透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「日本の仏像」

2009-06-04 | A 読書日記



 仏像ブームに便乗しようという書店の策略(?)にはまってこの新書を買い求めた。新刊でもないのに新書コーナーに平積みされていた。仏像に関する本を何冊も読むことで、少しは仏像に関する知識が頭に入るだろう。

既に書いたと思うが総じて中公新書は中身が濃い。文庫は新潮だが、新書は中公だ。

『ハチはなぜ大量死したのか』を読み始めたが、単行本は隙間時間読書には不向きだ。やはりコンパクトな文庫や新書がいい。ポケットに入るから、簡単に取り出して読むことができる。

今週末はこの本を読んで過ごそう・・・。

『日本の仏像 飛鳥・白鳳・天平の祈りと美』長岡龍作/中公新書


ブックレビュー 0905

2009-06-02 | A ブックレビュー



 5月に読んだ本のレビュー。

間宮林蔵が樺太が島であることを確認してから、ちょうど20年後、播隆上人は槍ヶ岳初登頂を果たした。二人はほぼ同時代を生きた偉人。

基本的に読む本は買っている。図書館を利用することはまずないし、人から本を借りて読むこともない。が、5月は友人から借りて読んだ本が3冊。

『プリンセス・トヨトミ』万城目 学
『阪急電車』有川 浩
『恋文の技術』森見登美彦

3人とも今人気の作家だが、貸してもらわなければ、読む機会はなかった、と思う。友人に感謝しなくては。

その友人に「『ぼくらの時代』読みました。『グイン・サーガ』あります!」と言われた。「Mさん、あなたはすごい! また僕が読みそうにない本を「押し付けて」下さい」

さて、次は『ハチはなぜ大量死したのか』だ。


理由

2009-06-02 | A あれこれ

『槍ヶ岳開山』新田次郎/文春文庫 を読み終えた。

百姓一揆にまきこまれて、誤って愛妻のおはまを殺してしまった(その真相は単純ではない。物語の最後、ある人物によって死の床にある播隆に真相がドラマチックに語られている。)ひとりの男が、一生をかけて亡き妻に許しを請う物語。 

**おはまだと播隆は思った。おはまの最期の姿が雲の中に再現されたのではなく、おはまが最期の姿のままでそこに現れたのだと思った。(かなり中略)光を失せはじめていた光輪は播隆の名号に答えるかの如く再び明るさを増したけれど、一度崩れかかったおはまの姿勢を元どおりにすることはできなかった。七色の虹の光輪は急激に色あせていって、その中のおはまは一塊の陰影になり、風に乗ったような速さで遠のいていった。** 

**槍ヶ岳がおはまの消えた方向に浮かんでいた。虹の光輪に乗って、おはまは槍ヶ岳の方に去ったのだと播隆は思った。**

いまで言うブロッケン現象だが、この神秘的な体験によって播隆はおはまに会うために槍ヶ岳の頂上をめざした・・・。

『利休にたずねよ』では千利休がひとりの女性のために生涯美を求め続けたとされている。そしてこの小説では播隆は亡き愛妻に生涯許しを請い続け、それが槍ヶ岳開山の個人的な動機になっていた。

男ってそういう生き物なのだな・・・。


ほお葉巻

2009-06-01 | A あれこれ


 友人がブログにほお葉巻を取り上げていた。

偶然だが、今日ほお葉巻を午後のお茶の時間にいただいた。 写真のように袋には「ほう葉巻」と表記されているが、「ほお葉巻」と表記するのが一般的だ。

つぶあん入りとこしあん入りとがあったが、好きなつぶあん入りをいただいた。美味かった。米粉にそば粉を加えたものもあったが、どんな味だったんだろう・・・。今年は葉の生長が早いのかもしれない。包んである葉が随分大きかった。

飛騨高山の郷土食にほお葉味噌がある。包んで蒸すほお葉巻、のせて焼くほお葉味噌。木曽と飛騨、両地方には共通する食文化があるのかもしれない。いや、違うかな・・・。

路上観察 道祖神

2009-06-01 | B 石神・石仏
 善光寺の御開帳が昨日(31日)閉幕した。参拝者数は前回を上回る673万人だったそうだ。今日の午後、前立本尊を宝庫に移す御還座式が行われた。


松本市城西にある道祖神

普段は石の祠の扉が閉められ、施錠してある道祖神。今日はその道祖神の「御開帳」だった。いったいどんな道祖神が安置されているんだろう・・・。前から気になっていたが、今日その姿を拝むことができた。



祠に安置されていたのは一対の木彫りの道祖神だった。祠に納められている道祖神はそれほど珍しくはないようだが、「木彫り」はどうだろう。私は初めて見たが、旧城下では木彫りが中心だったようだ。探せば他にも木彫りの道祖神が見つかるかもしれない。