tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師曰く、「日本は長寿企業大国」

2023年07月21日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「日本よ、もっと元気になろう」(師のブログ 2012.11.22 付)である。この頃、師は『仏教タイムス』紙に書かれた過去の「年頭所感」を回顧されていた。今回は、その2011年版である。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)

日本は世界一の「長寿企業大国」なのだから、もっと自信を持とう、と書かれていて、何だか元気が出てくる。この頃はバブル崩壊から続く「失われた30年」のまっただ中で、2011年3月には東日本大震災が起きた…。では以下に全文を紹介する。

年頭所感2011:「日本よ、もっと元気になろう」
今週ずっと続けている、毎年書かせていただく仏教タイムス紙の年頭所感バックナンバー…2011年版です。

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「日本よ、もっと元気になろう」(年頭所感 2011)
新年明けましておめでとうございます。さて昨今はホントに日本が元気がなくて心配です。もっと元気出せよと言いたいですね。あるブログで、おもしろい調査結果をみつけました。

それは世界中で、創業200年以上の企業を調べると全世界57ヵ国に5710社あり、その内わが国は3100社で全体の43%を占めている、というのです。つまりわが国は世界の中の長寿企業大国なのです。

次に多いのはドイツで1560社(22%)、フランス、イタリアは300社程度とのこと。北京五輪で5000年の歴史を自慢した中国は、わずか60社ほどで、日本に文化を伝えたと豪語するお隣の韓国に至っては1社もないのだそうです。実に我が国はすごい国なのです。

ブログでは、そのすごい国になさしめた要因は、万世一系の国柄、勤労の精神、職人の尊重、和の精神、信の精神、三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)の精神などをあげていますが、これは大いに誇れることでしょう。

最近ほんとに日本は元気がなく、現実的に長引く不景気がみんなを意気消沈にし、しかも自虐的な考えに立つ人たちが国の中枢にいて、みていて穏やかならざるものを感じてなりません。

そんなに悲観的にならなくてもよいのに、そんなに自分の国のことを卑下しなくてもよいのにと、つい言いたくなりますが、件のブログを見ても、この日本は世界に冠たる長寿企業大国だし、それほどに平和と経済が安定している素晴らしい国だから、こういう結果が導き出されるのだと自信を持ってよいのだと思うのですが…。もっと堂々としたいものです。

戦後日本は経済優先主義で敗戦復興から突っ走って来ました。しかしその経済を支えたのは精神だと思っています。さきほどの、勤労の精神、職人の尊重、和の精神、信の精神、三方よしの精神の基層の部分は、実は日本的な宗教風土によって育まれたと言って過言ではないと、一宗教者の立場からは申し上げたいと思います。

たかが経済です。されど経済です。日本人の経済を支えてきた精神は日本仏教であり、神道であり、数多の先人たちの大いなる営みであったはずです。

伝統的な仏教も神道も経済同様に昨今はなんか元気がないような様相ですが、まず宗教人から元気になって、日本人の自信を取り戻せるようにしなければならないのです。長寿経済大国は世界に冠たる長寿寺社大国がなさしめたということを自覚したいと思います。 合掌

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*去年行った講演の主題のひとつは、この長寿大国日本の話でした。まだまだ通用しそうなお話だと思います。
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à plus ( A+)(ア・プリュス)のランチで、奈良県産食材を堪能!

2023年07月20日 | グルメガイド
一昨日に続き、今日も御所市の話題を。「à plus 」(御所市西久保本町1137)は、清酒「風の森」で知られる油長酒造さんの敷地内の蔵をリノベーションされたフレンチレストランである。店名の「à plus」(A+)は、「またね!」の意味があるようだ。この日(7/2)は税込み5,000円のランチをいただいた。お店の公式インスタグラムは、こちらだ。


これが入り口! 駐車場の正面にある。写真は全て2023.7.2 に撮影

シェフは「オーベルジュ・ド・ぷれざんす桜井」のシェフで、「なら食と農の魅力創造国際大学校」(NAFIC)フードクリエイティブ学科で教鞭をとる小林達也さんである。掛け持ちされているので、お店のオープン日や時間帯は限られている。なおオーベルジュ・ド・ぷれざんす桜井は、ミシュランガイド奈良2023で見事、1つ星を獲得された、おめでとうございます!



