透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

新築か中古かそれが問題、ではないか・・・

2008-07-06 | A あれこれ
「コンクリートのもろくて割れやすい欠陥を、ファイバーを混入することにより克服し、引張強度や曲げ強度を高め、靭性を富ませるものです。トンネル覆工に使用され、需要家から絶大な評価をいただいています。」(神鋼建材工業株式会社のHPよりコピー引用させていただきました。)

「ドラミックス」を検索するとこんな説明を見つけることができます。ドラミックスは土壁に混入する藁すさと同様のはたらきをします。

 我が家の車庫の出入口の下がり壁の下端にはツバメが巣を作りやすいように15cm角くらいの板が打ち付けてあります。今年はツバメが既にそこにあった巣の縁を補修して卵を産み、雛を育てました。もう何週間も前に4羽の雛が巣立っていきました。

数日前から別のツバメがその巣の隣りに新しい巣をつくり始めました。中古より新築を選択したのでしょう。くちばしで泥を運び、草を運びして巣づくりに励んでいます。草はたぶん泥のつなぎ材、ドラミックスと同じ役割を果たしているのでしょう。順序が逆かな、ドラミックスはこの草と同じだと書くべきでしょうか。草を繋ぎ材として使うことをツバメはどうして知っているんでしょう・・・。生後の学習?それとも情報が組み込まれている? 不思議です。

新しい巣をつくり始めたのは隣りの巣から巣立ったツバメではないか、と家人は言いますが、どうでしょう。隣りの巣は空っぽです。子育てを終えた親ツバメはこの時期どこで過ごしているのでしょう。群れて暮らすとも聞いたような気がしますが。

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■ 全国高校野球 長野大会が始まりました。母校の初戦の結果が気になってネットで速報を確認しました。4:0でリードしていたものの中盤で点を取られて最終回に同点に追いつかれているではないですか・・・、10回の表に2点取ってかろうじて勝利! あぶなかった、次の試合も頑張って欲しいと思います。

「私を甲子園に連れてって!」

 

異次元の遭遇

2008-07-06 | A 読書日記



■ 松本清張は数多くの作品を残しましたが、代表作を挙げるとすればやはり『点と線』でしょうか。でも私は『ゼロの焦点』と『砂の器』を挙げます。

以下あるいは以前にも同様の内容を書いているかもしれません。

社会学者の作田啓一氏が『深層社会の点描』筑摩書房1973年に納められた「異次元の遭遇―松本清張論」で**二つの要素の対照を強調しながら、両要素の遭遇ないし符合を描くこと、これが松本清張の小説の構成に現れた一つの特徴である。**と的確な指摘をしています。

先に挙げた二つの作品は作田氏の指摘のように共に人に知られたくない自分の過去を知る人物と長い時を経て遭遇してしまうことから始まる事件、悲劇を書いた推理小説です。

「異次元の遭遇」、全く関係のない二つの事象というか事柄がある視点から見ると繋がっている、脈絡があるということをこのブログに書きたいと思っていますがなかなか難しく思うに任せません。


鮮明に写っていませんね。

例えば今読んでいるこの3冊の新書、これらには何か共通するものがあるでしょうか、まあバラバラで無いとは思いますが、読み終えたら考えてみようと思います。

ところでここ数週間、このブログへのアクセス件数が週2,000を越えています。ちなみに先週は2,325回でした。1日平均330回、人気タレントの書くブログは日に数万回ものアクセスがあるものもあるそうですが、このようなブログに数多くアクセスしていただいて・・・(感涙)、ありがとうございます。

全く無関係に思われている二人が実は不倫関係にある・・・、そこを暴こう。そんなこと・・・、ではなくてもう少し真面目に先に挙げたことを意識して書こうと思っています。


 


コクーニング

2008-07-06 | A あれこれ




 新宿西口にモード学園の「コクーンタワー」というユニークな外観の超高層ビルが完成間近です。コクーン、そう繭を縦に引き伸ばしたような外観から付けられた名称でしょう。ストーリーはすっかり忘れてしまいましたが、「コクーン」という映画もありました。

さて今回はコクーニングについて。

余り耳にしない言葉かもしれません。「コクーニング」でネット検索するとちゃんとヒットします。繭をつくるように消費者が家に閉じこもる現象を指した言葉、消費意欲が減退した状況を繭づくりに例えたというような説明がなされています。この言葉は経済用語と理解してもいいのかもしれませんが、「コクーニング願望」を私は繭の中に閉じこもりたいというような心の動きと捉えています。

小さな子供が例えば押入れのような狭いところに閉じこもることを好むのは「子宮回帰願望」があるからだ、というような説明がなされますが、「コクーニング願望」も同義です。大人が抱く「子宮回帰願望」を「コクーニング願望」と表現しようというわけです。まあ、要するにどこかに篭もりたいという願望ですね。「男の隠れ家」という雑誌がありますがこのタイトルもやはりこの「コクーニング願望」を意識したものだと思います。

