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『江戸の女子旅 旅はみじかし歩けよ乙女』谷釜尋徳(晃洋書房2023年)
■ 『江戸の女子旅』を読んだ。江戸時代の女性たちはどのような旅を、どのようにしていたのかが分かる単行本。
江戸の女子旅では旅日記を付けることが一般的だったようで(*1)、旅の記録を取る「ノート」は必携だったようだ(*2)。本書では女性たちの22の旅日記を参考に江戸の女子旅事情を解説している。やはり記録することは大事。だが、デジタル情報って200年後に閲覧できるのだろうか・・・。
本書に取り上げられているのは、旅のルートや旅の楽しみと目的(買い物、グルメ、芝居見物、温泉、名所旧跡めぐり(*3))、旅費、旅の服装など。今の女子旅との共通点も多い。旅行マップや名物、名所、神社仏閣などが掲載された「ガイドブック」も刊行されていたとのこと。もっとも今はガイドブックよりインターネットで情報を得る人の方が多数だろうが。
車や電車の無い江戸時代に3,000キロ!、1,100キロ!、650キロ・・・、随分長距離を歩いて旅していた女性たちに驚く。3,000キロもの旅をした女性は秋田を出発して日本海側を南下、途中善光寺参りをして京都を通って四国の金毘羅詣。更に高野山から伊勢、鎌倉・江戸へ。その後、日光へ参拝して秋田に帰っている。所要日数151日。江戸の女子旅には男性も同行していたようで、男女4人の旅行だった。旅費も驚くほどかかっている。裕福な家庭の女性でないと、長旅は無理。
街道が整備されて女子の遠距離徒歩の旅が可能になったこと、為替が発達して旅先へ旅費の送金が可能になったことなど、女子旅が盛んになった要因が挙げられている。買い込んだ土産を故郷に送ることや、旅先の宿屋に荷物を送ることもできる、今の宅配便に相当するサービスもあったとのこと。
明治初期に日本を旅したイギリス人女性旅行家のイザベラ・バードは世界で日本ほど女性が危険な目に遭わずに旅行できる国はないと書いているそうだが、やはり箱根の山や大井川は難所だったようだし、関所での厳しい取り調べにも遭っていたとのこと。いかがわしい旅籠をできるだけ避けることもしていたそうだ。
本書は旅のルートや旅の日数、移動距離、食事、買い物、見物対象などが一覧表にまとめられているし、国立国会図書館デジタルコレクションなどから旅の様子が描かれた浮世絵数などが多く掲載されていて女子旅事情が理解しやすい。
あぁ、旅に出たい。
*1 **女性に限らず、近世に旅をするには、読み書きの素養を備えていることが大前提でした。文字が読めなければ、街道の分岐点に建てられた道標から方角を読み取ったり、書物を読んで旅の予備知識を仕入れることもできないからです。**(13頁)
*2 『旅行用心集』八隅蘆庵(1810年・文化7年)に記された旅の必需品(写真)が本書で紹介されている(27頁)。
*3 本書の掲載されている22の旅行記録を見ると、旅の目的として伊勢詣が7と最も多い。伊勢神宮などの信仰を集めた寺社参詣を大義 名分に道中も楽しむ旅行が流行ったという。