■ 信濃毎日新聞 5月7日付朝刊の文化面「思索のノート」に**技術頼らず 偶然に委ねる**という見出しの記事が掲載されていた。寄稿者は伊藤亜紗さん(東京工業大学教授)。記事を読んで思ったことを書きたい。
群馬県在住のある彫刻家が大学時代から憧れていたのは鎌倉彫刻。この彫刻家は東大寺からの発注で仏像制作に携わるほどの高度な技術の使い手だったとのこと。だが病で視力を失ってしまう・・・。大好きな木彫を続けることが困難になり、興福寺の阿修羅像にも使われている脱乾漆と呼ばれる伝統的な技法に取り組み始めたという。この技法の特徴は制作過程で偶然の要素が大きく、狙った形にはならないということ。従って、記事の見出しの通り、技術頼らず 偶然に委ねることになる。
**木彫に取り組んでいたときには、徹底したコントロールによって、形をなるべくリアルに作ることに腐心していた。でも本来、思いを伝えるのは形ではない。**記事のこの一節に共感した。ここには彫刻について書かれているが、絵画について同じ想いを抱いているから。
もちろん、彫刻や絵画などの芸術作品のどのようなことに感動するのかは人それぞれだ。中にはリアルに描かれた風景画を前に画家の超絶技巧に感動する人もいるだろう。ぼくも描画力、描写テクニックを凄いとは思う。けれど、そのような作品には、それ以上の感動が湧かないことが多い。
その風景を描こうと思った作者の動機、それはその風景を美しいと感じたからだろう。作者が感じた風景の美が描かれ、その美が絵から感じられるかどうか・・・。風景(に限らず描画対象)をリアルに描くのではなく、再構成することによって表現されている「美」に魅せられ、感動する。
ぼくが感動するのは「すごい、写真みたい」な絵ではなく、「美しいな」「楽しいな」「いいな」って感じられる絵だ。