栗おこわを食した日 170512
■ 須坂・小布施・高山、北信3市町村火の見櫓巡り。昼食は小布施で。小布施と言えば栗、ということで栗おこわ。栗の上品で控えめな甘さが好い。これ以上の食レポはパス。食事の後、買い求めた土産は試食で決めた栗饅頭。
栗おこわを食した日 170512
■ 須坂・小布施・高山、北信3市町村火の見櫓巡り。昼食は小布施で。小布施と言えば栗、ということで栗おこわ。栗の上品で控えめな甘さが好い。これ以上の食レポはパス。食事の後、買い求めた土産は試食で決めた栗饅頭。
807 須坂市仁礼 西原公会堂 撮影日170512
春、桜の季節に再訪することができたら・・・。
本稿を以って昨日の火の見櫓巡りの成果、全18基の掲載終了。これで北信の市町村をすべて回り終えた。
間違えて私道に入り込んで引き返したり、行き止まりだったり、遠くに見えた火の見櫓に行き付くことができなかったり・・・。どうも昨日は櫓センサーが不調だったようで。でも小布施で環水平アークを背景に火の見櫓を撮ることができたのは幸いだった。
星に願いを、じゃなかった、朝焼けに願いをの効果かな。
(再)須坂市八町上八町 撮影日170512
この警鐘楼は2011年1月に見ている。昨日偶然ここを通りがかり、再会した。
(再) 須坂市八町 撮影日170513
モダンアートな鉄の造形
新しい消防信号板を設置してある。須坂市では消防団の活動が活発ではないか、と思う。そうでなければ、このように消防信号板を更新することもないだろう。
805 高山村高井 県道54号沿い 撮影日170512
この地方のオーソドックスなタイプの火の見櫓。
アーチ部材とその上の横架材との隙間に入れたリングが目を引く。
804 火の見櫓のある風景 高山村高井 撮影日170512
山あいの狭い生活道路を進んで出合った火の見櫓
新緑の山を背景に立つ姿が凛々しい
803 高山村高井 撮影日170512
■ この写真を見ると、里山の斜面の集落だということが分かる。坂道の脇に立つ火の見櫓。全形から消火ホース乾燥塔に火の見櫓の機能を加えた、という印象を受ける。このようなタイプには珍しいと思うが、大きな見張り台を設けている。
高山村の他地区の火の見櫓 150520撮影
802 高山村高井赤和 撮影日170512
■ 高山村の歴史を調べて(ネットで簡単に調べることができるから、今や紐解くという表現は大袈裟になった)、いくつかの村が合併してできたことを知った。
駒場村と中山田村で中山村となり、更にこの中山村と奥山田村とで山田村となった。一方、黒部村と高井野村とで高井村となり、更に高井村と牧村とで高井村となった。で、山田村と高井村が1958年(昭和31年)に合併して高山村になった。このように高山村は8つの村が合併してできた村で、山の斜面に集落が点在している。
旧真田町や中野市もいくつかの村が合併してでき、共に山裾に集落が点在していて火の見櫓が多いが、高山村もやはり火の見櫓が多い。
偶然行き着いた赤和地区の火の見櫓の脚元には道祖神と共に「高井村消防発祥の地、阿弥陀堂半鐘」と記された標柱が立っている。上記の通り、高井村は合併前の一村だが、この地で消防が発祥したとは具体的にどのようなことを意味しているのだろう・・・。消防団、いや戦前なら消防組か、ここで初めて組織されたということだろうか?
また阿弥陀堂半鐘とは何を意味しているのだろう。阿弥陀堂の小鍾を半鐘代わりに使ったということだろうか。
近くの防火水槽の蓋。まといが描かれている。まといに消防章が、右側に村章が描かれている。
801 高山村高井柴 撮影日170512
■ 火の見櫓の脚元正面に設置されている銘板には竣工平成13年5月と記されているが、この年に建設されたと判断するのは早計だろう。既に立っていた火の見櫓の改修が行われたとか、その類ではないだろうか。どう見てもこれは昭和のデザインだが・・・。ただし水路の上に架けてあるブリッジの手すりのデザインは今風。銘板は既に設置されていた銘板に重ねて取り付けてあるようにも見える。
前回この村の火の見櫓巡りをした時、この火の見櫓には出合っていなかった。
799 火の見櫓のある風景 中野市三ツ和 撮影日170512
屋根を支える構造がよく分かる。見張り台の手すりも床もシンプルな構成。
1956年(昭和31年)5月竣工
広告付きの消防信号板は珍しいのでは、初めて見た。