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■ 信濃毎日新聞の今日(18日)の朝刊の1面トップに「戸隠奥社院坊群 新たな痕跡か」という見出しの記事が掲載されていた。
この記事のリード文の書き出し、**明治維新まで天台宗寺院だった戸隠神社(長野市)の奥社参道沿いに、院坊(小寺院)が広範囲に立ち並んでいたとみられる痕跡が見つかった。**を読んで驚いた。戸隠神社といえば、天岩戸が戸隠山になったという神話で知られる神社。その神社がもとは寺院だったなんて。院坊群は修験者の宿泊を担う施設、とのこと。
ブログは無知をさらす覚悟がないと書けない。だから、正直に書くけれど、戸隠神社がもとは寺院だったということは知らなかった。神仏混淆かぁ。
記事によるとドローンから地上に向けて照射したレーザー光線による地形測量で参道の南側一帯に階段状に連なる平らな区画が確認されたという。ただし、造成地に院坊があったかどうかは現時点では定かではないという。
同記事の別の見出しに**戦国以前の実態解明 期待**とある。今後の調査で戸隠神社の院坊の姿が明らかになれば、いいな。