tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

勝手に「奈良県十大料理」をリストアップ!/奈良新聞「明風清音」第91回

2023年07月26日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に投稿している。先週(2023.7.20)掲載されたのは「勝手に奈良県十大料理」で、これは面白い企画だったと自画自賛している。しかも当ブログやFacebookの読者の皆さんから、貴重なご意見もたくさんいただいた。おかげさまで、良いリストが完成した。これを超えるものは、現われないのではないか。では、以下に全文を紹介する。
※トップ写真は自家製の奈良茶飯。塩昆布も、ダシを取ったあとの昆布から作った(7/6撮影)

勝手に奈良県十大料理
私がSNSで勝手に募集していた「奈良県十大料理」が、このたびようやくまとまった。きっかけは、書店でチラ見した大阪検定の公式テキストブック『大阪の教科書 上級編』(創元社刊)だった。そこには「大阪十大料理」として、てっちり、大阪ずし、うどん、ウナギまむしなどがリストアップされていた(なお大阪検定は、2022年度をもって終了した)。

「おお、これは面白い。しかし奈良でも、これはできるのではないか」とひらめいた。何しろ奈良は「日本の食文化の発祥地」とも言われているのだ。早速、私のブログ「どっぷり!奈良漬」とフェイスブックで呼びかけた。それを半月ほどかけてまとめたのが以下の10品である(すべて同率1位)。



▼奈良県産手延べそうめん
〈そうめん作りに必要なことは①水が良く、②質の良い小麦粉がとれ、③胡麻油・綿実油(めんじつゆ)が得やすく、④冬の冷え込みが厳しく、乾燥に適していること〉(たべもの起源事典「そうめん」)。これらの条件に適う桜井市、吉野郡、山辺郡などでは、細くてコシがあり、ゆで伸びしない手延べそうめんが作られている。

▼大和の茶粥・奈良茶飯
「大和の茶粥、京都の白粥、河内のどろ食い」という言葉がある。大和の茶粥は、香りが高くてさらっとしているのが特徴だ。それに対し河内の茶粥は、泥のように固いといわれる。奈良茶飯は、米と煎った大豆をほうじ茶で炊き上げる。



▼色ご飯(炊き込みご飯)
春にはタケノコや山菜、秋にはマツタケなどのキノコと、四季折々の具材を入れて炊く。



大淀町のご家庭で手作りされた青葉の柿の葉ずし。1日経ってちょうど食べ頃!(6/7撮影)

▼柿の葉ずし・朴の葉ずし
吉野川の流域では、川開きなど夏の祭事にあわせて柿の葉ずしを自宅で作る。もう少し南(奥大和)では、朴(ほお)の大きな葉で包む。

▼めはりずし
山仕事の弁当として、吉野郡などで作られた。高菜や春まなの漬物でご飯を包む。名前の由来は「目を見張るように大きく口を開けるから」「目を見張るほど美味しいから」など。

▼鮎ずし・鮎の姿ずし
吉野川などの鮎(アユ)を使った鮎ずしは、吉野郡の郷土料理だ。文楽・歌舞伎の『義経千本桜』三段目「すしやの段」に釣瓶鮓屋(つるべすしや)が登場することで、広く知られている。

▼飛鳥鍋
鶏肉や野菜を牛乳とだし汁で煮込んだ郷土料理。飛鳥時代に唐から来た使者が乳製品を伝え、孝徳天皇へ献上したところ大変喜ばれ、乳牛が宮中で飼育されるようになった。これが日本における牛乳飲用のはじまりといわれる。

▼ぼたん鍋(しし鍋)
県南部などで収獲された猪(イノシシ)の肉を使った鍋物。猪肉には特有の臭みがあるので、ゴボウ、ネギ、水菜、菊菜などの香味野菜を多く入れ、薬味にショウガ、粉山椒などを使い、味噌で煮込む。寒い冬の夜、ぼたん鍋を食べると体が芯から温まる。

▼かしわ(鶏肉)のすき焼き
関西では食用の鶏肉を「かしわ」と呼ぶ。かしわのすき焼きは、ハレの日のごちそうとして食べられてきた。締めに、そうめんを入れるお家もある。

▼ご当地ラーメン
県下には、天理スタミナ系ラーメンをはじめ、富雄(奈良市)のラーメン、王寺町のラーメンなど、美味しくて個性豊かなラーメン店が目白押しだ。ミシュランガイドに掲載された店や、カップ麺や半生麺として広く売り出されているものもある。

さて奈良県十大料理、いががだったろうか。いつか「十大料理食べ比べ」などの催物ができないかと密かにたくらんでいるところだ。

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田中利典師の「忙しがっているだけ…」

2023年07月25日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、2012年の「年末雑感」(師のブログ 2012.12.8 付)である。天理市出身の故村上和雄氏(分子生物学者、筑波大学名誉教授)の講演からの発想で、まさに「師走」にふさわしいお話を書かれたのである。では、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)

