鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

死刑確定と死刑執行と(その6)

2008年02月14日 23時58分23秒 | 個人的主張など
今の司法のやり方は、事件の起きたその時一点までを重視して、まるで加害者のことをすべて理解したように検察は心理まで分析する。しかも、裁判担当の検察官は取調べをした訳でもないのに書類だけで想像逞しく事件を見ていたように説明し断罪し求刑をしてみせる。

ところで、本日(2/14)のニュースに、放火されて焼け落ちた韓国の南大門を当局が大規模に遮蔽してしまったことに、市民から抗議の声が上っている・・というのがあった。
インタビューに「覆うなら透明なものにして、再建が見られるようにして欲しい」と答えている女性のものが紹介されていた。

日本でも事件があったら何でもかでもブルーシートで覆い隠してしまう。事実確認捜査のための現場保存が第一ということなのだろうが、とてもそうとは思われない印象を持つことがある。

犯人被疑者加害者に対しても、毛布をかぶしたり上着を被せたり通路までシートで覆ったりで、警察検察の所有物みたいな感じがする。

折しも、法務大臣が鹿児島の警察検察の違法捜査による冤罪に対して、トンチンカンな失言をして直ぐに謝罪をするというニュースも本日流れた。

このインターネット時代に、まだ何でも隠し密室に事件そのものを隔離し捜査ではなく、勝手に操作しようという旧態依然の考え方がはびこっているのだろう。

取調室の透明化や映像化などがようやく言われはじめている。裁判ではまだ傍聴した絵描きが被告の様子を思い出して描いたものがマスコミで報道されている。ばかばかしい限りだ。

誰が真実を怖れているのだろう。おそらく上からモノを見て物事を取り仕切っている人達なのだろう。公務員の無謬性などを、まだ当たり前のように思っている人種がいるという事なのだろう。

また、筋道が迂回してしまいそうなので、結論的に書いてみよう。
「可能性と未来」のことだ。
ある事件が起きてしまった場合。それが国家間対立でも民族間対立でも宗教間対立でも隣人間でも
知人間でも、第三者が一時的に割って入って沈静化を計るのは必要だけれど、最終的には両者が歩み寄って和解をするのがベストの解決だ。

たとえ一方的な、加害と被害の関係であっても、お互いが相手を受け入れ認め合う可能性だってあるだろう。死刑制度のある国では、死刑があるというそのことだけで、始めからその可能性を否定しているのではないかとさえ思われるのだ。

逆説的にいうならば、ひとたび間違いを起こしたならば、罪を悟り自らを罰する機会さえも奪われて、他人まかせの人生にさせられてしまうということだ。

どうも、具体的なイメージを提示できないでいる。急ぎすぎるのか・・・迂回しすぎるのか・・・。
また次回考えてみたい。

(まだまだもうちょっとつづく)

コメント
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