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田中利典師の講演「生と死…修験道に学ぶ」より(2)修験道の3つの側面

2022年12月10日 | 田中利典師曰く
金峯山寺長臈(ちょうろう)田中利典師は、ご自身のFacebookに、ご講演「生と死…修験道に学ぶ」(第42回日本自殺予防学会総会 2018.9.22)の内容を10回に分けて連載された(2022.11.7~20)。心に響くとてもいいお話なので、これを追っかけて拙ブログで紹介している。
※トップ写真は、大阪城の紅葉(2022.11.9 撮影)

第2回の今回のタイトルは「修験道とは」。修験道には3つの側面があり、それを師は分かりやすく説明されている。では師のFacebook(11/8付)から、全文を抜粋する。

シリーズ「生と死…修験道に学ぶ」②「修験道とは」
さて、私は修験道の僧侶になって45年余になります。その修験道で得た教えを通じ、今日は、本学会のテーマと関連して、「生と死~修験道に学ぶ」と題し、一考察をさせていただきます。

本題に入る前に、そもそも修験道とはどういう宗教でしょうか?あとで詳しく申し上げますが、ある理由によってほとんどの人には修験道は遠い存在で、よくわからないものになっています。

私は修験道を3つの項目に分けて説明しております。まず、1つめは「山の宗教、山伏の宗教」ということ。山に伏して修行する、大自然を道場に修行をする、そういう宗教であります。山に伏すから山伏といいます。

山に入り、「懺悔懺悔六根清浄」と唱えながら、1日、2日、3日と山の中をひたすら歩き、あるいは断崖絶壁をよじ登るなどして、自分の心と体を鍛え、山の神仏に自らの心と体を同化させ、自らを高めていく――そういう宗教であります。ただの登山ではなく、大自然を畏怖し、大自然の中に在します神仏の存在を前提に、拝みながら祈りながら修行する宗教なのです。

2つめは「宗派を超えた実践宗教」ということ。修験というのは「実修実験」あるいは「修行験得」--自ら修して、自ら験(しるし)を得る。これを験力(げんりき)といいます。その験力を得る宗教なのです。

つまりお山の中で行じることで大きな力を培うという、実践の宗教が修験道です。大峯山山上ヶ岳の有名な西の覗きという行場では、ロープ一本に身を吊るされて懴悔をする。あるいは滝に打たれたり、座禅や断食など、自分の体を使って実践修行をする宗教、これが修験道です。

3つめは「神仏混淆の多神教的宗教」であるということ。6世紀の半ばに仏教は正式に日本に伝わってまいりました。それ以前に、日本には神信仰というのがありました。教科書で習うとおり、仏教伝来当初、崇仏派の蘇我氏と、廃仏派の物部氏の争いがおきましたけれども、その後、約1300年間、神様と仏様は仲良くやってまいりました。

それを神仏習合とか、神仏混淆といいます。明治維新に神仏分離が行われるまで、日本人にとっては神様と仏様は同じように親しいものであったのです。家に仏壇があって、神棚があって何も違和感がない。

この神様と仏様が仲良くして、いわば仏教を父に、神道を母に、仲の良い夫婦の間にできた子供のような存在が、修験道という宗教であります。神仏混淆の、仏教も神道も、さらに外来の道教も全部受け入れて形成された山の宗教が修験道です。ですから、修験道というのは八百万の神様も、八万四千の法門から生ずる仏様も分け隔てなく尊ぶのです。

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好評いただいている?私の著作振り返りシリーズの第4弾は、平成30年に開催された第42回日本自殺予防学会での特別講演「生と死…修験道に学ぶ」を、9回に分けて紹介させていただきます。もう4年前になりますが、なかなか頑張ってお話ししています。ご感想をお待ちしております。
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