年末雑感2012
「先生、いつも、お忙しいですね」っていうと、必ず「いえ、大丈夫です。忙しがっているだけですから…」と答える先輩がいる。「忙しがっている」って、けだし、名言だと思う。そうなんだ、自分で忙しがっているだけで、ホントはそんなに忙しくないんだ…って思うと、その通りだと思える。

ここ数年、正直、傍目に見ても私には忙しい日々が続いてきた。怒濤の日々、などと自分で言ったりする。でも確かに忙しかったのは間違いないが、まあ、忙しがっていたのだといわれると、そうとも思える。

どうしてもしなくてはならないことに追われていたというより、自分でやりたいことを次々始めては忙しくしてきただけで、忙しがって生きてきたのが事実なのかもしれない…とも思える。

先日、遺伝子工学の世界的権威者である村上和雄師の講演を聴いた。師曰く「地球は48億年前に生まれ、40億年前に一個の生命細胞が誕生した。その一個の生命細胞から、その後全ての地球上の生命が生み出された。人間もまたその一個の細胞から始まっている」。

「そしてその最初の細胞から今に至るまでの全記憶データはあらゆる生命に全て受け継がれているのだ。つまり人の命というのは厳密に言うと、40億才プラス実年齢となる。よって、5才の子どもも、80才の老人もそう大した変わりはない。40億+5と40億+80の違いを考えるとね…」というようなお話だった。

この村上先生のお話を聞いて、私は「やっぱり、忙しがって生きなければならない」とまた思い直した。「私」という今生の命は、40億の継続の中で生まれたのだけれど、私でいられる時というのはまさに40億の上に立つ、数十年ってことである。

大事に大事に生きないことには、自分に至るまでのあらゆる命に申し訳ない。しかも、限られた時間を「私」として無駄にしないように。

修験道には「死に習う」という教えがある。常に自分の死を念頭において、今日の命を精一杯生きなさいということであるが、逆に「生に習う」ということも言えるような気がする。

自分の命の連続性を思うほどに、今の命を大事に生きなければならないのだ。となれば、忙しがって生きるのもそう悪くはないってことになる…などと思ったりしている今年の年末雑感である。
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境内に椎の原生林「志都美(しずみ)神社の社叢(しゃそう)」(香芝市)/毎日新聞「やまとの神さま」第52回

2023年07月24日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.7.20)掲載されたのは〈病気に霊験 清水の伝承/志都美神社(香芝市)〉、執筆されたのは同会理事で、香芝市在住の柏尾信尚さんだった。
※トップ写真は、志都美神社の拝殿=香芝市今泉で

志都美とは珍しい名前だが、「清水」が転じたという説や(かつて清水の湧く池があった)、「椎積み」から来ているという説がある(境内に椎の原生林がある)。

奈良県内の神社としては珍しく、FacebookおよびInstagramを開設されているし、昨年は拝殿の修繕や巫女神楽の存続のため、クラウドファンディングで資金を募られた(見事、目標額の350万円を達成された)。では、記事全文を紹介する。

志都美神社(香芝市)
志都美(しずみ)神社は香芝市の武烈天皇陵の南に鎮座し、「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載された古社。祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)はじめ3柱で、東側を太子道(たいしみち=斑鳩~大阪府太子町の太子葬送の道)が通っています。

社伝によると、813(弘仁4)年、藤原氏の一族である片岡氏が草創したとされます。かつては神仏習合思想に基づき境内に清水山明王院(きよみずさんみょうおういん)という真言宗の寺が建てられましたが、明治の神仏分離で廃寺になりました。現在も明王院という石灯籠(とうろう)が残っています。

境内には、かつて清水の湧く池があったといわれ、盲目の僧侶が目を洗い、霊験を得て見えるようになったという伝承があり、「清水(きよみず)八幡宮」「シズヒメ明神」とも呼ばれていたと伝わります。今も境内の手水鉢(ちょうずばち)などに「清水八幡」の刻印が見られます。現在の本殿は正面の柱間が三つある三間社流造(さんけんしゃながれづくり)で、江戸時代中期の建立と考えられます。

1880(明治13)年、コレラが大流行したとき、氏子の祈願で当地からは感染者が出なかったといい、感謝の気持ちを表した碑が本殿背後の石垣に奉納されています。神社の後方に広がる森にはシイを中心とした貴重な原始林が残っており「志都美神社の社叢(しゃそう)」として県の天然記念物に指定されています。(奈良まほろばソムリエの会会員 柏尾信尚)

(住 所)香芝市今泉582
(祭 神)天児屋根命(あめのこやねのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)
(交 通)JR志都美駅から西へ徒歩約10分
(拝 観)境内自由
(駐車場)有
(電 話)0745・77・5069


