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■『橋ものがたり』藤沢周平(新潮文庫2018年75刷)の再読を終えた。
収録されている10編の作品の中では『約束』が一番好き。樋口一葉の『たけくらべ』とストーリーは全く違うけれど、どことなく雰囲気が似ているように感じた。どちらも淡い初恋ものがたりと括ることもできるだろう。
収録作品の中には橋の上で若い男女がその後の人生を決するような出会いをするものがたりがある。
『思い違い』。指物師の源作が両国橋の上でいつもすれ違う愁い顔がきれいな娘。言葉を交わすこともなかったふたり。ある日、帰りが遅くなった源作は、あたりが薄暗くなったころ、ふたりの男が娘の袖をひき、どこかへ連れて行こうとしているところに遭遇する。で、その娘を助ける。源作は気が弱くて、腕ずくで争うことがなかった、という、まあよくある設定。娘は源作に頭をさげて去っていく。源作は娘の名前も住所も聞いていなかった・・・。
源作がふたりの男から助けたときの娘を作者は次のように描写している。
**「ありがとうございました」
近寄ってきた女が言った。源作はわれに返って女を見た。薄闇の中に、女の顔が浮かんでいる。夕顔の花のように白い顔だった。二つの眸(ひとみ)が澄んで、源作を見つめている。**(95頁)
夕顔の花のようにという表現、ぼくは金子みすゞの「夕顔」という詩を思い出した(*1)。夜空の星が夕顔にさびしかないの、と訊くと、夕顔はさびしかないわ、と答える。星がそれっきり夕顔のことを気にかけないでキラキラ光っていると、夕顔はさびしくなって下をむいてしまうという内容の詩。「思い違い」の愁い顔がきれいだという娘(おゆうという名前だと分かる)のイメージがみすゞの「夕顔」に重なる。そう、ぼくが好きな夕顔に。
ある日、源作は親方に呼ばれる。仕事の相談かと思いきや、親方の娘の婿にという縁談話だった。どうする源作・・・。その後、源作は思いがけないかたちで娘の素性を知る。朝夕、橋の上ですれ違う娘は朝仕事に出て、夕方家に帰っていくのだろう。源作も読者もそう思い込む。だが・・・。
ラストが泣ける。好きな作品の『約束』もこの『思い違い』も信頼、人を信じることの尊さがテーマの作品だとぼくは読んだ。
*1『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』金子みすゞ(JULA出版局 1984年第1刷 2003年第75刷)に収録されている詩