tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

金剛流能楽発祥の地 龍田神社(斑鳩町)/毎日新聞「やまとの神さま」第8回

2022年06月20日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。本年(2022年)6月9日に掲載されたのは〈境内に樹齢850年のクス/龍田神社(斑鳩町)〉、執筆されたのは安堵町在住で、奈良まほろばソムリエの会会員(現在は理事)の西川年文さんだった。
※トップ写真は、龍田神社の正面。境内にクスの巨樹がそびえる=斑鳩町龍田1で

なお前週(6/2)に掲載されたのは、三郷町の龍田大社だった。龍田大社の神さまを勧請して建立したので、龍田大社を「本宮」、龍田神社を「新宮」と呼ぶ。では記事全文を紹介する。

龍田神社(斑鳩町)
龍田神社は奈良街道に沿って発達した龍田の町に鎮座します。一帯は閑静な佇(たたず)まいですが、かつては旅籠(はたご)や店舗が軒を連ねた宿場町として大いに賑(にぎ)わっていました。

創建は諸説ありますが、聖徳太子が法隆寺建立の地を龍田大明神の導きでこの斑鳩に定め、その鎮守社として、現在の三郷町の龍田大社から主祭神として風神の天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)と国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)を法隆寺の西方に位置する龍田の地に勧請したと伝わります。その縁で龍田大社の本宮に対して龍田神社は新宮と呼ばれてきました。

境内には拝殿右脇に樹齢850年を数える堂々としたクスの大樹がそびえます。県指定天然記念物の「ソテツの巨樹」の東株、西株とともに境内の厳かな雰囲気を引き締めています。

さらに境内には、「金剛流発祥の地」と書かれた石碑が目を引きます。金剛流は法隆寺に奉仕した大和猿楽(さるがく)四座の一つ、坂戸(さかと)座を源流とした能の流派です。演能は豪快な中にも華麗・優美さがあり「舞金剛」とも呼ばれています。

宗家は京都に移りましたが、龍田神社を校区に持つ町立斑鳩小学校には能クラブがあり、この地で育まれた伝統は、確かに次の世代に受け継がれています。(奈良まほろばソムリエの会会員 西川年文)

(住 所)斑鳩町龍田1の5の3
(主祭神)天御柱大神、国御柱大神
(交 通)JR・近鉄王寺駅から、または近鉄筒井駅から奈良交通バス「竜田神社」下車すぐ
(拝 観)境内自由
(駐車場)有(20台)
(電話)0745・75・3163


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奇観、壮観!香芝市穴虫の屯鶴峰(どんづるぼう)

2022年06月19日 | 奈良にこだわる
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員で香芝市在住のHさんのご案内で、屯鶴峰を訪ねた。屯鶴峰のことは香芝市のHPで紹介されている。



千数百万年前に二上山の火山活動によって火砕流や火山灰などが堆積し、その後の地殻変動によって隆起し、さらに、長い年月の間に侵食されて現在の姿になりました。古くは古墳の石棺材や寺院の基壇などの石材として利用されました。遠くから見ると鶴が屯(たむろ)しているような奇観のため、この名称で呼ばれるようになりました。≪県指定天然記念物≫
所在地:香芝市穴虫地内(穴虫峠から北東へ約350m)、県道703号線沿い






噂には聞いていたが、これはもう奇観としか言いようがない。ぜひ「ブラタモリ」で取り上げていただきたいものだ。屯鶴峰をもう少し歩くと、第二次大戦中に掘られた防空壕(地下壕)2穴があった。本土決戦に備えて終戦の日まで掘り進められたが結局、使われることはなかった。


向かって左の穴(西壕)は土で塞がっていたが、右の穴(東壕)は貫通していた


穴の奥から、涼しい風が吹いてくるが(東壕)、水が溜っていて中には入れなかった

防空壕からもう少し奥に行くと、もう1穴があり、どうも旧陸軍の戦闘指令所として掘られたもののようである。これらは貴重な昭和遺産(戦争遺産)として、語り続けていただきたいものである。


