透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

満月はツキに満ちている!?

2008-07-19 | A あれこれ



 昨晩は満月でした。

函館の夜空に満月が出ていたかどうかは分かりませんが、ここ長野の山里では雲の切れ間から時折満月が顔をのぞかせていました。

満月に財布を振ると臨時収入があるそうです。なんだかスピリチュアル系の話ではないか、とも思いますが、試みに「満月」「財布」「振る」の3語で検索してみると多くのサイトがヒットします。

実は満月の2日前から財布を振っていました。

昨日東京で常宿にしているホテルから封書が届き、割引券が同封されていました。

さて、月に向かって財布を振ったことと、割引券が届いたことに因果関係があるのかどうか・・・。100人に訊いて何人があると答えるでしょうね。「笑っていいとも」で今もやっているかどうか知りませんが、ゲストの質問にイエスと答えた人が1人だったら特製ストラップをもらえるというコーナーでこの質問をすれば、あるいはストラップをもらえるかもしれません。

まあ、このことを実証することなどできないと思います。要は事実の捉え方でしょう。月には不思議な力があって、人を呼び寄せているのかも知れない、それがあの「かぐや姫」の物語をつくらせ、アメリカの科学者達にアポロ計画を実行させたのだと解釈することだって、できるでしょう。

この割引券の有効期限は11月30日、フェルメール展を観に出かけるとき使います。

3000円分の割引券、やはり満月はツキに満ちている!?

フェルメール展を観に行こう(修正稿)

2008-07-18 | A あれこれ



 コンビニにこのポスターが貼ってありました。フェルメール展が来月2日から上野の東京都美術館で始まるんですね。

「二人の紳士と女」?「ワイングラスを持つ娘」?

この絵のタイトルがはっきりしませんがどうやら「ワイングラスを持つ娘」のようです。『フェルメール全点踏破の旅』で「二人の紳士と女」と知ったのですが、読み間違えたのかも知れません。

この絵は全体的にソフトで光も均一に満ちているような気がします。あの特徴的な光の扱いがまだみられない作品なのでしょうか。ストロボを使って撮った写真だからかもしれません。ぜひ本物を観たい、と思います。

フェルメールの作品は40点に満たないそうです。欧米各都市の美術館に散在している作品のうち、たしか7点でしたか、まとめて鑑賞できるいい機会だと思います。会期中は会場が混雑するでしょう。平日出かけることができればいいのですが。

http://www.tobikan.jp/museum/vermeer.html

*追記:「二人の紳士と女」はこの絵「ワイングラスを持つ娘」の別名であることが分かりました。


前稿について補足

2008-07-17 | A あれこれ
 前稿に一斉休漁して港に停泊している漁船の写真を載せました。新聞に昨日掲載されたものでした。写真を見たとき、実は「繰り返しの美学!」を感じました。

今読んでいる『たんぱく質の一生 生命活動の舞台裏』永田和宏/岩波新書にこんな記述があります。 **言葉による命名とは不思議なもので、いったん「シャペロン」という言葉で呼ばれるようになると、それに類似した働きもその範疇で、あるいはその概念で理解できるようになり、細胞内の種々の作用がひとつの言葉によってすっきり整理されることになった。(73ページ)** 

そう、この指摘のように、私には「繰り返しの美学」という概念によっていろんなものが、その範疇で見えているのでしょう。でも、あの写真を取り上げて「繰り返しの美学」だなどとおめでたいことを書くべきではないという理性的なもう一人の私がいました。一斉休漁せざるを得ない現状を伝える写真でそれはないだろうと。

昨晩は、TVでも食料問題について考える番組を放送していました。この問題を先送りしてはいけない、そう思います。食料の約6割を輸入に頼っている日本はフードマイレージが世界一高い国だそうです。食料を手にするのに世界でもっともエネルギーを消費している、と言い換えてもいいでしょう。 それだけ環境を汚染していることにもなるのでしょう。