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田中利典師の名言集(6)「現実は甘くないが、私は楽観的に生きたい」

2023年07月23日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、名言集(6)である。「言葉を重ねる(6)」(師のブログ 2012.6.13 付)から引用させていただいた。師がTwitterで発信された名言の「まとめ」である。今回も、珠玉の言葉のオンパレード、ぜひ熟読玩味していただきたい。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)

言葉を重ねる(6)
言葉を重ねる…パート6をお届けします。

    
「1日の長さは24時間だけど、悲しみは長く楽しみは短い」

「自分に興味を持ってもらえることは、生きる喜びのひとつである」

「過去の自分がはずかしいのは、今の自分がはずかしいからだ」

「夜が待ち遠しい人生。夜が怖い人生。幸福の尺度かも知れない」

「逃げも隠れもしないけど、ちょっとだけ、消えたいときもある」

「なんのために生きるのか? 私が私であるために、です」

「人生に正解などはありはしない。あるがままに流れるだけだ。ただあるとするなら、自分の思うがままに生きることが大切だってこと」

「現実は甘くないけど、僕は楽観的にいきたい」

「自分のために生きることが誰かのためになればいい。誰かのために生きることが自分のためになればいい。そういう人生は素晴らしい」

「人生に意味などありはしない。万一あるとしたら、それは自分を確かめること」

「完全主義者は嫌いじゃない。私自身がずいぶんいい加減なのに、完全でありたいと思っているから。でもそんなに頑張らなくてもいいんだよね」

「友達って簡単にいうけれど、かけがえのない人はそういるわけではない。それに気づいたとき人生はまた豊かになる」

「大事なものは得難いのに、失うのはたやすい。だから大切に大切にしなくてはもったいない」

「難しい顔より笑顔がいい。笑っているあなたは最高です」

「わかり合える人を一人でも失うことは人生の損失だ」

「巡り来る季節の中で人は生きる。生きている限り、人はまた巡り会うこともできる」

「所詮人の世のことは、泡沫(うたかた)の夢。酔いしれるのも一興です」
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75段の階(きざはし)、谷間の水神さまを祭る丹生川上神社下社(下市町)/毎日新聞「やまとの神さま」第51回

2023年07月22日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.7.13)掲載されたのは〈「階」75段、絵馬発祥の社/丹生川上神社 下社(下市町)〉、執筆されたのは、同会会員で奈良市にお住まいの本井良明(もとい・よしあき)さんだった。
※トップ写真は、丹生川上神社 下社の拝殿(手前)と丹生山の本殿(奥)をつなぐ屋根付きの「階」=下市町長谷で

今回が丹生川上神社の最後となる。丹生川上神社は三社すべてが水の神さまを祭るが、それぞれ性格が異なると書いた。今回のご祭神・闇龗神(くらおかみのかみ)は、谷間の水の神さまである。境内には井戸「丹生の御食の井(みけのい)」があり、蛇口をひねるとご神水が出てくる(ただし水量は少ない)。この水は「いのちの水」とも呼ばれている。では、記事全文を紹介する。

丹生川上神社 下社(下市町)
神前に供える台「三方」や割箸などの木工製品で有名な下市町。中心部から大峰山に向かう丹生(にう)川沿い(旧丹生村)に丹生川上神社 下社(しもしゃ)は鎮座しています。正式名は丹生川上神社で、上社(かみしゃ=川上村)、中社(なかしゃ=東吉野村)と区別するため「下社」を付けて呼ばれます。

社伝などによると、丹生川上神社は675年に天武天皇により建立され、平安時代の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されました。室町時代後半から所在地が不明になりましたが、江戸時代に丹生大明神と呼ばれた現在の下社が有力地の一つに認められました。1952(昭和27)年には上社、中社、下社が別々の宗教法人として独立しました。

御祭神は闇龗神(くらおかみのかみ)という谷間の水の神で、境内にはご神水「丹生の御食(みけ)の井(い)」があります。拝殿と、後方の丹生山の本殿との間は、屋根が付いた75段の「階(きざはし)」(約30㍍、傾斜約30度)でつながる独特の造りです。

古くから朝廷より祈雨(きう)に黒馬が、祈晴(きせい)には白馬がそれぞれ献上されたことから「絵馬」発祥の社としても有名です。560年ぶりに2012年から境内で黒馬と白馬が飼育されています。丹生川から運び込まれ、奉納された産霊石(むすびいし)には、安産などのご利益があるとされています。(奈良まほろばソムリエの会会員 本井良明)

(住 所)下市町長谷(ながたに)1の1
(祭 神)闇龗神(くらおかみのかみ)
(交 通)近鉄下市口駅から笠木・洞川(どろがわ)温泉行きバスで「長谷」下車すぐ
(拝 観)境内自由
(駐車場)有り
(電 話)0747・58・0823


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