入り口はコンクリートブロックで補強されていた



屯鶴峰に来ても、地下壕まで足を伸ばす人は少ないだろう。彼女は何度も下見に来られ、そこで出会った人から地下壕の存在を知ったそうだ。屯鶴峰は砂利道が滑りやすいので、トレッキングシューズやキャラバンシューズがお薦めだ。そこに杖があれば、下り坂が歩きやすくなる。





Hさん、ありがとうございました。1人では、とてもここまでたどり着けませんでした。香芝市の貴重な遺産として、お守りください!
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定年退職後、大学に入り直し仏教を学ぶ/南都銀行OB便り「お久しぶりです」

2022年06月18日 | 奈良にこだわる
南都銀行の社内報「なんと」が送られて来た。いつも真っ先に開くのは「お久しぶりです」という退職者の紹介ページである。2022年春号(298号)で紹介されていたのは、宇陀市榛原にお住まいで、円隆寺(浄土真宗本願寺派)住職の萩野公章さんだった。萩野さんは昭和25年(1950年)12月のお生まれというから、私より3つ年上の満71歳である。


以下4枚の写真は、昨年行われた円隆寺本堂再建落慶法要の模様。萩野さんから拝借した

ご実家がお寺。38歳からお父さまの代わりに僧侶を務め、銀行と兼務。60歳で定年退職されてからは、受験勉強ののち62歳で龍谷大学に入学。「講義の1分1秒が私にとっては宝石のような代えがたいもの」と、熱心に勉強され、卒業後は大学院にも進まれたという。これはなかなかできることではない。では「お久しぶりです」の全文を以下に紹介する。



私は寺院の生まれで、21歳で僧侶の資格は取ったものの、寺の仕事はすべて父親任せで南都銀行に勤めていましたが、38歳の時父親が倒れ寺の仕事が一気に私の肩にかかってきました。妻に助けてもらいながら(だから今でも妻には頭が上がりません)何とかやってきましたが、何も知らない、何も出来ない坊さんでした。



60歳の定年をきっかけに仏教を一から勉強しようと一念発起、受験勉強の後、平成25年(2013年)龍谷大学文学部に入学、リュックに仏教書を詰め込んで片道2時間の学生生活が始まりました。はるか昔の学生時代には、いかに要領よく単位を取ることしか考えていなかったのですが、学びたいとの思いでする学問がこれほど楽しいものとは自分でも意外でした。講義の1分1秒が私にとっては宝石のような代えがたいものでした。



また素晴らしい出会いの場でもありました。ゼミの教授は私より年下の方でしたが、いつも親切に教えていただき、また人生について語りあったことが忘れられません。20歳の学友たちともすっかり仲良くなって先斗町の飲み屋街を歩き回った思い出がよみがえります。私は銀行員時代の癖で登校時にはネクタイを着用していたのですが、キャンパスを歩いていると、いつも教授に間違われて知らない学生からあいさつを受けて面おも映は ゆい思いをしたものです。

その後、教授の勧めもあって大学院に進みましたが、卒業時には銀行定年時に心身ともに疲れていた私も、“青春again”ですっかり若さを取り戻し、今も元気に走り回っております。


萩野さんは現在、自治会長、民生委員をお務めのほか、西本願寺系寺院21ヵ寺からなる宇陀市北部の組織(組会)の長までお務めだという。

来年は「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年」。それに先立ち宇陀市でも「慶讃お待ち受け法要」が6月26日(日)に行われるが、その実行委員長もお務めになっている。まさに八面六臂のご活躍だ。

萩野先輩、身につけられた知識・ノウハウを総動員して、これからも社会に貢献してください!

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倉橋みどりさん 初の句集『寧楽(ねいらく)』/奈良新聞「明風清音」第74回

2022年06月17日 | 明風清音(奈良新聞)
倉橋みどりさんは編集者・ライターで、奈良きたまちの「踏花舎」を拠点に活動されている(ホームページは、こちら)。私はこれまで、奈良まほろばソムリエの会や南都銀行の講演会にお招きし、何度か講師をお務めいただいた。テーマは万葉集や俳句、歴史に登場する女性たちだった。

倉橋さんはまた、今年(2022年)4月25日に初の句集『寧楽』を上梓された俳人でもある。私は本書を拝読し、とても興味を覚えた。言葉遣いは平易だが心に残る秀句揃いだったし、奈良を読んだ句も多い。個人的には、恋の行方も気になった。

