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木造アーケード「陽屋根(ひやね)」を守って来られた 堀元信さん(社内報「なんと」299号)

2022年12月28日 | 奈良にこだわる
南都銀行の社内報「なんと」の「お久しぶりです(退職された方からのお便り)」のコーナーは、同行OB・OGの皆さんが、元気で活躍されている姿がわかるので、いつも真っ先に拝読している。その299号(2022年夏・秋号)では3人のOB・OGが、現況を綴っておられた。
※トップ写真は堀元信さん、奈良新聞の記事サイト(8/3付)から拝借した

天理市丹波市(たんばいち)町は、明治時代初期から市場町として栄えた。特に魚を扱う店が多かった界隈には、南北約100mの木造アーケード「陽屋根」が建てられ、太陽光から鮮魚を守ってきた。

昭和25年のジェーン台風でほとんどの屋根が吹き飛んだが、堀さんのお祖父さまは自費で自宅前の陽屋根を再建し、丹波市町のシンボルとして守ってこられた…。この話は朝日新聞奈良版(6/24付)や奈良新聞(8/3付)でも紹介されていた。では「なんと」の記事全文を以下に紹介する。

想いをつなぐ「陽屋根(ひやね)」
堀元信さん
昭和63年入行、令和4年退職
現在 株式会社森川商店勤務


私の地元である天理市丹波市町は、古くはお伊勢参りの宿場町として栄え、藩から保護された歴史ある町です。その後も昭和20年ごろまで市場町としてにぎわい、その名残としてレトロな風情をとどめていた「陽屋根」が今年1月に撤去されました。

明治初期には、このあたりに魚を扱う店が多く、日光を避けるために陽屋根が建てられ、「木造アーケード」として南北100メートルもありました。昭和25年の台風でほとんどの屋根が飛んでしまいましたが、祖父が町並みには欠かせないものだと、自費で鉄筋の支えやコンクリートの土台固めなどで補強し、丹波市町のシンボル・歴史的建造物として維持してきたと聞いています。

私にとって陽屋根の思い出といえば、子供のころ、すぐ近くの神社で遊んでいて雨が降ったら屋根の下に行ってキャッチボールや、三角ベースをしたことです。まさに現在のドーム球場的な存在でした。

この自宅前の陽屋根ですが、道路交通法上の問題や木の老朽化も進んでいたため、天理市と協議のうえ撤去されることになりました。撤去されたときは寂しさがありましたが、今後モニュメントとして残すなどしていくのが、私の丹波市町への恩返しと思っています。

なお、陽屋根の撤去にあたり屋根の梁に使っていたヒノキ材を天理市に寄贈しました。この立派な大きな梁のヒノキ材が、当時繁栄していた町を裏付けるものとして、次世代の方々の目と心に訴え、リアルに実感していただければとの想いで市役所に持参しました。

天理市からは感謝状をいただくとともに、展示スペースを設ける予定など賛同をいただきました。何ともいえない温かさを感じる陽屋根。なくなってしまいましたが、私をはじめ地元の方々の思い出の中では、これからもそこに在り続けます。




以下の画像は、奈良新聞(2022.8.3付)
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