夏のフォトアルバム (再)撮影日 140809
■ 現存最古だという富士塚が見たくて辰野町の下辰野公園に秋葉神社を訪ねた。そこから辰野町の市街地を俯瞰することができ、以前観察した火の見櫓(過去ログ)が確認できた。
夏のフォトアルバム (再)撮影日 140809
■ 現存最古だという富士塚が見たくて辰野町の下辰野公園に秋葉神社を訪ねた。そこから辰野町の市街地を俯瞰することができ、以前観察した火の見櫓(過去ログ)が確認できた。
■ 好きなカフェとしてカフェ マトカとカフェ バロを挙げたが朝日村にあるカフェ シュトラッセも好きなカフェ。簡素なインテリアは昔の教室のような趣。床は無垢の板張り、壁は漆喰塗り。天井は小屋組みをそのまま見せている。
ここにはストレートコーヒーがおよそ20種類あるが、昨年一通り飲んだ。その時のメモによれば中煎りのトラジャ、深煎りのエチオピアとケニアの評価が高かった。
日曜日の午後、ここで美味いコーヒーを飲みながら1時間ほど読書するのが私の楽しみ。
■ 先日読んだ『富士山文化』 竹谷靱負/祥伝社新書に**現存する最古の富士塚は、どこにあるのだろう。それは、東京でも埼玉でもなく、長野県上伊那郡にあった。意外に思われるかもしれないが、長野県も重要な富士塚分布エリアである。その辰野町、下辰野公園内の秋葉神社境内にある富士塚が、私が調査した限りでは、最古の遺例である。**とあった。
更に**特に伊那地方で、六〇年ごとの庚申年に富士塚を築き、浅間大神を勧請し、農民の視点から天下太平や五穀豊穣を祈願する習俗があった。**という記述もある。
明応9年(1500年)から庚申年ごとに富士塚を築いていたそうで、永禄3年(1560年)、元和6年(1620年)、延宝8年(1680年)、元文5年(1740年)、寛政12年(1800年)、安政7年(1860年)、大正9年(1920年)と計8基の築造が記録された史料があるそうだ。
昨日(9日)出かけた。辰野町役場前から車で5分くらい、車のすれ違いは無理な細い山道を上って目的地に着いた。写真は明るく写っているが、まわりは木々がうっそうとしていて、曇天でもあったのでかなり暗かった。
何基もの石碑が祀られていたが、知識に乏しいし、摩耗が進んでもいて読みとれないものが多かった。
昭和55年(1980年)には塚は造らず、この石碑が建てられたという。秋葉神社を参拝したから、なにかいいことがあるかもしれない・・・。
■ 昨日(9日)、所用で辰野町に出かけました。集合時間は午前9時。7時過ぎには辰野町の到着して既にアップした火の見櫓を見てまわりました。休戸(やすど)の火の見櫓の近くに石碑が何基も並んでいました。
この庚申塔の裏面には安政七年二月廿三日 休戸中 と彫ってありました。安政7年(1860年)は庚申の年です。書のことは分かりません。でも、存在感のある文字です。
こちらは二十三夜塔。大正9年と彫ってありました。
昔は庚申講や伊勢講、富士講、御岳講など、いくつも講が組織されていました。これらの講を今も続けていることろもあるようですが(私の鄙里にも伊勢講や庚申講を続けているところがあります)、宗教的な意味合いは薄れ、親睦会のようなものと捉えてもかまわないと思います。
過去ログ
地域力などと表現したくはありませんが、昔は講などによって、地域が強く結ばれていたんですね。
500
■ JR小野駅から4kmくらい西方に入った藤沢地区に立っている火の見櫓。周りの樹木が大きくなって火の見櫓の下半分位を覆ってしまいそう。
前々稿(529)、前稿(530)の火の見櫓とデザインがよく似ている。
柱の頂部を横架材で繋ぎ、そこにアーチ状の部材を付けて補強している。この火の見櫓を印象付けるアーチ。
脚元は夏草が伸び放題。辰野町は消防団の活動が活発で、今でも火災予防週間のときなどに半鐘を叩いている。この火の見櫓にも半鐘も木槌も吊るしてあるが、使われていないのかもしれない。だいぶ錆がでているからメンテナンスもきちんとしていないのだろう。
499 辰野町小野休戸(やすど)の火の見櫓 後方は休戸公民館 撮影日140809
前稿の火の見櫓とよく似ている。他の鉄工所のデザインをまねることはよく行われていたと聞くが、両者は同じ鉄工所で造られたものだろう。
529
■ 国道153号を南下、JR小野駅前の信号を右折して数分生活道路を走ったところに立っている火の見櫓。4角形の櫓に4角形の屋根と、同見張り台。南信方面にあるごく一般的なタイプの火の見櫓。
屋根の形に注目。中央部はかなり急勾配で周辺は緩勾配。この形状に機能的な必然性は無いだろう。職人の美意識の反映か。平鋼のフックのような蕨手、くるりんちょとは呼び難い。
4隅を面取りした4角形の見張り台。手すりのハートを逆さにしたような飾り、このデザインはよく見かける。
見張り台直下のデザインに注目。火の見櫓には欠かせないリング式ターンバックルを横にふたつ並べたデザイン。こうしたのは下の段のように入れるとブレースが角度的に効きにくいという構造的な理由からだろう。
踊り場の床が半分しかないのは、後方は梯子の上り下りには不要、という判断からだろう。梯子の両側に簡易な手すりを付けてあるが、床は全面ある方が消防団員にとっては安心だろう。
次は脚元の様子。既に何回も書いたが、脚のデザインをしていないのが残念。末広がりのきれいなカーブな脚部だけに惜しいとは観賞者の勝手な言い分。