tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

「不良長寿」で行こう!/奈良新聞「明風清音」第56回

2021年05月25日 | 明風清音(奈良新聞)
月2回程度、奈良新聞の「明風清音」欄に寄稿している。先週(2021.5.20)掲載されたのは《「不良長寿」で行こう!》。以前本欄で紹介した『大阪弁訳だけ万葉集』(JDC出版)を機に、出版社の方とつながりができた。そのご縁でお送りいただいたのが、青木匡光著『シニア時代は不良長寿で』(JDC出版)だった。読んでみると、これが面白いし、何より元気が湧いてくる!それで本欄で紹介することにした。では、全文を以下に掲載する。

長谷川眞理子氏(総合研究大学院大学学長)によると、「不老長寿」の欲望を表明するのは主に年配の男性で、女性や若い男性はそんなことは言わないのだそうだ。これはとても興味深い考察で、機会があれば掘り下げてみたいものだが、今回紹介するのは「不良」長寿の話だ。

青木匡光著『シニア時代は不良長寿で』(JDC出版 税込み1650円)で、この造語を知った。著者の青木氏は昭和8年生まれ、大手商社や広告会社勤務を経て、現在はエッセイスト。豊富な人生経験に裏打ちされた興味深い本だ。体系的に書かれているというよりキーワードをちりばめ、シニア世代の生きる指針を鮮やかに示す。

なおタイトルの「不良長寿」とは、好奇心に挑戦する行動派シニアになろう、ということだ。詳細はぜひ本書をお買い求めいただきたいが、私の心に刺さったキーワードを紹介する。

▼ナイスエイジング
帯津良一氏(日本ホリスティック医学協会名誉会長)の造語。アンチエイジングは加齢に抵抗するイメージだが、ナイスエイジングは「どうせ死ぬのなら生きているうちはかっこよく、いい生き方をしようじゃないか」ということで、青木氏は野暮ではなく「粋で艶のある人生」を提唱する。

▼残存能力
会社勤めは、自分の能力の何分の一かでできる。しかし残りの能力を何十年も使わないでおくと、それら未使用能力は退化する。残存能力を活用しよう。

▼人間財産
よき仲間を数多く作り、人生をそれら仲間たちとともに歩む。よき仲間とは、郷愁に浸り過去に生きる人間ではない。常に明日を語り、一歩でも前へ進もうと意欲を燃やす人たちのことだ。

▼挑戦マインド
自分らしい生き方を求めて次から次に新しいテーマに挑戦している人は、会えば何らかの刺激を与えてくれる。このような人はいつも輝いていて、周囲を飽きさせない。挑戦マインドを忘れた人間は、自ら存在意義を否定しているようなものだ。

▼他己(たこ)啓発
一人で大したことはできない。自己啓発も、周囲の励ましや刺激がないと継続するのは難しい。他人との出会いによって自分に刺激を与え、やる気を引き出す活力を生む「他己啓発」を仕掛けよう。自分を磨き、高めてくれるのは他人なのだから。

▼しん友づくり
新友、真友、信友、心友、深友…。いい生き方というのは、一人ではできない。励まし合い、支え合いながら生きていく「しん友」づくりが大切だ。

▼好感度を測る十ヵ条
①エネルギッシュ②食べ物に好き嫌いがない③よくしゃべる④姿勢がいい(特に人と接するとき)⑤笑顔がいい⑥目が生き生きと輝いている⑦話題が豊富⑧服装がこざっぱりしている⑨チャレンジ精神がある⑩ものごとに真剣に取り組むエネルギーを持っている。5つ以上あてはまる項目があれば、人から好かれるのだそうだ。私は、何とかクリアできた。

▼EQ人間
EQ(感情指数)の高い人間とは①何かに120㌫打ち込んでいる人②いくらつきあっても疲れない人③いくらつきあっても退屈しない人④共存共栄を図って伸びていく人⑤度量(心の広さ)の広い人⑥ヒューマニティ(心の温かさ)のある人。

