『子午線一度の偉業』の中に『・・・天測による子午線一度の算出は、世界土木技術史上はじめての偉業として異彩を放つ。・・・』とある。
銘板には記されていなかった分を検索して補足すると、子午線1度の算出は師である暦学者高橋至時との約束であったとのこと。
1度は28里2分ということで、1里=3.92727kmに28.2を掛けると110.749kmでほぼ111kmとなる。
110.749kmに360を掛けると、39869.6kmなので、ほぼ周囲は4万kmとなる。
実際の地球は少しつぶれた形で緯度での周囲は40,009km、経度での周囲は40075kmとなるそうで、伊能忠敬の出した結果とほぼ差異はない。
測量は私財を投じて始められたようだが、幕府からの支援を確保し、各藩の協力もあり、『大日本沿海輿地(よち)地図』を作成すべく全国の沿岸を歩くこととなる。
実際は測量結果を地図に起こす途中で忠敬は肺を病み、弟子たちが完成させる3年前の1818年(文政元年)に亡くなった。
完成した地図は幕府に献上され、あまりの正確さに、海外持ち出し禁制となる。
ところがそれを持ち出そうとした、いわゆるシーボルト事件が起こるのは、忠敬没後10年後の1828年(文政11年)のこととなる。
※輿地とは広辞苑に拠れば、(輿(こし)のように万物を乗せる地の意)大地。地球全体。全世界。