で、今回の写真ですが松本市内にある「楽蔵 ぴあの」です。大正時代にできた蔵を改造して茶房にしたそうですが、以前から一度行ってみたいと思っていました。蔵は「コクーニング願望」を満たすのには実にいいところだと実感しました。分厚い壁に囲まれているという安心感が何とも心地いいのです。最近流行りのぺなぺなの薄い壁でできた空間ではまず無理でしょう。

むかし蔵の町として有名な会津若松で蔵座敷に泊まったことがありますが、そのときにも同様の体験をしたことを覚えています。他にも例えばビルの地下というのが条件ですがバーだとか、個室列車の旅だとか、いろいろあるとは思いますが、蔵に篭もって濃いコーヒーをゆっくり味わいながら文庫本を読む・・・、手軽でいいです。

「楽蔵 ぴあの」、いいところを見つけました。いつか雨に日にまた出かけてみたいと思います。

路上観察 小谷のくら(少し加筆)

2008-07-05 | A あれこれ



 倉と蔵とでは意味が違うようですね。倉は主として穀物を納めるため、蔵は家財を納めるためのもののようです。なるほど、確かにこめぐらを変換すると米倉となりますし、かねぐらは金蔵となります。

ところで小谷村は全国でも有数の豪雪地帯ですから、建築にも雪害対策を講じる必要があります。この倉は腰壁を波トタンで覆っていますが、もともとは板張りでした。妻面の左側に少し見えます。安価でメンテナンス不要な材料となるとやはりこのような金属材料になるのでしょう。入り口上部の庇は後から付けたものでしょう。後方に民家が見えますが茅葺だったころは自然に溶け込んで美しかっただろうと思います。





このクラは蔵でしょう。壁の外側に木を組んでいますが下の写真で分かるように登り梁を下から支えています。この木組みの主たる目的は軒先にかかる積雪荷重を支えることでしょうか。隣りの白馬村辺りでも目にします。貫(柱をつなぐ横材)に藁束を掛けたりもするようです。全ての柱を地面まで下ろしていないのは何故? 邪魔にならないようにとの配慮でしょうか。やはり持ち主の方に取材しなくてはいけません。

切り妻屋根の棟に雪割りが付いています。これが無いと雪は屋根に布団をかけるように積ってしまいます。この雪割りによって積る雪が左右に「割られて」滑り落ちる、というわけです。雪国ならではの工夫です。

民家の姿は地方によって異なります。その理由を知るのは楽しいものです。長い歴史を経て培われてきた工夫の数々、現代の建築にも生かしたいものです。


小谷小学校 再び

2008-07-03 | B 繰り返しの美学


 新潟県糸魚川市に境を接している長野県の小谷村の小学校。この小学校の体育館は既に繰り返しの美学で取り上げました(060609)。白い鋼管の方杖の繰り返しが美しい学校です。


小谷小学校 080703

校舎棟の外観、鉄筋コンクリート打ち放しの柱の頂部に設置された白い方杖が大断面集成材の梁を支えています。そのリズミカルな繰り返しが美しいです。

建築の構成要素の繰り返し、この秩序付けられた状態を美しいと感じるのは脳がそれを歓迎しているから、以前も書きましたが結局このように理解するしかないというのが結論です。

繰り返しの美学はまだまだ続きます、たぶん。

きょうは何の日

2008-07-02 | A あれこれ

■ NHKラジオの「ラジオあさ一番」という早朝番組に「きょうは何の日」というコーナーがあります。

昭和25(1950)年のきょう、7月2日は金閣寺が寺僧の放火によって焼失した日だとこの番組で知りました。現在の金閣寺は昭和27(1952)年から30(1955)年にかけて再建されたものだそうですね。


金閣寺 060122

私が金閣寺を訪れたのは2006年の1月22日のことでした。中学の同級生達と2度目の修学旅行に出かけたのでした。清水寺、智恩院、南禅寺、龍安寺、大徳寺、大覚寺など1泊2日で随分欲張ってあちこち観て周りました。


中学の修学旅行・・・、遥か昔のことで京都では清水寺と三十三間堂、奈良では興福寺くらいしか見学した記憶がありません。

ところで金閣寺といえばやはり三島由紀夫の同名の小説が直ちに浮かびます。そう、金閣寺放火事件を題材にした小説ですね。手元にあるのは新潮文庫(昭和44年18刷、定価120円)です。小さな活字で組まれていて今読むのはきついです。



**二日の午前一時、撃柝の声も納まって、寺は静かになった。雨はなお音もなく降っていた。私は一人、敷いた寝床の上に座っていた。そして鹿苑寺に沈殿する夜を計った。**

手元にある3冊の新書を読了したら今書店に並んでいる大きな活字で『金閣寺』再読です