亡くなった古い付き合いの人にお別れを告げるために、葬儀場へと向かう。
初めて降りた駅から初めての道を歩いていたら、相生橋があり武庫川を渡った。
広辞苑によれば、相生は『相老い』の意味にも掛けられるそうだ。
それなら、武庫川は『向こう側』にも掛けられるのかも知れない。
故人は掛詞(かけことば)が好きだった。
一般的に駄洒落などと軽んじる傾向があるけれど、掛詞は古くからある文学的修辞法。
私もオヤジギャグと言われようが鼻先で笑われようが、思いつきの洒落を毎日発している同好者で、それが彼との一番の共通点だった。
奥さんを2年前に亡くされて、その命日に自分も死ねたら良いと言っていたエピソードが式辞で披露された。
2週間前ホスピスに見舞ったとき、余命は年内と言われていると本人から聞いてはいたが、奥さんの命日が年末の28日で、あと2週間だったのに・・。
ホスピスのホールに貼られていた、彼の句が切ない。
見舞いのとき私は偶然にも、岐阜の友人から送られてきた富有柿を持参した。
署名を伏せるべきかどうか迷ったが、俳句や川柳では名だけを示してあることが多いので、それに倣った。