透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「にっぽん入門」

2009-06-14 | A 読書日記



 柴門ふみさんの『ぶつぞう入門』文春文庫のカバー折り返しに『サイモン印』と『にっぽん入門』が載っている。

東京からの帰り、松本駅の書店で柴門さんの文庫を探してみた。『にっぽん入門』が1冊だけあった。さっそく買い求めた。で、本日読了。

**仏像よりさらに奥深く、日本文化を探る旅に出るのです。**と担当編集者からメールがあって、旅が始まったそうだ。

『にっぽん入門』には「にっぽん人の心探求」のための全国探訪記が20篇納められている。「諏訪の木落とし坂落とし 御柱に縄文人魂を見たのだ」と「お座敷列車は人情列車 信州カラオケ旅」、長野県も2回旅している。

漫画家になるくらいの人だからやはり観察力がある。人間観察力、仏像観察力、伝統行事観察力・・・ すべてある。ユーモアも当然ある。柴門さんのエッセイがよく読まれているのも頷ける。 

「クリスマスの東京湾クルーズ」はクリスマスの夜にイチャつくカップル観察記。銀行の支店長と行きつけのバーのママの不倫カップルか、などと船上観察。で、最後はビシッと、**クリスマスまではイチャつかない。クリスマスに思いきり弾けて、また元に戻る。やはり日本人はハレとケの民族なのだ**と括る。この総括がいい。

「京都「女ひとり」の旅 失恋女はなぜ京都に行くのか」の括り。**京都大原三千院 恋に疲れた女がひとり  というフレーズは、日本人の心に強く残り、失恋すると、「そうだ、京都、行こう」と今も多くの日本女性にインプットされている。そういった意味でも「女ひとり」は日本の新しい民謡なのだ。** と歌謡曲論。なるほどね、と納得。

『ぶつぞう入門』同様、『にっぽん入門』にも各章に漫画が載っている。線がなめらかで、丁寧。こちらの方が数段いい。

これはもう、残りの一冊『サイモン印』を読むしかない。


♪理屈じゃないのよ仏像は

2009-06-14 | A 読書日記

今日も仏像 明日も仏像 これじゃ年がら年中仏像



■ 東京に行くと必ず丸の内オアゾの丸善に立ち寄ります。以前よりも店内が混雑するようになったような気がしますが、まだまだ、ゆったりと本を探して過ごすことができます。

今回は漫画家柴門ふみさんの『ぶつぞう入門』文春文庫を購入。そうです、またまた、まだまだ仏像です。京都や奈良、大阪、そして東北など全国各地に訪ねた仏像について綴るエッセイ。都内を移動する電車内で読了。

**如意輪観音は色っぽく微笑んでいた。あらん、ちょっと酔っぱらっちゃったわぁと頬を染め目を潤ませているぽっちゃり系のお姉ちゃんを、うんと洗練させた感じ。**と、まあこんな感じの仏像評。例の阿修羅についてはやはり夏目雅子に似ているとか、貴乃花だとか、沖田浩之だとか、諸説にぎやかです。

鎌倉の覚園寺の薬師堂、本尊は薬師如来、その両脇は日光、月光両菩薩。月光菩薩は、星飛雄馬のお姉さんに似ているんだそうです。仏像をこのように観察したら楽しいでしょうね。

先日、秋篠寺の伎芸天(ぎげいてん)立像に会いたいと書きましたが、紫門さんに同行していた編集者も「忘れられない。最高じゃないっすかー」と絶賛したそうです。そう、あの柔和な表情、魅せられます。

奈良に行きたい、いや行く!(と、繰り返し書いているときっと実現するでしょう。)

取り上げている仏像について著者のイラストと共に歴史度、技巧度、芸術度、サイモン度という項目を★の数で評価しています。

以下巻末に収録されている瀬戸内寂聴さんとの対談からの引用。

柴門 ハンサムな仏さまもいます。梵天と帝釈天は、帝釈天のほうがハンサムでした。金剛法菩薩も端整なお顔立ちで。
寂聴 仏さまも、美男でなければ拝む気しないですよ。


♪ 飾りじゃないのよ涙は 理屈じゃないのよ仏像は 


 


