昨日はちょっとした用事で隣の小千谷市に行き、国道が工事中で片側通行だったのを避けて旧道に入ったら【不動様】があった。
小学校二年生か三年生の遠足がこの不動様で、耳で覚えていた【ふどぅさま】がこれだったのだな、と直ぐに分かった。
【越後新四国第七十五番不動尊】というのが正式名だと今回ようやくにして分かった。
さすがに遠足目的に選ぶだけのことはある由緒ありげな彫り物は立派で、格の上等さを感じてついつい賽銭なんぞも放り込んだ。
小学校からおよそ4km半ほどか、往復10km近い道をよくもまぁ小学2〜3年生が歩いたものだと感心する。
今も恒例行事があるのかどうか、歩いて不動様の祭に行ったことがあるということを同級生から聞いたことがある。
昔は多少の距離をものともせず、舗装もされていなかった道を平気で遠出したものだった、などと想い出す。
直径1m以上の大木の切り株があり、真ん中の虚(うろ)から朴(ホウ)の木が生えていた。
切り株からのひこばえ(蘖)のように見えるけれど、切り株が古いような感じでどうも疑わしい。
でも、もしかしたら、朴の大木だったのか。
この程度の幼木は冬囲いをしないと素直に伸びることはできないので、時々何気なく確かめに寄ってみたい。
でも、もしかしたら、朴の大木だったのか。
うろ?ほう?ひこばえ?
木や林や森・・・森林、もりばやし監督?
亜熱帯にはない風景です。
お地蔵様もそうです。
亜熱帯には、悪魔よけの石敢當がT字路に在ります。
火事に遭ったりしないように、人家とは少し離れていて、周りには木もあって、護られてきてるんですよね。
沿革というのか縁起というのか、そんなものを深く知ろうとすれば、相当な時間が必要な訳で、そうして民俗学というのが深まっていくわけです。
たまに深く知りたいと無謀にも思ったりします。