農業、漁業そして林業を復活させるという、一次産業復活プロジェクトを早期に計画して実行に移さないといけない、と前稿からの結論を書いておきます。

食料供給について考える の巻

2008-07-16 | A あれこれ



 一斉休漁で港に停泊している漁船、今朝の新聞がこの写真と共に燃料高の窮状を訴えて全国で20万隻が一斉休漁した昨日の出来事を報じている。

この写真をみて、お!漁船、繰り返しの美学だ、などとのんきなことを言ってはいけない。

**燃料高は漁業者の自助努力の限界を超え、廃業の瀬戸際だ。**将来のある若い漁業者が見切りを付けて転廃業している。**などと記事には書かれている。

今の原油価格の高騰は投機マネーの流入が主な理由とのことだが、石油は埋蔵資源だから当然有限、やがて枯渇することになる。それはもう数十年後に迫っているともいわれている。

やがて、投機的な理由と共に、残量わずかという理由で原油価格が高騰するだろう。そんな事態になる前にガソリンに替わる燃料で動く車が主流になるのかもしれない。漁船も然り、ということなのかもしれない。

でもここで、少し私たちは心配性になってもいいのではないかと思う。昨日の漁船の一斉休漁は、「将来起こりうる事態の予兆」、「決して一過性の出来事ではない」と捉えるべきではないのか。一日漁を休んだくらいでは魚の供給には影響が出ることはないだろう。でもこのような事態が続くことになったら・・・。

魚に限らない、やがて深刻な食料不足に陥る、という危機意識を一体どのくらいの国民が抱いているだろう・・・。既に飢餓に苦しむ人々の数は世界で億の単位だという。

「食料の自給率の向上」に関して長期的なビジョンをたてて確実に実践に移さないと危ない・・・。

自国に優先して日本を養ってくれる国などあるはずがない。

既に時遅しか・・・、今回は暗い。

 


デザインの力

2008-07-15 | A あれこれ


 朝のラジオ番組「日本全国8時です」、毎週火曜日のゲストは詩人の荒川洋治さんです。今朝、荒川さんは文庫本のカバーデザインについて語っていました。取り上げていた文庫の1冊がこれ、集英社文庫の「伊豆の踊り子」です。

森本さんが「おっぱい丸出しかと思った」と確か言ってましたが、確かにそう見えますね。 集英社、何を考えているんだか。こういう奇を衒ったデザインって一過性で長続きしない、と私は思います。川端康成の文学に相応しいとは思いません。このデザインでは書店で手にしようとは思いません。あ、いや、あれ?って気になって手にとってよくよく見るかも知れませんが、購入しようとは思わないでしょう。集英社新書のデザインは好きですが。

ちなみに集英社文庫の「こころ」は



これです。若い人たちに読んで欲しい、という意図でしょうか。京極夏彦か乙一かと思ってしまいます、でもどちらとも少し違うかな。



岩波文庫は品位を保っていると荒川さんが言ってましたが確かに岩波の良識を感じます。角川のデザインも悪くないですが、「こころ」というか漱石に相応しいかどうか。



この白いカバーをみてあれ?って思いませんでしたか? 先のラジオ番組でも話題になっていましたが、これは新潮文庫の期間限定スペシャルカバー、だそうです。このデザインからは近代文学の名作というイメージは伝わってきません。上品なデザインだとは思いますが、現代文学かなと思ってしまいますね。

こうしてみるとデザインって多様ですね。そしてデザインの力が売上を大きく左右するだろうなって改めて思います。



漱石といえばやはり一番右の津田青楓が装幀をした「色鳥」から採ったというデザインが好きです。

生物多様性とブログの継続

2008-07-15 | A 読書日記
 地球上にはおよそ3000万種の生物がいるといわれているそうですね。人間の様々な行為がこの「生物多様性」を破壊していると指摘されています。

昨日のテレビ番組「日曜フォーラム」は「生物多様性」を守るために、今何をすべきかをテーマにして開催されたフォーラムを放送していました。
(NHK教育TV 6:00PM~7:00PM)

そもそもなぜこれほど多くの生物が地球上にいるのでしょう・・・。

どうやら、地球の環境が変化してもいろんな生物がいれば、中にはそれに対応して生き延びることができる生物もいるだろうということらしいです。したたかな神様の戦略ということでしょうか・・・。

「ブログ」も同様かもしれませんね。途中で書くことがない・・・、とならないためには様々なテーマを用意しておく、ということがポイントかもしれません。理屈は生物を絶やさないために「多様性」という作戦を採った神様の考え方と同じです。