▼人生のシナリオ
人生のシナリオは自分で書き、自分で演じていくことで充実感が味わえる。ポイントは「主体性のある生き方を貫けるか」。それで初めて自分らしい人生が楽しめる。

いかがだろう。含蓄に富んだキーワードの数々。人生百年時代を迎えた今、シニア世代の生き方の参考にしていただきたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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ニュー大黒(法蓮佐保山)の懐かしの洋食!/昭和レトロ食堂(5)

2021年05月24日 | グルメガイド
シリーズ「昭和レトロ食堂」の第5弾は、初の洋食屋さん。奈良市の「ニュー大黒」(奈良市法蓮佐保山3丁目2-26)を紹介する。ここは奈良テレビ放送のすぐ近く(斜め前)だし、よく前を車で通るのだが、入店するのは初めてだった。旧知の吉田遊福さんが推薦してくださったので、間違いないだろうと訪ねた。初回は金曜日(2021.5.21)、2回目は昨日(5/23)だった。
※トップ写真は、「Bランチスペシャル」税込み1290円(5/23撮影)



初回は私が愛してやまないスパゲティナポリタン(お店では「ナポリタンスパゲティー」税込み850円)とエビフライ2尾(1尾100円でいくらでも追加できる)を注文。出てきたのがこちらだ。



ケチャップ味のナポリタンは、まさに昭和レトロな懐かしい味。ナポリタンのことはまた改めて記事にしたいが、この店のナポリタンはハム、ベーコン、ピーマン、玉ネギなどをふんだんに使い、伝統を踏まえたナポリタンに仕上がっている。



パスタはあくまでも柔らかくて腰はなく、ちゃんと粉チーズもタバスコもついている。野菜サラダがついてきて栄養バランスもいい。揚げたてのエビフライはプリプリあつあつで、これはうまい!写真には撮らなかったが、この日はホットコーヒー(日・祝日は340円だが、平日はわずか170円!)も追加した。





2日目は、このお店の一番人気という「Bランチ」(税込み890円)のハンバーグを「大」に変更した「Bランチスペシャル」(税込み1290円)を注文。



そういえば店頭にはBランチの写真がデカデカと出ていた。スペシャルはハンバーグが大きい(固形石けんほどのサイズ!)だけでなく、付け合わせが充実し、ご飯も多めのようだ。






ハムをどけると、おお、ここにも「ナポリタンスパゲッティー」が!

味噌汁か赤だしを追加しようかと迷ったが、写真があまりにもおじん臭くなるので、やめておいた。お店は周辺のサラリーマンやタクシーの運転手さんたちで、よく流行っていた。まさに地元に溶け込んだ洋食屋さんなのだ。これなら子どもさんや若者にも受けることだろう。皆さん、ぜひお訪ねください!
※食べログは、こちら
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レトロ食堂のお手本!マルヒラ食堂(国道横田)/昭和レトロ食堂(4)

2021年05月23日 | グルメガイド
皆さんから私のFacebookにたくさんのコメントをいただき、おかげさまで「昭和レトロ食堂」のリスト(Ver.3=末尾ご参照)が60ヵ店に到達、ありがとうございました!ほぼ半数のお店が未訪問なので、これから訪ねて順次紹介させていただく予定である。



ただ最近の傾向で少し気になるのは「喫茶店」のご紹介が多いこと。私のイメージはあくまで「食堂」なので、その点はご留意いただきたい(喫茶店もリストには掲載するが、食事メニューが限られるので、あまり好ましくない)。



その点、今回紹介する「マルヒラ食堂」(大和郡山市横田町1100)は、典型的な昭和レトロ食堂である。昨日(2021.5.22)の午後に訪問した。場所は国道24号「国道横田」交差点の南西側、ジョーシン郡山店の南だ。



おそらく皆さんもこのお店を道路からご覧になり「この店、営業しているのかな?」と疑問に思っておられたことだろう。それが本当に営業しているのである(日曜・祝日は定休日のようだが)。奈良市からだと国道24号を南下することになるが、道の反対側(西側)なのでとても入りにくいので、ご注意を(私はぐるりと大回りし、北上して入店した)。



このお店、駐車場はとても広く、お店の裏側も駐車場で、トラック運転手さんたちにはとても具合良くできている。かつてはこのようなお店を「昼夜食堂」と言ったが、そんな雰囲気が漂う(ただし営業時間はそんなに長くはなさそうだ)。


スプーンを巻いた昭和レトロな「紙ナプキン」が泣かせる!