私は俳句も詠めない素人だが、このように素人の心をとらえる句集は、もっと知ってほしいと願い、奈良新聞「明風清音」欄(6/16付)で紹介させていただいた。ご担当の辻恵介さんは、きれいに記事をレイアウトして下さった。

タイミング良く6月19日(日)からは啓林堂書店奈良店で、増刷分の販売も開始される。ぜひ実際に書店で、手に取ってご覧いただきたいと思う。では記事全文を紹介する。

倉橋みどりさんの句集
4月に刊行された倉橋みどりさん(俳人、編集者)の初の句集『寧楽(ねいらく)』(角川文化振興財団刊 税別2700円)を読んだ。2007年以降に発表された387句を厳選し、それらを年代順に並べたものだ。わずか17音の俳句も、このようにまとまると、まるで一篇の「私小説」を読んでいるような深い感銘を受ける。何度も読み返し、心に残った句を書き出すと、約70句にもなった。

本書の帯には倉橋さんの「自選十句」が載っている(末尾に掲載)。ほとんどが私の70句と重なるが、全く毛色の違うものもある。「あとがき」に〈こうしてまとめることは、素っ裸の私をお見せするようでたまらなく恥ずかしい〉とお書きだが、よそ行きではない彼女の素顔が浮かんでくるから文学は恐ろしい。

倉橋さんのイメージといえば、いつも明るく前向き、ユーモアを解し、好きな色は赤。しかし、常に明るく前向きな人などいるはずがない。時には落ち込んだり、また時には恋の予感にときめいたり…。ジャンルを分け、私が気になった句を紹介する。( )内は私が補記した。

▼ユーモラスな句
三月の大きな欠伸(あくび)猫も我も
遠足子よそみも二人一組で
初みくじ大凶なかつたことにする

▼お好みの赤色を詠んだ句
マフラーは赤ケータイは持たぬ主義
花屑(くず)をはらひ真つ赤な傘たたむ
八月のワンピースは赤走り出す

▼花木を詠んだ句
闇に赤鎮もつてゆく実南天
蝋梅(ろうばい)は光集めて香りをり
いま一片やがて一切花吹雪

最後の句は俳人・長谷川櫂(かい)氏の目に止まった。〈満開の桜から花びらがひとひら舞い降りる。そのひとひらを見て、数かぎりない花びらの飛び交う光景を予感しているのだ。ひとひらの静かさと無数の花吹雪の静かさ。何事もはじめはかすかだが、たちまち奔流となる。句集『寧楽』から〉(5月13日付読売新聞「四季」欄)。

▼曼珠沙華を詠んだ句
赤の好きな倉橋さんは曼珠沙華(ヒガンバナ)がお好きなようで、何句も詠んでいる。

群れてなほ哀しき赤の曼珠沙華
あやとりはいつも紅糸曼珠沙華
曼珠沙華かくも冷たき炎かな

▼恋や恋の予感を詠んだ句
いつまでも指の冷たき男かな
芒原(すすきはら)見つめてゐたる君を見る
花吹雪声を殺して泣いてゐる
風鈴の鳴らねば君に会ひたくて
春夕焼背負つて歩く男かな
星飛んであの日のワインあけませう
君とゐる不思議を思ふ十二月
夕立が似合ふ豊川悦司かな

後ろの4句は本書第4章「君とゐる」に掲載されている。倉橋さんはどこかで「俳句では、気持ちは言わずに匂わせる」とお書きだったが、何だか気になる句ばかりだ。トヨエツのような謎めいた雰囲気の男性とは、その後どうなったのだろう。それとも私の思い過ごしなのか。

▼「自選十句」
では最後に、倉橋さんの「自選十句」を紹介しておく。奈良を詠んだ名句ばかりである。

黄落(紅葉)や正倉院に錠おりて
秋の蚊に小指を食はれ業平寺(不退寺)
つちふる(黄砂が降る)と都の趾(あと)に都人 
去年(こぞ)今年奈良太郎(東大寺の大鐘)の音鎮もれる
行く春や転害門ある手貝町
再建の塔(法輪寺)より秋の風の音  
大寺をつつんで若草山眠る 
時雨きて鹿も加はる雨やどり 
佐保川の千鳥ぞ光る石拾ふ 
満行(お水取り)や大和の春は調(ととの)ひぬ