実は私は、オーベルジュがオープンする直前(2015.8.27~28)、桜井市在住の雑賀耕三郎さんと2人で、ここで講話させていただいたことがある。スタッフの皆さん、全員が奈良県外のご出身ということだったので、奈良の地理や歴史、食文化などに関するお話をしたのである。



おそらく小林シェフも参加されていただろうが「8年も前のことなので、覚えておられないだろうな」と思っていたが、私の顔も名前もちゃんと覚えていてくださり、これには感謝感激だった。このお店、予約サイト「TableCheck」には、



奈良県御所市の酒蔵、油長酒造の敷地内のレストラン
日本を代表する日本酒の銘柄の一つ”風の森”の油長酒造の敷地内にカウンター10席のフランス料理店です。料理は風の森とのペアリングはもちろん、フランス料理のオードブル、コースを楽しむことができます。



乾いた紙おしぼりに冷水をかけると、みるみる膨張する、これは面白い!

ランチはお手頃な値段で日本酒5種類を飲み比べのセットやオードブル、メイン料理をご用意。 ディナーはその季節で一番おいしい奈良県の厳選した食材を使ったフランス料理のコースをご堪能ください。 ライブ感あふれるカウンターキッチンで目の前で完成されていく個性的な料理の数々をお楽しみいただけます。


ジャガイモ、ワサビ、サーモンなどのスープ


カツオの刺身はすさみ町(和歌山県西牟婁郡)の「すさみケンケン鰹」。1本釣り(ケンケン釣り)するのでこの名がついた。稚鮎の衣には、揚げたそうめん(三輪山本の極細「白髪」)がついていた。ライスコロッケも美味しい!

私は今月の初旬(2023.7.2)のランチタイムに、3人で訪ねた。この日も、最高気温が30℃を超える真夏日だった。食事には風の森とのペアリングも考えたが、昼間から飲むと際限がなくなるので、今回はアルコール抜きとした。しかし、アルコールなしの方が料理の味がよく分かるし、きちんとメモが取れた(その分、近くの東川酒店で風の森などを買って帰った)。


五條市「ばあく」の豚肉を使った自家製ベーコン、サラダには味噌タップナード(ペースト)


陶製の鍋で炊いたご飯。米は「秋津穂」で、風の森はこれを使って酒にする


おお、ハヤシライスが出てきた。肉は大和牛。メインの肉料理と締めのご飯がドッキング!


スモモと桃を使ったデザート「スモモも桃も、桃のうち」、味の違いが楽しめる

うーん、これは楽しいランチだった。地元の食材を駆使し、彩り豊かな料理に仕上げている。しかも目隠しのないカウンターキッチンなので、調理や盛り付けのプロセスが見えて、ワクワク感が高まる。お皿を載せる箱型のトレーも、斬新だった。


食後のドリンクは、コーヒーまたは月ヶ瀬のお茶から選ぶ

とても充実したランチだった。次回は夜の部にお邪魔して、銘酒「風の森」もじっくりと楽しみたい。小林シェフ、ありがとうございました。皆さんもぜひお訪ねください!要予約ですので、「TableCheck」でご予約を!
※食べログは、こちら
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田中利典師の名言集(5)「その時その時を真剣に生きる。その積み重ねが答となって現れる」

2023年07月19日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、名言集(5)。「言葉を重ねる(5)」(師のブログ 2012.6.12 付)から引用させていただいた。師がTwitterで発信された名言の「まとめ」である。今回も、珠玉の言葉のオンパレード、ぜひ熟読玩味していただきたい。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)

