安曇野市明科の青面金剛像 撮影日140806
■ 建立年の刻字はないが像の損耗の程度から比較的新しいものだと思われる。この像のすぐ近くに明治中期に建てられたことを記した石柱が立っていた。
青面金剛は庚申講の本尊。だから、庚申の年に祀られることが多い。干支、即ち十干十二支は10と12の最小公倍数で60年サイクルとなり、庚申(かのえさる)の年は昭和55年(1980年)の前は大正9年(1920年)、その前は1860年(安政、万延)で、明治時代にはない。
尤も庚申碑は庚申の年でなくても建てられることもあるから、仮に明治時代に庚申の年があったとしてもその年の建立とは限らない。だから建立年が刻んでないと特定はできない。
ウィキペディアによると青面金剛は法輪・弓・矢・剣・錫杖・ショケラを持つ忿怒相、というのが一般的だという。このにわか知識をもってこの写真を見ると、8角形の法輪、弓、剣、錫杖(しゃくじょう)を持っていることがなんとなく分かる。
下の写真を見ると、何やら彫り込まれていることは分かるが、それが何かは分からない。顔らしきものもあるが、知識がないからはっきりとは見えないし、分からないのだ。星座を知らなければ満天の星を見てもランダムに散らばっている、としか見えないように・・・。
何とか知識を得て青面金剛の持ちものが見えるようになりたいものだ。