tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

壷阪寺&般若寺のヤマブキ

2019年04月20日 | 写真
壷阪寺(高市郡高取町壷阪3)では毎年4月上旬~5月中旬にヤマブキ(山吹)が咲き、それを「やまぶきまつり」と呼んでいる。お寺のHPによると、2019年4月17日(水)時点の「やまぶき開花状況」は「一重の山吹は満開、八重の山吹は咲き始め」ということだ。
※写真はすべて、2012年4月29日に壷阪寺で撮影







桜(八重桜)はもう散ったようだが、ヤマブキは境内一円に咲くので、これは見ごたえがある。



今朝(4/20)の奈良新聞によると、般若寺(奈良市般若寺町221)のヤマブキも見ごろを迎えているそうだ(過去の当ブログ記事は、こちら)。「見ごろは今月いっぱい。春らしい黄色い花が境内を彩る」とある。ただしお寺のHPには、境内はコスモスを準備するため整備中で、足元が悪くなっているそうなので、注意しながらお参りいただきたい。
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ひるがお東京駅店の塩ラーメン

2019年04月19日 | グルメガイド
4月8日(月)、東京駅の「東京ラーメンストリート」を訪ねた。東京駅八重洲南口地下1階(東京駅一番街 地下1階南通り)という便利な場所にある。目当ては「ひるがお東京駅店」の「塩ラーメンひるがお盛り」1,080円だ。ぴあMOOK『東京食本Vol.7 丸の内・大手町・東京駅・八重洲を味わい尽くす!』(2018.10.20発行)によると、





塩ラーメンの常識を覆した贅沢なスープ
駅チカの東京ラーメンストリートにある塩ラーメン専門店。ホタテを主役に魚介、煮干し、鶏ガラを絶妙なバランスで整えた厚みのあるスープに、北海道小麦を使用した香り際立つ細麺を合わせた一杯は店主渾身の自信作。




東京ラーメンストリートは好立地だし、8つの人気店が軒を連ねるので、いつも行列ができている。塩ラーメンは好みなので、この店を選んだ。トッピングはご覧の通り豪華なものだ。麺は細麺だが、博多ラーメンほど細くはない。これに塩味のスープがよくからむ。





単に塩味というより「磯の味」を再現したようなスープで、海の味が漂ってくる。潮騒が聞こえてくるような、と言えば良いのか。予想していたより塩味は濃く、お酒の締めにも合いそうなラーメンだった。ぜひいちど、お試しください!
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天ざる・天もり発祥「室町砂場」(東京・日本橋室町)

2019年04月18日 | グルメガイド
4月8日(月)、奈良まほろば館(東京・日本橋三越前)から歩いて5分ほどの老舗「室町砂場」(東京都中央区日本橋室町4-1-13)を訪ねた。ここは「天ざる」「天もり」の発祥地だそうだ。冷たい蕎麦を、かき揚げの入った暖かいツユにつけていただく、いわばつけ麺の「あつもり」だ。ぴあMOOK『東京老舗名店』によると、



路地裏でひっそりと、しかしながら凛とした風格を漂わせる店構え。暖簾をくぐり中へ入れば、坪庭を臨む美しい空間が広がる。初代は、砂場の系譜より暖簾を得て、魚籃坂(ぎょらんざか)に独立。その後、1869年(明治2)に現在の地に移り、店を構えた。当時の地名は本石町だったことから「石町砂場」と称していたが、戦後の町名変更により「室町砂場」を名乗るようになった。


これは春日杉だろうか、見事な年輪が模様を描いている

「蕎麦は日本の文化」を信条に独自の工夫を重ねてきたなかで、三代目の時に考案したのが名物の「天ざる」だ。夏の暑い時期でもおいしく天ぷらを食べられるようにとの想いから、まかないで温かいつゆに天かすを入れて食べていたのをヒントに考え出されたもの。つゆがよくなじんだかき揚げから程よいコクが生まれ、冷たい蕎麦と共に味わえばスルスルと喉を通る美味しさだ。現在店を取り仕切る五代目は日本料理の腕も磨いているため、季節感あふれる一品料理も充実。休日には蕎麦前を楽しみながら、江戸情緒に浸るのも一興だ。


蕎麦の香りが楽しめる「天もり」(一番粉使用)1,550円。「天ざる」(更科粉)は1,600円

「東京の人はかき揚げが好きなのだ」といつも思う。ランチタイム、立ち食い蕎麦屋でかけそばの上に分厚いかき揚げを載せて食べているサラリーマンを見ると、「これが東京パワーの源なのだな」といつも感心する。関西なら、やはり「きつね」だ。

なお関西では「蕎麦前」とは言わない。蕎麦屋さんで、軽い肴で一杯ひっかけることが「蕎麦前」だ(締めが蕎麦だから蕎麦の「前」)。だから東京の蕎麦屋さんでは「蕎麦前」用の肴(板わさ、玉子焼き、天ぷらなど)が充実している。「うどん そば 丼物」の関西とは文化が違うのだ。そういえば浅草生まれの故飯田蝶子さんは「風邪ひいたときはね、お蕎麦屋さんで熱燗をキューっと引っかけて熱いお蕎麦をいただくと、たいてい直っちゃうのよ」と言っていたっけ。

私は講演の前だったので「蕎麦前」は楽しめなかったが、一度はこんな江戸の老舗で、粋に蕎麦前をいただきたいものである。
コメント (2)
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ツツジが見事!御所市の船宿寺/毎日新聞「やまと百寺参り」第1回