あるテーマで書けなくなっても別のテーマがある・・・。このことを別に意識していたわけではありませんが、建築と本にテーマを限定はしているものの、サブテーマをいくつも設定していたのは良かった、と思います。

テーマを減らさないように努力しないと・・・。そういえば「包む」もテーマにしたはずですが書いていません。既に「絶滅危惧テーマ。なにか書かないと・・・。

信州まつもと大歌舞伎

2008-07-13 | B 繰り返しの美学



 俄歌舞伎ファンになって平成中村座 信州まつもと大歌舞伎 夏祭浪花鑑を観に行こう、とは結局なりませんでした。偶々市民芸術館の前を車で通り掛かって、のぼり旗を見かけました。おっ!繰り返しの美学!と写真を撮ることに。

のぼり旗って非日常な祝祭的雰囲気を演出するのにはもってこいですね。館内に入ってみるとそこにもいくつも旗が(写真)。

この国から伝統的な文化が消えていく、などと嘆きながら歌舞伎については何も知りませんし、観たこともないというトホホな私です。

ベルリン、ルーマニアのシビウ、東京、そして松本。まつもと市民芸術館の館長 串田和美氏の独自の演出によって松本オリジナルな歌舞伎になったそうですね。

さあ、次はサイトウキネン・フェスティバル。

風景印収集 「郵便局を訪ねて1万局」を読んだ

2008-07-12 | A 読書日記
「風景印」をネット検索してみてその数の多さにびっくりしました。風景印の収集を趣味にしている人って多いんですね。 で、こんなサイトもあるんですね。↓
http://www.post.japanpost.jp/stamp/fuke/

日本にはおよそ24,000局の郵便局があって約10,000の風景印があるのだそうです。風景印を押してもらうために約30年かけて離島や山頂そして船の中の郵便局も含め11,000局あまりを訪ねた「郵ちゃん」の巡礼記録を読み終えました。

収集した風景印がいくつも紹介されていますが、様々なデザインがあるんですね。新しい建築ができるとそれをデザインした風景印もつくられるそうで横浜ランドマークタワーや東京オペラシティ、六本木ヒルズなどの風景印が本書で紹介されています。そうか建築切手に建築風景印を押したものと、対象を絞って集めるなんてこともできるんですね。

正確には鳶色というそうですが、レンガ色のスタンプ(風景印)を見たことありますよね。

風景印にこんなに数があってそれを収集しているマニアがいることは知りませんでした。ちなみに鉄道マニアの女性は「鉄子」さんというそうですが、郵便マニアの女性は、そう「郵子」さんだそうです。

風景印には直径が36mm以下にしなければならないという規定があるそうですがそんな小さな世界に人を惹きつける魅力がつまっているんですね。私も近くの郵便局の風景印のデザインが知りたくなりました。

何年もかけてJR全線を乗りつくしたり、全国の棚田を訪ね歩いたり、高校野球全国大会の優勝校の選手たちの色紙を集めたり、マニアな人たちはハードルの高さなど気にもせず、むしろ自らハードルを高くしてそれを楽しんでいるのでしょう。

建築トランプ 安藤忠雄

2008-07-12 | A あれこれ
 

 久しぶりの建築トランプ、今回は安藤忠雄さん。

安藤さんが頭に載せているのはセビリア万博の日本館、でよかったかな。もとボクサーだったことを手にはめているグローブが示している。持っている新東京タワーは、何という名前に決まったんだっけ、思い出せない。ガウンの▲は21-21デザイン・サイトかもしれない。

安藤さんの場合、最終的な形が最初にイメージできるのではないかと思う。
この21-21デザイン・サイトも四角い紙を対角線で折って伏せたような形がまず初めに浮かんだのではないだろうか。内部空間と機能との関係付けなどにはあまり関心が無いのかもしれない、と思ってしまう。タイトな機能をもった建築よりも曖昧で明確な機能を持たないような建築の方が好き、というか得意というか能力を発揮できる人なのだ、と思う。

安藤さんが好んで使う単純な幾何学的形態を磯崎さんも昔はよく使った。例えば群馬県立近代美術館では立方体をいくつか並べた。単純な立体を使ってはいるが、ふたりの作品の印象は随分異なるように思う。感性の安藤さんに対して、知性の磯崎さん。この違いが作品にも表れているのではないか。