繰り返しの美学 村野藤吾

2009-06-13 | B 繰り返しの美学


 繰り返しの美学。

外装のアルキャストのルーバーが軽やかでリズミカルで美しい。村野藤吾は建築の構成要素を繰り返すことの美しさを意識してデザインしていた、と思う。

千代田生命本社ビルとして1966年に竣工したが、用途変更されて2003年から目黒区総合庁舎。

駒沢通りを恵比寿駅に向かうバスから途中下車。今日は土曜日、閉庁。外部のみ観察。いつか内部も観察したい。



開口部上部、入隅のフリーハンドな切り込み、村野流。



床のピンコロ調タイルがいつのまにか腰壁に。これも村野流。

「座・高円寺」は閉じている。

2009-06-13 | A あれこれ
徹底的に閉じている。

■ JR高円寺駅から中野駅方面に高架に沿って徒歩で5分。「座・高円寺」は外に開く(外の景色を館内に取り込む)ことができるようなロケーションにはない。その意味で伊東さんがサーカスのテント小屋のようなデザインを選択したことは正解だったと思う。



雑誌ではストレートな説明を伊東さんはしてはいないが本音のところは「ここじゃ開けない・・・」ということだったのではないか。

「まつもと市民芸術館」のあわあわなガラスを埋め込んだGRC壁もおそらく同様の理由ではなかったか(プロポーザル段階では、ガラスの大きな開口が構想されていたが、途中で変更されている)と推察する。

所用で東京に出掛けた。用事を済ませてから「座・高円寺」に行ってみた。




エントランスホールや2階のカフェの壁は草間弥生なドットの世界。手摺壁にまでドットを施す徹底振り。

このドットのイメージソースはやはり諏訪湖にあるのだろうか・・・。

テントがつくる曲面そのものの天井。高さ制限という法的な制約をクリアするためだったということだが、上手いなと思う。ただ、階段で2階に上がって、唐突にこの空間になっているのには一瞬戸惑った。まつもと市民芸術館2階のレストラン井(せい)も同様の構成だが、やはり戸惑う。やはり空間的に仕切られていないと落ち着かないのだ。

狭小でロケーションがよくない敷地を上手く生かしてしまう手腕はさすが。

「日本の美術館名品展」 

2009-06-13 | A あれこれ


 週末の上野。今回は東京都美術館で「日本の美術館名品展」を観た。**ミレー、モネ、ピカソ、フジタ・・・220点が一堂に。**とパンフレットにあるが、確かに贅沢な展覧会だった。全国に点在する名品を一度に鑑賞するいい機会かもしれない。が、ちょっと作品が多すぎるかも。

ルーブル展が明日14日までの国立西洋美術館は長蛇の列が美術館の敷地の外まで延々と続いていたが(待ち時間150分!)、こちらはそれ程込んではいなかった。

印象派の画家カミーユ・ピサロの「エラーニの牛を追う娘」。点描といってもいいタッチで画題の光景を描いているが、逆光が好きな私には印象に残った作品。

ジョアン・ミロの作品があった!「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」 ミロの作品はとにかく好きだ。例の星や月、動物や人と思われる線画、グラフィックな表現がとにかくいい。しかし、どこにも踊り子はいない・・・?

あとはアンリ・ルソーの「サン・ニコラ海岸から見たサン・ルイ島」、色彩はミロやカンディンスキーなどと比べると(比べてはいけないか)豊かではないが、きちっとした構図の印象的な作品だった。

ジョルジュ・ブラックも好きな画家、「楽譜のある静物」落ち着いた色彩、存在感のある卓上の静物、いつものブラック(ってコーヒーの注文じゃないか)。

日本画も50点ほど展示してあるとのことだが、あまり関心がなく、パスした。

「マンダラの謎を解く」

2009-06-12 | A 読書日記

『マンダラの謎を解く 三次元からのアプローチ』武澤秀一/講談社現代新書読了。マンダラは単に図絵にとどまらず立体的な石窟や飛鳥寺の伽藍配置などにも表現されているとする著者の指摘はなかなか興味深かった。