言葉を重ねる(5)
言葉を重ねる…パート5をお届けします。

「言葉はいつも全てではなく、心もいつも全てではなく、でもほかになにがあるというのだろう」

「本当のことは知らない方が幸せなのかもしれない。でもそれが本当に幸せなの?誰か答えてくれませんか」

「悲しいのは忘れられてしまうこと」

「誰も好きなことだけをして生きた行くわけにはいかないけれど、かといって嫌いなことだけをやって生きてきたわけじゃない」

「あきらめるとはあきらかに見るということ。そこが難しい」

「言葉はいつもこんなに虚しいのに、言葉でしか心は伝えられない」

「大切なことは、自分の思いを捨てないことだ」

「悲しみは伝染する。でも喜びも伝染する。僕は喜びを伝染する生き方をしたい」

「生きているだけでいいと思える一日でありたい」

「眠らない夜もきっと朝は来る」

「人への思いやりは自分への思いの裏返しである」

「人はひとりでは生きて行けないのに、ひとりで生きるさみしさをすぐ忘れる」

「今目の前にあることから逃げるのは、その後の一生を棒に振る、と思った方がよい」

「そうじゃないふりをしながら、人は自分のことだけを語っている」

「その人に応じたものしか天は与えない、と思えば、乗り切れないことはなにもない」

「花咲く今日も花散る明日も、人の世のうつろいは儚くて優しい」

「己心の弥陀(こしんのみだ)という。おのれの心の中に、仏はいるという。でもこの仏、なんにもしてくれない。いつも笑っているだけなんだよね」

「その時その時を真剣に生きる。その積み重ねが答となって現れる」

「桜の散り際の潔さに、人生のはかなさを感じるのです」

「笑顔には人を幸せにする力がある」
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御所市・鴨都波(かもつば)神社の「ススキ提灯(ちょうちん)献燈行事」

2023年07月18日 | 観光にまつわるエトセトラ
一昨日(2023.7.16)、会社で先輩だったFさんのご案内で、鴨都波(かもつば)神社(御所市宮前町513)の夏季大祭「ススキ提灯献燈行事」を詳しく取材することができた、Fさん、ありがとうございました! この日はお天気に恵まれ、朝から快晴。気温もグングン上昇し、最高気温は35.5℃を記録するという猛暑日だった。

奈良新聞(7/14付)の記事〈ススキ提灯献燈行事 住民と学生ら協力 関西学院大生「担い手不足解消へ」〉によると、今年は22地区・23本のススキ提灯が出るうち、関学の学生たち19人は5つの地区のススキ提灯の組み立てや巡行に協力するのだそうだ(末尾に記事画像。動画はこちら)。


写真は全て7/16に撮影。ポスターに載っている地区を数えると38になるが、ススキ提灯は22地区・23本。少子化と高齢化で担い手が不足していたり、コロナ禍のうちに提灯が虫に食われて参加できない地区もあるようだ(提灯は一張り15,000円とか)。

Fさんとは正午過ぎに落ち合い、車で御所まち周辺にお連れいただいた。すると、もう街角に各自治会のススキ提灯が立てかけられていた。4年ぶりの「完全復活」ということなので、力が入っているようだ。なおコロナ「第9波」を心配する声もあるが、そもそも「無病息災」を祈願する行事なので、催行するのが正解だ。鴨都波神社について、同神社のHPによると、


組み上げられたススキ提灯。ほとんどの提灯が、タイヤ付きの台車に載っていた


六軒町の語源は、1740年の豪雨で川の堤防が決壊し6軒しか残らなかったから(県HPより)

第10代崇神(すじん)天皇の御代、大国主命(おおくにぬしのみこと)第11世大田田根子(おおたたねこ)の孫、大加茂都美命(おおかもずみのみこと)に勅を奉りて葛城邑(かつらぎのむら)加茂の地に奉斎されたのが始まりとされている。葛城加茂社(かつらぎかもしゃ)、下津加茂社(しもつかもしゃ)とも称され全国の加茂(鴨)社の根源である。


子どもたちは、お祭りの名脇役だ!このおじいちゃんは、会社のC先輩(私より1歳上)



明治以後、宮中八神殿の一社として鎮魂の祭礼に預かり給う延喜式内明神大社(えんぎしきないみょうじんたいしゃ)である。現在も宮中三殿の1つ合祀され継承されている。事代主神は元来「鴨氏」一族が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源となる。


ススキ提灯は一旦「葛城公園」に集合し、そこから川沿いの道を進み、鴨都波神社をめざす

大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主命の子にあたることから、大神神社の別宮とも称される。当社の古い社名は「鴨都味波八重事代主命神社(かもつみわやえことしろぬしのみことじんじゃ)」であり、「鴨の水端(みずは)の神」と解され、鎮座地付近が葛城川と柳田川の合流点となり水に恵まれていたことから、元々は水の神を祀っていたとする説もある。


御所まちは電線が多いので、傾けないと引っかかるのだ!