そのことを作品を挙げて具体的に説明したいところだが、なんとなく直感的にそう思うだけで、それが出来ないのは残念だ。

余分なものを捨てて捨てて、最初にイメージした「シンプルな幾何学的形態」に収斂させる安藤さん、素材感を消し去った抽象的な線と面の建築は原寸大の模型のようだ。安藤さんは材料のもつ質感や色などには関心がないのだろうか。ストイックな空間は極めて日本的とも評されるが、私はどうも物足りない。

頑なにコンクリート打ち放しのシンプルな立体に拘る安藤さんと有機体のような形態にチャレンジし始めた磯崎さん。

さてこの先どう展開したものか・・・

昨日セミナーに参加するために上京したT君に先月開業した地下鉄副都心線の渋谷駅を見学してきて欲しいと頼んだ。彼の感想を明日聞こう。と今までの文脈から外れたことを書いて今回は終わりにする。

安藤建築は語れない・・・。

信州の自然を描き続けた東山魁夷、そのきっかけは?

2008-07-12 | A あれこれ



 日本画家・東山魁夷の回顧展「生誕100年 東山魁夷展」が始まりました。先日、新聞にもこの展覧会が大きく報じられていました(写真)。

東京都近代美術館の特任研究員でこの展覧会を企画した尾崎正明氏が**東山魁夷の芸術が、根底では伝統に培われた日本的な感性と深くつながっていることがうかがえる。もっともそれらの作品は、必ずしもみたままの光景を描いたものではない。徹底した自然観照から生まれた心象風景、心のかたちにほかならない。(中略)自然をみつめる一人の画家の濁りのない澄んだ眼がとらえた深い感動であり、自身の内面の深い表白である。**と作品解説を寄せています。

観照という言葉があるんですね、辞書には**人生や自然や美などの抽象的な物事について、それはどういうものかと根本的に思索すること**とあります。

信濃美術館前館長の山本正男氏は**画歴の節目節目に信州の風景が果たした役割は看過ごすことはできません。風景画家東山魁夷は信州の自然が育んだといってよいでしょう。**と平成2年4月発行の図録に書いています。

ところでどうして東山魁夷は画材の多くを信州の自然に求めたのでしょう・・・。

旧山口村の賤母(しずも)に「東山魁夷 心の旅路館」があります。リトグラフや木版画などを画伯から寄贈された村(現在は中津川市です)が建設した小さな美術館です。そこに置かれているパンフレットには「木曽へのメッセージ」と題した東山魁夷の文章が載っています。

**美術学校へ入って最初の夏休みに友人と共に、木曽川沿いに八日間のテント旅行をしながら、御岳に登ったのが、私を山国へ結びつける第一歩でした。
この旅の途中、山口村の賤母の山林で大夕立に遭い、麻生の村はずれの農家に駆け込んで、一夜の宿を求めました。そこで私は思いがけないほどの温かいもてなしを受けたのです。
この旅で、それ迄に知らなかった木曽の人たちの素朴な生活と、山岳をめぐる雄大な自然に心を打たれ、やがて風景画への道を歩む決意をしました。(中略)
その後は何かに取り憑かれたように信州各地の山野や湖、そして高原へと旅を重ねて、四季折々の風景を描き続けてきました。(後略)**

このエピソードを画伯は先の図録にも書いています。**とある農家の戸を叩いて、わけを話しますと、老婆が気持ちよく迎えてくれました。土間でよいから泊めて下さいといったのですが、座敷へ通してお茶などを出してくれました。(中略)この旅はその時には気付きませんでしたが、私に大きな影響を与えたものであることが、ずっと後になりわかったのです。(後略)**

大正15年の夏、木曽の山村で老婆の温かいもてなしを受けることがなかったら、あるいは今回の東山魁夷回顧展が長野で開催されることにはならなかったかもしれません。

この展覧会の会期は8月31日までです。是非出かけたいと思います。


ブログの更新は面倒?

