり)で、正面は蔀戸(しとみど)となっており、1759年に改築、2009年にも改修されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 佳山隆生)
(住 所)大和郡山市材木町32
(祭 神)八幡大神、比咩神(ひめがみ)
(交 通)JR郡山駅から徒歩約5分、近鉄郡山駅から徒歩約10分
(拝 観)無料。約50種の薬草見本園あり
(駐車場)無
(電 話)0743・53・1355
※トップ写真は、薬園八幡神社の幣殿(へいでん)=大和郡山市材木町で
佳山さんは画家で、こんなHPも作られている。薬園八幡神社は城下町のど真ん中にある神社で、立派な社殿には驚かされる。この神社は以前(2015.1.17)、産経新聞の「なら再発見」で、当会会員だった藤村清彦さん(故人)も「屋根、狛犬…“不思議の園”」の見出しで紹介されていた。では、記事全文を紹介する。
薬園八幡神社(大和郡山市)
薬園八幡(やくおんはちまん)神社は郡山城下にあり、創建は奈良時代にさかのぼります。749年、東大寺の大仏造立の鎮守のため宇佐八幡宮から勧請(かんじょう)した八幡大神(やはたのおおかみ)を分霊し、平城宮の南、梨原の地に祭ったのが始まりで、この地にもとよりあった広大な薬草園に由来する名とされます。
750年に今の御旅所(大和郡山市魚町)がある清澄荘薬園に遷(うつ)され、1491年、現在地に鎮座したと伝わります。表門と鳥居の間にある石燈籠(どうろう)の鋭い文字には、柳里恭(りゅうりきょう)の号が刻まれており、江戸中期に活躍した文人画家、柳沢淇園(きえん)の書であることから、郡山藩主柳沢家との深い関わりがうかがわれます。境内に入ってすぐ左側の燈籠は、江戸末期の安政伊賀地震で亡くなられた人々のために造られたといいます。
狛犬(こまいぬ)は全国的に非常に珍しいもので、本来は特に性別があるものではありませんが、それを示す特徴があり、向かって右側の愛嬌(あいきょう)のある阿形(あぎょう)がメスで、左側の威厳を感じる吽形(うんぎょう)がオスです。また、鎌倉時代から伝わる手のひらサイズの狛犬1対が本殿に大切に所蔵されています。
本殿は一間社隅木入春日造(いっけんやしろすみぎいりかすがづくり)で、正面は蔀戸(しとみど)となっており、1759年に改築、2009年にも改修されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 佳山隆生)
(住 所)大和郡山市材木町32
(祭 神)八幡大神、比咩神(ひめがみ)
(交 通)JR郡山駅から徒歩約5分、近鉄郡山駅から徒歩約10分
(拝 観)無料。約50種の薬草見本園あり
(駐車場)無
(電 話)0743・53・1355