また神社を中心とする一帯は「鴨都波遺跡」という弥生時代中期の遺跡として知られ、当時の住居跡や土器、農具などが多数出土しており、古代より鴨氏がこの地に住み着いて農耕生活を始めていたことが窺える。終戦までの旧社格は県社である。



なお「ススキ提灯献燈行事」について、同神社のHPによると、

地元では「鴨の宮」で知られ、旧御所町及び近隣の5つの地区(東松本、竹田、南十三、蛇穴、元町)の氏神として崇敬されている鴨都波神社で行われる献灯行事。夏祭り(7月16日)と秋祭り宵宮(10月スポーツの日の前々日の土曜日)に、五穀豊穣・家内安全・無病息災を祈願し、氏子地域から「ススキ提灯」と呼ばれる30本余りの提灯が奉納される。


「伊勢音頭」の歌声に送られて、提灯が葛城公園を出発!

ススキ提灯とは、2間半(4.5m)ほどの竹製の支柱に、横木を4本通し先端から紐で連結し、高張提灯を上から2・4・4の合計10張を三段に組み立てて、先端部に白幣を掲げたものである。県内においては、稲積みの形をススキまたはスズキと称する所は多いが、当社行事では「稲穂の実っている姿」がススキ提灯に形と伝えられている。



なお、起源については定かではないが、少なくとも江戸時代中期には現存に近い形態が生まれていたであろうと考えられる。献灯行事は県内でも類似のものがみられるが、当社のススキ提灯献灯行事は、県内最大級であると共に奈良盆地南部における祭礼形態を示す代表的な行事として貴重なものとして位置づけられている。平成12年3月、奈良県無形民俗文化財に指定される。




お祭りの様子が、御所ガールのFacebookにアップされていた。

提灯踊る!胸も躍る☆鴨の宮 夏祭り 御所ボーイMです。鴨都波神社(御所市宮前町)で今日(7/16)は夏季大祭が斎行されました!ススキの灯り絶やすことなく まちもな栄えてみな笑う~♪ 伊勢音頭を唄う「鴨の宮鳳鴨会」の先導で各氏子自治会のススキ提灯が葛城公園を出発し御所まちを巡行して宮入り☆





神前に献灯したあと太鼓衆「鴨若鼓」による鉦や太鼓とともに各自治会と「鴨の宮若衆会提灯衆」による提灯練りが行われました !(^^)! 鴨都波神社のススキ提灯は稲穂の形を表し、全国のススキ提灯の原型と言われています!その献灯行事は奈良県の指定無形民族文化財!



いよいよ提灯が鳥居をくぐり、神社の境内に入る。周辺には10以上の夜店が出ていて、若者や子どもたちがたくさん集まっている。ものすごい熱気だ。


宮司さんのお祓いを受ける


太鼓衆「鴨若鼓」による演奏


巫女さんのお祓いを受ける氏子さんたち

いよいよ提灯を使ったパフォーマンスが始まった。このパフォーマンスは、「鴨の宮若衆会」が1993年(平成5年)に結成されてから始まったようなので、そんなに歴史があるわけではない。なお若衆会は、2016年(平成28年)に「あしたのなら表彰」(奈良県知事表彰)を受彰された。



パフォーマンスは楽しいが、最前列にいるとどうも危なっかしいので、途中で引き上げることにした。



このお祭り、京都の祇園祭のように、住民(氏子さんたち)がお金と労力を出し合って作り上げているところが素晴らしい。奈良県内の伝統行事は、お寺や神社主導の祭礼が多いのだ。御所市内では、「茅原(ちはら)のトンド」も地域住民が主体になって実施している。

祭りの担い手や見物人の年齢が若いことにも、驚いた。今年はそこに関学の学生たちも加わっている。江戸時代中期から続く素晴らしい行事、子々孫々にまで伝えていただきたいと願う。

奈良新聞の記事(2023.7.14付)
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田中利典師 ご母堂への思い

2023年07月17日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈我が儘をさせていただきました…「亡き母の供養」〉(師のブログ 2012.10.11 付)より。ご母堂の一周忌にあたり、過去に書かれた追悼の文章(ご葬儀、満中陰、百ヵ日)を再録されている。母を思う子の心が率直に表現された文章の数々、ぜひ最後までお読みいただきたい。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)

