透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「007 スカイフォール」

2012-12-23 | E 週末には映画を観よう

 熱心な007ファンというわけではないが、映画館で何作か観ている。ジェームス・ボンドを演じた俳優ではロジャー・ムーアのユーモアが好きだった。生きるか死ぬかという時に騒がず、慌てず発するジョーク。時々パニック映画でも見ることがあるが、ああいうことは日本人にはできないだろうな、と思う。

いままで観た作品の内容はおろかタイトルさえきちんと覚えいないが、ショーン・コネリーの「ロシアより愛をこめて」が印象に残っている。

007シリーズ生誕50周年を記念する最新作「007 スカイフォール」を観た。

ジェームス・ボンドというと、やはり女好き、そういうキャラであって欲しい。それでこそボンド・ガールの存在意義もあるというものだと思うが(アルコールな夜のブログではないので書きにくい・・・)、ダニエル・クレイグはどうも女好きという雰囲気ではないし、マッチョな体ではあるが男の色気ムンムンというわけでもない。あくまでも個人的な感想だが。彼に魅力を感じる女性ファンはもちろん多いだろう・・・。

さて、本作のオープニングはトルコ・イスタンブールのバザール。露店が並ぶ人混みでのカーチェイス。バイクに乗り換えて屋根の上で追いつ追われつ・・・。いつものことながら街の構造、特徴を活かしきった設定に関心する。

ボンドのミッションは盗まれたハード・ディスクの奪還。ディスクにはエージェント全員の全情報が入っている。(取り返すといってもモノと違って情報はいくらでもコピーができるから実際には無理だと思うが、どうだろう・・・)

トルコ郊外、列車の屋根の上で敵と格闘中に、ボンドは英国情報局のMの指令を受けた女性エージェントに誤射されて、橋を渡る列車の上から急流に落下・・・。ボンドが死ぬわけはないから安心だが、あれで助かるのは映画だから。組織から見放され、捨てられたボンドはどこか南の島で酒びたりの日々。だが、MI6の爆破事件をテレビで見て、ロンドンに帰還。

今回の敵はMI6を知り尽くした元エージェント。やはり組織に捨てられて復讐に燃える男。

舞台の都市のひとつ、上海は高層ビル群の夜景がきれいだった。ネオンを活かした映像が効いていた。マカオのカジノでボンドガール登場! 美人だがちょっと、いやかなり化粧が濃かったな~。で、存在感はあまりなかったな。

ボンドを誤射した女性エージェントもボンドガールということなのかどうか、彼女が暗い部屋でボンドの髭を剃るシーンはセクシーだった。

舞台はロンドンからスコットランドのスカイフォールへ。荒涼とした大地はボンドの心模様の投影か。ボンドの生地でMをある意味人質にしての壮絶な戦い。驚きのラスト。

最後まで存分に楽しめた。やはり大人のエンターテイメントはこうでなくちゃ。CGを多用したあり得ないシーンはどうもいただけない。この映画のテーマは再生・復活、それに世代交代も。今日的なテーマだ。


 


寛容の心で

2012-12-23 | A あれこれ

 夏目漱石の孫娘、半藤末利子さんの著書『漱石の長襦袢』文春文庫に漱石の葬儀のことが書かれている。

1867年2月生まれの漱石は1916(大正5)年12月に49歳で亡くなった。葬儀は青山斎場で営まれた。このとき漱石の門下生の芥川龍之介と久米正雄が受付をしたことを本書で知った。本書には「へ~、そうだったのか」と、初めて知るいくつもの出来事が紹介されている。まぼろしとなった漱石文学館のことなどは興味深い。

さて、漱石の葬儀は滞りなく行われるはずだった。が、式場内で会葬者の案内役を務めた門下生のふたりが失態をやらかした。漱石の実兄直矩(なおただ)に焼香させるのを忘れてしまったのだ。

**「いくら不肖の兄だからってあんまりだあネ。あたしゃあんな情けない思いをしたことはないね」と実兄は鏡子(筆者注:漱石の奥さん)に涙ながらに訴えに来たというのである。「責任はすべて私にあります」とひたすら詫びたが、気持ちの納まりのつかないのは鏡子である。**(76頁) 至極当然だ。

**(前略)そうした優しさをもつ鏡子だけに、門下生たちの義兄無視の処置を許すことができなかったのである。しかもそうされるのも義兄の当然の報いの如き豊隆の言葉を、とうてい許すことのできないものとして受けとめた。しかし、それでも鏡子はこのことを自分の胸の中に納めて、とくに表だてることはしなかった。**(77、78頁)

漱石の兄は定年後に生活費の一部や小遣いを漱石から貰う身になっていたという。漱石はこの兄の来訪を歓迎しなかったらしいということが書かれている。**しかし鏡子は、漱石が兄に無愛想であるないに関係なく、義理の兄を一段下に扱うようなことは決してしなかった。漱石亡き後も同額の援助を兄に渡し続けた。**(78頁)

この後に**そのうち全集が売れまくるようになって大金が入ったものだから鏡子のバカバカしいほどの浪費が始まった。**(79頁)とあるが、まあこのことは本稿とは関係ない。

随分前置きというか引用が長くなってしまった。

この秋、母の葬儀と四十九日の法要を依頼したところの担当者が数回ミスをした。特に四十九日法要の初歩的とも言えるミスは信じられないものだった。2年くらい前から母の死を覚悟し、葬儀はきちんとやらなければ、と考えていただけに残念な出来事だった。

後日担当者と上司が拙宅を訪ねてきた。私はミスを責めた。上部組織に上げることになると思われる不手際の顛末書を読んだが、事実がきちんと記載されてはいなかった。私は冷静さを失うところだった・・・。

ふと、壁に掛けてある母の笑顔の遺影を見ると「あまり責めるなよぅ、不手際を許してやれよぅ」と言っているように思われた。私が求めようと思っていたふたつのことを上司が口にしてくれた。私が言う前に。さすがだと思った。それでもう責めることはしないでおこうと決めた。

担当者らが帰った後、「そうだ、こういう時の言動や振る舞いに人柄、人間性が出るのだ。他人(ひと)とは感謝の気持ちと寛容の心で接しなければいけないのだ」と思い至った。もちろん筋は通さないといけないが。

母は亡くなってからも私を教育してくれたのか、と思ったら涙が出た。泣いた。遺影の母が「もっと人間的に成長しないといけない」と笑っている。