2019年04月17日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
2019年4月から毎日新聞奈良版で、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」による連載「やまと百寺参り」がスタートした。毎週木曜日掲載なので初回は4月4日(木)、手始めにこの日は私が書いた。見出しは「船宿寺(せんしゅくじ 御所市)/漢詩に詠まれた花名所」。素晴らしいお写真は、どちらもお寺からお借りしたものだ。

私は実家が九度山町(和歌山県伊都郡)なので、奈良市内の自宅から帰省するときは国道24号を使い、いつもこのお寺の看板の横を通り抜けていて、その途中でお参りしたこともある。しかし最近は京奈和自動車道ができ、御所市も五條市もすっ飛ばしていくのが良いのか悪いのか…。ともあれ全文を紹介する。

船宿寺(御所市) 漢詩に詠まれた花名所
船宿寺(せんしゅくじ)の創始は奈良時代、舟形の大石の傍らに行基が庵(いおり)を構え、薬師如来をまつったことからと伝わります。平安時代には空海が立ち寄り、近くの道は高野街道と呼ばれています。

ツツジなど花の寺として知られ、4月下旬から6月上旬まで、キリシマツツジ、ヒラドツツジ、サツキと順番に咲きます。5月3日には「花まつり法要」「柴燈護摩(さいとうごま)供養」が営まれ、本尊・薬師如来が特別開扉されます。



参道には、「山名船路の意如何(いかん)」で始まる七言絶句が刻まれた石碑が立ちます。江戸時代の漢詩集『葛城三十八景詩集』の第19番「船路井桜(せんじいおう)」で、かつては桜の名所だったようです。

この詩集には御所市から葛城市にわたる広い地域で詠まれた漢詩が集められ現在、同寺の菅原正光住職が代表を務める「かづらき煌(きらめき)ネットワーク」が場所を特定し、すべての地に碑を建てる活動をしています。(奈良まほろばソムリエの会 鉄田憲男)

◇新連載「やまと百寺参り」は、奈良まほろばソムリエの会のメンバーが県内の約百寺を紹介します。
(宗派)高野山真言宗
(住所)御所市五百家(いうか)484
(電話) 0745-66-0036
(交通)近鉄・JR御所駅からバス「船路」下車、徒歩約10分
(拝観)8時~17時 400円 
(駐車場) 有り(300円)


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すし初(東京・湯島天神下)の特上すし!

2019年04月16日 | グルメガイド
4月7日(日)には上野周辺でもう1軒、老舗を訪ねた。それが「湯島天神下 すし初」(東京都文京区湯島3-35-8 コア湯島ビル1階)である。大正10年(1921年)の創業だが、瀟洒なビルの1階にある。ここでは、翌日から(4/8~12)の連続講座の成功を祈願して「特上すし」(税込み2,268円)を注文した。ぴあMOOK『東京老舗名店』には、



伝統の技と新スタイルの融合
湯島天神のお膝元で、江戸前寿司の伝統を守りながら手頃な価格で提供する。厳選されたネタは、創業当時から変わらず築地から毎日仕入れる。鮨だけでなく、新鮮なネタがふんだんに盛られた「重ねちらし」はその美しさも評判だ。

唎酒師(ききざけし)の資格を持ちワインソムリエでもある四代目が、常時揃える30種類の日本酒から、旬と魚との絶妙な組み合わせを教えてくれる。現在ワインの提供を検討するなど新しい鮨の可能性を検討中だ。




うーむ、これはうまい!ネタが新鮮なことはもちろんだが、ネタとシャリの馴染み具合といい、寿司の温度といい、絶妙なのである。しかもそんなに高くない。さすが、江戸前寿司の本場だけのことはある。帰りに、初めて湯島天神(湯島天満宮)にお参りした。Wikipedia「湯島天満宮」によると、



社伝によれば、雄略天皇2年1月(機械的な西暦換算で458年)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建(雄略天皇2年を機械的に西暦に換算した年数)としている。



徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、享保期には富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり庶民に親しまれた。明治5年近代社格制度において郷社に列し、明治18年に府社に昇格した。平成13年(2001年)、神社本庁の別表神社に指定された。平成12年(2000年)3月31日、「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称。


天之手力雄命は、天照大神の天の岩戸ごもりのとき、岩戸の脇に控えていて天照大神が岩戸から顔をのぞかせた時、彼女を引きずり出し、それにより世界に明るさが戻ったという力持ちの神さまである天之手力雄命と菅原道真の取り合わせは、まさに文武両道だ。境内には「講談高座発祥の地」の碑も立っていた。碑文には、



江戸時代中期までの講談は 町の辻々に立っての辻講釈や 粗末な小屋で聴衆と同じ高さで演じられていた 文化四年(1804年)湯島天満宮の境内に住み そこを席場としていた講談師伊東燕晋が 家康公の偉業を読むにあたり庶民と同じ高さでは恐れ多いことを理由に高さ三尺 一間四面の高座常設を北町奉行 小田切土佐守に願い出て許された これが高座の始まりであり 当宮の境内こそ我が国伝統話芸 講談高座発祥の地である
平成十七年十一月吉日 六代目 一龍齋貞水 建立
発起人代表 文京区 区長 煙山 力
湯島天満宮宮司 押見守康 


なるほど、これは初めて知った。犬も歩けば棒に当たる。現地を訪ねると、いろんな気づきがあるものだ。
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