我が儘をさせていただきました…「亡き母の供養」
10月8日は、金峯山寺仏舎利殿で、親戚、子ども、母の知友の人などを遠く吉野にお呼び立てをして、母の一周忌を営ませていただいた。ことあるごとに、ずーーと、吉野に来たがっていた母の思いを、最後、納骨前にどうしても叶えたくて、私の我が儘を通させていただいた。「父母恩重経」も読ませていただいた。参拝者に、母の供養にと、恩重経を配ることも出来た。

翌日は実家綾部に戻り、近親者で、納骨法要を営んだ。ようやく、墓におさまった母の骨。みなさんのお蔭で、なんとか、子どものつとめを果たさせていただけた。

かえって多くの人に迷惑をかけることになった。全て、私の我が儘であった。でも我が儘を通せて、有り難かった。母への想いを綴った過去の文章を、一周忌当日の挨拶文につけて、参拝のみなさんに改めて披露した。これも私の我が儘である。

それは、なにも出来ずに見送った母への、私の懺悔でもある。母が私をずっと待っていたこと、そして自分の側にいて欲しいと思っていたことはわかっていた。…わかっていても出来なかったから、やっぱり亡くしてみて、心残りは尽きなかった。今回、我が儘を通させてもらう中で、母への想いを形に出来て、ようやく、私自身が納得を得られたような気がする。

以下、以前にブログにアップしている(当日配った)文章ですが、よろしければ、葬儀、満中陰、百ヶ日・・・それぞれの時に綴った母へのレクイエムです…読んで下さい。

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「子から母へ、その想い・・・葬儀、満中陰、百か日」 …母妙佳法尼に捧ぐ 

◆通夜ご挨拶 「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び集めて、喜びに来る」
本日は母のためにお忙しい中ご参列を賜り、厚く御礼を申し上げます。通夜法話の席ですが、お導師さまにお許しをいただいて、挨拶と合わせて、母を偲ぶお話しをさせていただきたいと思います。

母は大正15年7月に奈良市京終(きょうばて)の地に生まれました。生家はすでにありませんが、平城京が営まれた時代、その都の一番端の土地という意味で京終といったそうです。今は市内に位置します。20代の後半に父得詮大僧正との縁を得て、ここ綾部の地に移り住まわせていただき、約60年になりました。

母はいろいろ苦労をした人生でした。いろいろお世話をかけた人生でした。いろいろみなさんに助けていただいた人生でした。そしてみごとに今生を生ききりました。

私は母の幼い頃のこと、そして若い頃のことは詳しく知りません。実際には、父と一緒になり、私が生まれてからの母しか知らないのですが、満85年の人生を顧みると、最後は苦労のしがいのある、幸せな人生だったように思います。

得詮大僧正の座右の銘に「喜べば、喜びごとが喜んで、喜び集めて、喜びに来る」という言葉があります。父と母とは決して仲むつまじいというような夫婦ではなかったのですが、「喜び集めて、喜びに来る…」というようなところが共通していたから、喧嘩しながらも、添い遂げることが出来たのではないかと思っています。

母はここ2~3年体調を悪くし、入退院を繰り返しました。今年1月に緊急入院して、一時は危篤となりました。そのとき、あんなに行きたがった吉野にも、元気になって行こうと誘っても「もう…よい」と言いました。何かして欲しいことがあるかって聞いても、「にいちゃんには十分してもらったから、もうよい…」と言いました。

そんなふうに心が定まっている母に対し、あの頃の私は泣いてばかりいました。そして9ヵ月、母の長い闘病生活は続き、私にもようやく覚悟らしいものが出来てきていました。

亡くなる前日の12日の夜、ずいぶん弱った母を見て、「家のことも寺のことも、後のことは何も心配はいらないから…死んだ先のこともご本尊に安心してお任せすればよいから」と言い聞かせてやることが出来ました。言い聞かせすぎたのか、翌日朝、母は今生を終えたのでした。死に目には会えませんでしたが、遺体となって再会した母はキラキラと光に包まれていて、とても清らかに見えました。

