821 辰野町小野上町 撮影日170521
■ しばらく前にこの火の見櫓に気がついていた。Oさん運転の車で辰野町雨沢の火の見櫓(前稿)を見た後、立ち寄ってもらった。大慌てで写真を撮って車に戻った。
露出オーバー気味に撮れた写真に屋根下地がきっちり写っていた。O鐵工所の火の見櫓(前稿)とは全形も細部もだいぶ違う。具体的には屋根の勾配、飾り、柱頂部と屋根下地との取り合い、見張台の手すりのデザイン・・・。
脚部としてのデザインがなされていないのは残念。
821 辰野町小野上町 撮影日170521
■ しばらく前にこの火の見櫓に気がついていた。Oさん運転の車で辰野町雨沢の火の見櫓(前稿)を見た後、立ち寄ってもらった。大慌てで写真を撮って車に戻った。
露出オーバー気味に撮れた写真に屋根下地がきっちり写っていた。O鐵工所の火の見櫓(前稿)とは全形も細部もだいぶ違う。具体的には屋根の勾配、飾り、柱頂部と屋根下地との取り合い、見張台の手すりのデザイン・・・。
脚部としてのデザインがなされていないのは残念。
(再)辰野町雨沢 撮影日170521
■ Oさんのお父さんはかつて小野村(現在の辰野町小野)で鉄工所を経営しておられ、昭和30年代に多くの火の見櫓を建設された。この辰野町雨沢の火の見櫓はその内の1基。
21日に現地でOさんから火の見櫓をどのように建てたのか説明を受けた。Oさんはお父さんに付いて現場に行き、火の見櫓の建て方を見ておられる。火の見櫓の建て方のことについては本に載せたいと思っている。
当日、火の見櫓の姿を特徴づけるリング式ターンバックルってどうやってつくったのかOさんに訊ねた。私は、えーと何に喩えればいいかな、そう、ちくわを切るように鋼管を輪切りにしてつくっていたのだろうと思っていた(ちくわの場合、斜めに切るから楕円になるけれど)。
でもそうではなさそうだ。鉄工所には鋼管を切断するような工作機械は無かったとのこと。ではどうやってつくったのだろう・・・。
リングを間近で見ても接合面は全く分からないが、よく見ると断面形状が長方形ではなく、幅方向・長辺の片面がへこみ、厚さ方向・短辺の表面がふくらんでいることから平鋼をリング状に曲げて付けたのではないか、とのこと。
Oさんは「沸かし付け」という言葉を聞いたことがあるそうだ。
沸かし付けって何だろう・・・。
帰宅してからネットで調べて鍛接(たんせつ)の別の呼び名であることがわかった。鍛接という言葉も知らなかったが、**2つの金属材料の接合面に硼砂(ほうしゃ)等の鍛接材を塗して重ね、1000℃程まで加熱させ、鎚で打ったり圧力を加えるなどして一体化させる**とウィキペディアの説明があった。続けて**鋼管の製造法として帯状の鋼材を丸めて接合部を鍛接する方法がある。**と説明されている。
これだ、と思う。リングは鋼管を輪切りにしてつくったのではなく、帯状の鋼材(帯鋼と言ってもいいのかもしれないが、一般的には厚さが3mm以下の薄い鋼材を指すから平鋼が適切だと思う)を円柱状のものに巻くようにして鍛接してつくったのだろう。きっとそうだ。
火の見櫓の建て方や構成部材のつくり方にまで注目するとこの世界は更に広がる・・・。