ネットの口コミなどを見ると「焼きめし」(税込み480円)と「肉うどん」(同450円)が美味しそうだったので、これらを注文、出てきたのが写真の料理である。うーん、焼きめしは「炒飯」ではなく、あくまでも昔懐かしい「焼きめし」で、香辛料も塩分も控えめのやさしい味だ


お肉はこんなにたっぷり!

肉うどんは肉がとても多く、しかもあっさりツユで、これは美味しい。関西でも最近のうどん屋のうどんツユは、すっかり塩辛くなった。おそらく「白しょうゆ」を多用するからだろうが、私には辛すぎる(逆に、若い人たちはこの店のツユは「薄すぎる」と感じるかもしれない)。


麺は、関西風の柔らか麺(「大阪の腰抜けうどん」とも)

久々にしみじみと「昔懐かしい昭和レトロな味」を堪能した。シニアの皆さん、ぜひいちどお訪ねください!
※食べログは、こちら。営業時間や定休日は、事前に電話(0743-59-1236)でご確認いただきたい


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行基菩薩の供養堂か/喜光寺の西側(菅原遺跡)で円形建物跡!

2021年05月22日 | 奈良にこだわる
昨日(2021.5.21)の新聞各紙はこぞって「菅原遺跡の円形建物跡」のニュースを報じていた。円形建物とは「円堂」や「多宝塔」のことで、たいてい誰かの供養のため(菩提を弔うため)に建てられる。興福寺北円堂(藤原不比等供養)・同南円堂(藤原内麻呂供養)、法隆寺夢殿(聖徳太子供養)、榮山寺八角円堂(藤原武智麻呂供養)という具合である。毎日新聞《8世紀 類例なき円形建物跡 大仏「造立」行基供養か》(5/21付)によると、
※トップ画像は円形建物などの復元図(元興寺文化財研究所制作)。画像は毎日新聞から拝借

元興寺文化財研究所は20日、奈良市疋田町の菅原遺跡で、8世紀半ばの類例のない円形建物と大規模な回廊の跡を確認したと発表した。東大寺大仏の造立を指揮した奈良時代の高僧、行基(668~749年)ゆかりの寺「長岡院」があったとされる地で、同研究所は行基をしのぶ供養堂の遺構で、後世の仏塔建築「多宝塔」の原形である可能性が高いとみている。遺跡からは大仏殿を望むことができ、専門家は「大仏の完成を見ずに亡くなった行基を弔うため弟子たちが建てたのでは」と推測している。

遺跡は平城宮跡の西方、標高106メートルの丘陵上にあり、宅地開発に伴って2020年10月~21年1月に約1960平方メートルを調査。柱穴(直径約21センチ)15基が直径約14・5メートルの円状に並び、その内側にも石を抜き取った跡が円状に確認された。北西側では柱穴の列も見つかり、約40メートル四方の回廊などが円形建物の周囲を巡っていたとみられる。

同研究所は、円形遺構は2層構造の丸い塔の周囲にひさしが付いた多宝塔に似た建物である可能性が高いと推定。多宝塔は平安時代以降に造られた供養塔の一種で、現存建築では大津市の石山寺多宝塔(国宝、鎌倉時代)などが知られるが、奈良時代の確認例はないという。一方、法隆寺夢殿(国宝)など奈良時代には八角形の仏堂「八角円堂」が建てられており、同研究所は「円形基壇の上に八角円堂が建てられていた可能性も残る」としている。