辛い闘病生活だったと思いますが、最後はたくさんの人に見送られ、賑わいが好きだった母らしく「喜びごとを喜んで」っていうに相応しい人生だったように思います。

母に対し、今まで頂戴したご交情に心より御礼を申し上げるとともに、残りました私どもに、母と変わらぬご交情をいただくことをお願いし、ご挨拶と致します。

◆満中陰 「回転焼きと母」
10月に母が亡くなり、もう満中陰を迎えます。本当に早いものです。母は今年1月に危篤になり、医者からも余命一週間と宣告されましたが、その後、入院治療加療のおかげで、一時期は車イスに乗って病院の食堂で食事が出来るくらいまで回復しました。

闘病生活9ヵ月。その間は、今まで、あまり母のことに気をかけなかった息子にとって、母を病室に見舞うことで、親孝行のまねごとをさせてもらった貴重な時間でした。

少し元気になった頃、何が食べたいってきくと、「回転焼き、買ってきてんか」と言いました。それから、病院に行くときは、病院近くにあるカドヤさんという回転焼き屋さんで、回転焼きを買って持参するようになりました。あまりたくさんは食べられないので、毎回、一個だけを注文しましたが、いつ行っても、カドヤさんは面倒がらずに、快く、一個の回転焼きを売っていただきました。母が美味しそうに食べていたことが今でも思い出されます。

お葬式の朝、ふと、回転焼きのことを思い出しました。棺にいれてあげようと思い、カドヤさんに寄りました。普段は一個しか頼まなかったのですが、その日は母が好きだった三つの味の回転焼きを三つ全部注文しましたた。いつも一種類の一個しか頼まないので、いぶかしく思われたのか、「今日は三つなのですね?」とお店の方に声をかけられました。

「はい‥、母が好きだったので、いつも買わせていただいていました。その母が亡くなり、今日はお葬式なので、いっぱい食べさせてやろうと思って‥」というと、「お金はいらんから」と言われて、温かい三つの回転焼きを渡していただきました。その優しさに、思わず涙が出ました。

母のことばかりを思ってはいられませんが、でも、カドヤさんの前を通るたびに、美味しそうに回転焼きをほおばっていた母の顔が思い出されて、心がちくり、とします。母の思い出が嬉しくなる、カドヤさんの親切に今でも感謝です。

◆百か日 「父母恩重経」
昨日は母の百か日。早いものです…。ささやかに、身内だけで、お勤めをしました。父の時は唱えませんでしたが、母には読んでやりたいと思って、昨日の法要では「父母恩重経」を弟や息子たち、そして家内や弟子数人で唱えました。このお経は父母の恩徳について、きつい言葉で説かれていますが、その大半が母の恩についてであります。少し紹介すると…

「一切の善男子(ぜんなんし)・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらされば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤(たね)に受け、形を母の胎(たい)に託す。」

「この因縁(いんねん)をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比(たぐ)いあることなく、その恩、未形(みぎょう)におよべり。はじめ胎(たい)に受けしより、十月(とつき)を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休(や)むときなきがゆえに、常に好める飲食(おんじき)・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。」

「月満ち、日足りて、生産(しょうさん)のときいたれば、業風(ごうふう)吹きて、これを促(うなが)し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦(おのの)き恐れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)みな悉(ことごと)く苦悩す。すでに生まれて、草上(そうじょう)に墜(お)つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。」

「それよりこのかた、母の懐(ふところ)を寝床(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳(ちち)を食物となし、母の情(なさけ)を性名(いのち)となす。飢えたるとき、食を求むるに、母にあらざれば喰らわず。渇(かわ)けるとき、飲み物を求めるに、母にあらざれば喰らわず、渇けるとき、着物を加えるに、母にあらざれば着ず。暑きとき、衣(きもの)を脱(と)るに、母にあらざれば脱(ぬ)がず。母、飢えにあたるときも、含めるを吐(は)きて、子に喰らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被(かぶ)らす。」

「母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その揺籃(ゆりかご)を離れるにおよべば、十指(じゅっし)の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十解(こく)となす。父母の恩重きこと、天のきわまりなき如し…。」

なにか、お釈迦さまに不徳の我が身を責められるような、心に痛い経文内容ですが、母への感謝を込めて読ませていただきました。母への供養の一助になればと念じます。親の恩は本当に有り難いものです。

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子は親を選んで生まれてくるという。親が選ぶのではない。私もまた、父と母を選んで今生の生を受けたのだと思う。なおさら、感謝である。
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