■ 長野県朝日村の古刹・光輪寺のこの青面金剛像のことは、以前から知っていた。上の写真のような状態で像の細部は全く分からなかった。
先日、寺の境内を囲む板塀の汚れを高圧洗浄機で落とす作業をした際、青面金剛像も洗浄してみると、
像が鮮明に浮かび上がった。足下の三猿もはっきり分かる。像が損耗していたわけではなく、泥で汚れていたのだ。
腕が6本あるが、内2本を上に挙げていて、右手の先には月(この写真では分かりにくいが)、左手の先には日がある。合掌している手は残念ながら欠損している。下げた左手で弓を持っている。右手の棒状のものが何か分からない。
左側面の刻字も洗浄してはっきり分かるようになった。明和6年をネットで調べると確かに干支は己丑(つちのとうし)で、西暦で1769年。江戸の中期に祀られたことが分かった。古い部類の青面金剛像(庚申碑)だろう。江戸末期の庚申の年にあたる1860年のものはときどき見かけるが。
明和の頃、どんな人物がいたのか調べると、歴史に疎い私でも知っている与謝蕪村、田沼意次、平賀源内、杉田玄白などの名前があった。
そのころ、この像はこの場所にあったのかどうか、どんな風景を見ていたのだろう・・・。