行基は晩年、国家事業だった東大寺の大仏造立に尽力したが、大仏開眼供養会(752年)の3年前、その完成を見ることなく菅原寺(現喜光寺、奈良市)で没した。長岡院は行基らが建てたと伝わる寺院「四十九院」の一つで、行基の業績を記した文献は「菅原寺の西の岡にあった」と記述。菅原遺跡は位置が合致し、1981年の奈良大調査で建物基壇も確認されたが、遺構の性格はよく分かっていなかった。

栄原永遠男・大阪市立大名誉教授(日本古代史)は「亡くなった行基を思い、弟子たちが大仏が出来上がっていく様子を眺められる小高い丘に長岡院を建立したのだろう」と指摘。鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(日本建築史)は「古代インドの釈迦(しゃか)の墓はストゥーパと呼ばれるまんじゅう形の仏塔で、今回の円形建物に影響している可能性がある」と話している。現地説明会はない。6月1日から元興寺文化財研究所ホームページで解説動画を公開予定。【加藤佑輔】


なお現地保存はされないのだそうだ。奈良新聞(5/21付)によると《県文化財保存課によると、宅地造成の計画変更は困難なため、史跡指定を前提に公有化できないか事業者と調整。事業者も理解を示して交渉が続けられたが、買収価格で折り合いがつかず、「断念した」という》《鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長(建築史)は「円形建物の構造は今は分からないが、将来は分かる道筋がつくかもしれない。遺構を保存できず、後世の人が検証できないのは残念だ」と語る》。

現地保存できないのは、かえすがえすも残念だ。行基さん、ごめんなさい!

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空海が伝えたという大和茶/毎日新聞「かるたで知るなら」第7回

2021年05月21日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、同会が制作した「奈良まほろばかるた」の札を使い毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。昨日(2021.5.20)掲載されたのは「茶の文化 ここから/仏隆寺(宇陀市)」、執筆されたのは同会会員で大阪府高槻市在住の宮崎浩行さんだった。以下に全文を紹介する。

〈空海が伝えたという大和茶〉 
1200年以上の歴史をもつ奈良の茶「大和茶」発祥の地といわれる仏隆寺は、平安時代前期の850年(嘉祥3)に弘法大師・空海の弟子、堅恵(けんね)により創建されたと伝わります。「大和三名段」の一つとされる197段の石段や樹齢900年を超えるといわれる門前の「千年桜」で有名な古刹(こさつ)です。

茶の栽培は各地に伝承されていますが仏隆寺は最も古く、806年(大同元)年に空海が唐から持ち帰った茶の種子を堅恵に与え、「苔の園」という茶園を造ったことが始まりとされています。本堂には、空海らが茶と一緒に持ち帰ったと伝わる茶うすが寺宝として現存し、本堂周辺には大和茶ゆかりの地にふさわしく、野生化した茶の木が自生し、「大和茶発祥伝承地」と刻まれた大きな石碑が立っています。本堂の背後には堅恵の墓とされる石室があり、重要文化財に指定されています。

奈良をルーツとする茶は、宮中や寺院の儀式の場で用いられるようになり、室町時代には奈良出身の茶人で「わび茶の祖」として知られる村田珠光(じゅこう)が、茶道の基礎をつくりました。以来、奈良県北東部の大和高原一帯は、日本でも有数の茶の産地として発展してきました。道沿いからは、山の斜面に整然と広がる茶畑を見ることができます。

奈良の茶は現在、県の農業をけん引する「リーディング品目」の一つに位置づけられ、奈良市や山添村を中心に、宇陀市、天理市、大淀町、東吉野村などで栽培され、良質な煎茶やかぶせ茶などが生産されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 宮崎浩行)

【仏隆寺】
(宗派)真言宗室生寺派
(住所)宇陀市榛原赤埴1684
(交通)近鉄榛原駅からバス「高井」バス停下車。徒歩約35分
(拝観時間)9時~16時半
(拝観料)200円
(駐車場)有(無料)


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