透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「清水高原の家」

2023-05-26 | C 名刺 今日の1枚

203枚目 グラフィックデザイナー・保坂一彦さん

今から30年以上も前のことになる。建築雑誌の『住宅特集』1992年4月号に中村好文さん設計の「清水高原の家」という作品が掲載された。長野県山形村の森の中の傾斜地にできた実に魅力的な山荘。私は外観だけでも見たいと思って探しに出かけたが、場所が分からなくて見ることができなかった。

時は流れて2015年11月。その頃、時々出かけていた松本市梓川のバロというカフェで偶然にも「清水高原の家」にお住まいの保坂さんと出会った。その時のことをぼくはブログに**いつか拝見する機会があることを願う。**と書いている。

更に時は流れ、2023年5月25日。ようやく「清水高原の家」を見学させていただく機会を得た。保坂さんと仕事上の付き合いがある義弟のK君とすっかり緑が濃くなった清水高原を車で登って行った。緑に包まれるように佇ずむ、目板張りの黒い外壁の家が目に入ってきた・・・。


「中村さん、上手いなぁ」


芽吹き、新緑、深緑、紅葉、落葉。
朝霧、そぼ降る雨、音もなく降る雪。
朝焼け、柔らかな陽ざし。

四季折々、いろんな表情を見せてくれる自然の中で過ごしておられる保坂さんと奥さまの日々に思いをめぐらせた。
大きな窓の外に広がる景色を眺めながら・・・。


 


安曇野市豊科の火の見櫓の添え束

2023-05-26 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)安曇野市豊科高家 3柱無無型ショートアーチ脚 2023.05.25

 前稿に挙げた火の見櫓から500メートルほど南の、やはり旧千国街道沿いに立っている火の見櫓。2015年に見ている。上の写真に写っている道路を奥の方から進んできて、火の見櫓を通り過ぎてから見返して撮った「火の見櫓のある風景」。


気になるのは脚元の石造の添え束(短い柱)。添え束は火の見櫓の柱脚を固定・補強するためのものだが、現在立っている火の見櫓は添え束には固定されていない。この火の見櫓は建て替えられたもので、その前にここに立っていた古い火の見櫓の柱脚を固定していた、と推測される。


添え束(*1)には「大正四年十一月」「御大典記念」と刻字されている。大正天皇の即位に伴い大正4年11月に京都御所で行われた宮中行事(即位式、大嘗祭)の記念であることを示している。古い火の見櫓がこの年に建設されたのだろう。このような事例は他にもあるようだ。

添え束を使った火の見櫓には下のような事例がある(①、②)。

①-1

①-2
①は長野市内で見た火の見櫓。①-2の写真で添え束の孔を通したボルトの先を火の見柱に引っ掛けて固定していることが分かる(左奥)。

②-1

②-2
②は私を出口無き火の見櫓の世界に誘いこんだ大町市美麻の火の見櫓。やや太めのボルトで木造の柱脚を添え束に固定している。


3本の石造の添え束にそれぞれ2つ孔がある。①,②と同じようにこの孔にボルトを通して火の見櫓の柱脚を固定していたのだろう。大正時代初期に建てられたこと、ボルト孔が大きめであること、この2点からここに立っていた古い火の見櫓は木造で3本柱、大町市美麻の火の見櫓(写真②-1)と同じ様な姿だったと推測される。いつ頃建て替えられたのだろう・・・・。また出かけて近所の古老に訊いてみたい。


*1 以前は台柱と呼称していたが、添え束に改めた。踏み台という言葉があるが、①も②も台の上に火の見櫓を載せるように建てているわけではない。火の見櫓に添えて設置している束(短い柱の意)とする方が状態を的確に表していると判断した。