2008-07-12 | A あれこれ
一昨日の朝刊(信濃毎日新聞)にブログに関する記事が載っていました。

**国内のブログのうち、月一回以上内容が更新されているブログは20%に満たない。**という調査結果が総務省から発表されたそうです。ブログを始めたものの、更新が面倒、訪問者が少ないなどの理由で80%以上のブログが更新されなくなってしまっている、ということだそうです。

私の「お気に入り」でも休眠状態のブログがありますが、休眠している理由は先の更新が面倒だとか、訪問者が少ないなどということではないように思います。表現することへの懐疑などと表現すれば大袈裟でしょうか、その意味を再考したいといった理由ではないかと理解しています。以前このブログにコメントしていただいたCさん、Jさん気長にブログの再開を待っています。

その一方で更新されているブログが308万もあるそうですから大変な数ですね。その中で「お気に入り」に登録して頻繁に読んでいるブログは、私の場合15くらいでしょうか、リアルな世界の知人、友人のブログが大半です。全く知らない方のブログは少ないです。

ところで一体どんな方が私のブログを読んで下さっているのでしょう・・・。私の知人、友人が多いのではないかと思いますが、私のことを全く知らない方も読んで下さっていると思います。ネット上だけの知り合い、これも何かの縁ではないかと思います。

毎日更新するのはやはり無理ですが、これからもテーマ限定ブログを書くことを楽しみたいと思っています。

東へ西へ「郵ちゃん」が行く

2008-07-10 | A 読書日記



■ 都はるみのレコードを、いや別に都はるみでなくても、松田聖子でも誰でもいいのですが数枚持っているからといって、別にどうということもないですよね。それが都はるみのレコードほか発売されたものを全て持っている、ということになるとすごい!となってマニアとして認知されるでしょう。そうマニアというからには徹底しなくてはならないのです。

鉄ちゃんは一般にもよく知られた鉄道マニアの呼び名ですね。女性ならば鉄子さんと呼ばれるそうですが。郵便関係のマニアな人たち「郵ちゃん」は鉄ちゃんほどには知られていないようです。私もこの新書によって初めてその存在を知りました。

『ポスト消費社会のゆくえ』を読み終えて次は『郵便局を訪ねて1万局 東へ西へ「郵ちゃん」が行く』光文社新書。30年余をかけて日本の郵便局を11,000局あまりを巡礼したという筋金入りの郵ちゃん、佐滝剛弘さんの郵便局巡礼記録です。日本全国津々浦々、郵便局は24,650局(2007年2月末現在)あるそうですがその約半分を訪ねたというから間違いなくマニアでしょう。JR線完乗よりも全局巡礼を達成するのはたぶん相当難しいでしょう。

目次を見ると第七章は「注目!建築としての郵便局」です。先日取り上げた東京中央郵便局など全国には優れたデザインの局舎も多いと思いますが、それらのいくつかが取り上げられています。この章から読み始めてもいいかもしれません。週末はこの本を楽しもうと思います。


「ポスト消費社会のゆくえ」読了

2008-07-09 | A 読書日記

■『ポスト消費社会のゆくえ』文春新書を読み終えた。



あの上野千鶴子氏の鋭い質問に辻井喬氏が誠実に答えている。あとがきによると対談は2日間、延べ15、6時間に及んだという。

**辻井喬が批評する対象として選んだのが、堤清二。辻井喬が堤清二を飲み込んだという解釈です。**と上野氏が対談で指摘しているように、辻井氏はもうひとりの自分、堤清二を客体化することであたかも他人を論じるように語ることが出来たのであろう。

**いまはすでに百貨店という業態が、歴史的な使命を終えてしまっていると思っておられます?**という上野氏の質問に**ほぼ終えたなあ、という感じですね。**と辻井氏は答えている。

セゾングループ盛衰史という本書のテーマから外れて雑談として語られた三島由紀夫との交流についても興味深かった。 


路上観察 妻籠宿再び

2008-07-09 | A あれこれ

 所用で南木曽町まで出かけたついでに妻籠宿に立ち寄ってみました。今回は屋根に注目。昔の柿(こけら)板葺きもまだ残ってはいましたが(写真①)、大半は亜鉛鉄板の瓦棒葺きか横葺き、または瓦葺きでした。



なかには最近あまり見かけなくなった着色スレート板一文字葺きもありました(写真②)。着色スレート板一文字葺き石置き屋根、なるほどこれなら柿板葺きに似ています。原形をできるだけ留めておこう、という気持ちが表れているように思います。庇は大和葺き、腐朽が進んで修理することになったときもやはり原形を保って欲しいと思います。