句集『寧楽』は啓林堂書店奈良店で、19日から増刷分を販売予定。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


なお、この句集に掲載されている「食パンの黴(かび)のぶんだけ重くなり」は、俳人・坪内稔典さんが毎日新聞「季語刻々」(6/5付)で、このように紹介されていた。

これ、ほんとうか。精巧なはかりでカビのないパンとカビの生えたパンを量ったら判明するだろう。事実はともかく、カビの生えたパンはいかにも重くなった感じではある。句集「寧楽(ねいらく)」(角川書店)から引いたが、この句集には「黴重く太宰治の文庫本」もある。作者は奈良市に住み、同市の観光大使をつとめる俳人。俳句結社「寧楽」を主宰している。<坪内稔典>

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田中利典師の『吉野薫風抄』白馬社刊(5)/欲張るな、怒るな、グチるな!

2022年06月16日 | 田中利典師曰く
田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ。第5回の今回は「花咲か爺さんへの道」。師ご自身が「この文章はけっこう気に入っている」とお書きの自信作である。師のFacebook(4/26付)から転載する。
※トップ写真は吉野山中千本付近で撮影(2022.4.11)。テーマに合わせ満開の桜の写真とした

シリーズ吉野薫風抄⑤/「花咲か爺さんへの道」
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。よろしければご覧下さい。 

************ 

「花咲か爺さんへの道」
日本は今や高齢化社会ということで、老人問題が大きく取沙汰されている。平均年齢はどんどん高くなり、百歳を越えるお年寄りが来年には全国で2千人を上回るという。有難い話である。老人問題は社会的な面、経済的な面、福祉の面などいろんな問題を含んでいるが、私は個々人の問題として考えてみたい。

「子供叱るな来た道じゃ、年寄り嫌うな行く道じゃ」という道歌の通り、老いも若きもそれぞれに老いるということは自分自身のことである。誰しも必ず老いるのである。それならば見事に老いねばならない。よき老後を迎えることを考えねばならない。

人間の心には三つの毒がある。貪・瞋・痴(とん・じん・ち)の三毒である。貪はむさぼりの心、つまり欲ばり爺さんである。瞋はいかりの心、つまり怒ってばっかりいるガミガミ爺さんである。痴は愚痴をいうこと。つまりぐちぐち文句ばかり言う爺さんである。

この三毒が老いるにつれて、少しずつうすれて無くなっていくか、逆に益々増えていくか、これによって、その人の老後のあり方が決まってしまうのである。若い頃、どんなにりっぱに生きようが、年老いて三毒の毒牙にまみれてしまうようであれば、その人の人生はやはり幸せであるとは言えない。

どんな美しい花でも枯れ果てれば醜いし、どんな素晴らしい車でも、乗りつぶせばただのポンコツである。けれど、人間はそんな植物や道具などとは違うのである。同じになってはいけないのである。受け難き人身を受けた我々こそ、老いに等しい時間をかけて、心の修行を積まねばならない。

貪らないこと、怒らないこと、愚痴を言わないこと、この三つを充々肝に銘じておきたい。ただそれだけで充分、良き老いの道が開かれるにちがいない。童話の花咲か爺さんのように、年老いて、花を咲かせる、そんな老人になりたいものである。

**************

この文章はけっこう気に入っている。でも、私が30歳の頃に認(したた)めたものなので、「百歳以上の高齢者が来年は2千人を超える」と文中に書いているが、笑えるほど、隔世の感がある。2021年の厚生労働省調べによると、なんと全国で百歳以上は現在、86,510人。1年で前年比6,060人の増というから、もの凄いことになっている。

統計を遡ると、1987年にようやく2千人を超えているのだから、本文を認めてからここ35年ほどの増加率は爆裂的というほかない。高齢化社会といわれて久しいが、日本は間違いないの超老人社会なのだと改めて痛感した。

さてさて、花咲か爺さんのような老人に溢れている現代社会なのだろうか。老害ばかりを目にする毎日にため息が出ますよね。ま、いつの間にか、私自身も老人の身になっているのですが…。なお、Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
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