飛鳥寺は塔を中心としてそのまわりを三つの金堂が取り囲んでいたという。その復元図が載っているが、その伽藍配置をみると確かに立体マンダラだとする著者の見解にも素直に頷くことができる。

その伽藍配置が日本では次第に変容していく。

確かに例えば法隆寺では塔と金堂が横に並び、伽藍の中心性が失われている。薬師寺では東塔と再建された西塔が伽藍の前に配置され、金堂が回廊のほぼ中心に配置されている。塔が本来のストゥーパつまり卒塔婆という意味から変わっている。

塔が伽藍の中心から次第に外れるとともに塔に代わって伽藍の中心に配置された金堂も、横長になっていく・・・。その最たるものが三十三間堂だ(金堂は次第に本堂と呼ばれるようになる)。

著者はこの変化を**立体的幾何学的な、いわば硬直した中心性ではなく、周囲に溶けこむやわらかな叙景性を求めての動きとみることができる。**と指摘している。

そのように変容していったのは一体何故なのか。そのことについて著者は「島国ゆえに」という小見出しからも分かるように、日本の地形の特性、大陸とは異なり細かな地形の変化で、つねに目印となる山並みが目に入ってくる島国であることを挙げている。

塔を中央に据えた中心性の強い伽藍配置不要の地理的特性。これは、和辻哲郎の『風土』にも通ずる指摘だ。

なかなか興味深い論考だった。さて、次はこの本。



『塔と仏堂の旅 寺院建築から歴史を読む』山岸常人/朝日選書


「1Q84」

2009-06-10 | A 読書日記

 村上春樹の新作『1Q84』。発売からわずか2週間で発行部数が100万部を越えたそうだ。そういえばいつも立ち寄る書店で平積みされているこの新刊を見て、数日後には一冊もなかった。この異例の売れ行きにはエルサレム賞授賞式でのスピーチも大いに関係があると言われている。改めて全文を読んでみると、やはり上手いスピーチだと思う。村上作品が海外で評価されているということも分かる。

今日の朝刊の文化面に『1Q84』の書評が掲載されている。7日(日)の朝日新聞にもやはり書評が掲載された。これらの書評によって、この小説の輪郭がなんとなく分かってきた。



「1984年」と「1Q84年」、ふたつの世界が層をなす。ふたりの主人公、青豆と天吾、ふたりの物語が交互に展開される。今までの村上春樹の小説世界、その新たな展開。物語が上手く編み上げられているのだろう・・・。

『風の歌を聴け』
『1973年のピンボール』
『羊をめぐる冒険』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『ノルウェイの森』
『ダンス・ダンス・ダンス』
『国境の南、太陽の西』
『ねじまき鳥クロニクル』
『スプートニクの恋人』
『海辺のカフカ』
『アフターダーク』

一昨年のことだが、数ヶ月かけて村上春樹の長編小説を一通り読んだ。
一時「仏像」を休止してでもこの小説を読まなくては、という気持ちになりつつある。夏休みにでも読んでみようか・・・。




「マンダラの謎を解く」を読む

2009-06-09 | A 読書日記

 しばらく前に読んだ『日本庭園 ―空間の美の歴史』小野健吉/岩波新書の一番の!!は**大自然の景観を縮模しつつ具体的かつ明快に表現する手法は、先に述べた「山水画の三次元化」と捉えることも可能であろう。**という指摘だった。つまり「山水画という平面的な世界を三次元的に表現する枯山水」という捉え方の提示だった。
 



『マンダラの謎を解く 三次元からのアプローチ』講談社現代新書を読み始めた。

マンダラって何? 新明快国語辞典では**おおぜいの仏や菩薩を、教理に従って、模様のように描いた絵**と説明されている。そう、平面的な絵なのだが、この本で著者は**石窟こそ、まさに立体三次元空間のマンダラをずばり体現するものだった。**と指摘している。

時代は石窟のほうが古く、密教マンダラ図絵が生まれるより前に、マンダラは建築空間としてあったということになる、ということなんだそうだ。「石窟というマンダラ空間を二次元的に表現するマンダラ絵図」 枯山水とは逆で、マンダラには三次元表現の二次元化というの流れがどうやらあった、ということだ。

飛鳥寺などの伽藍配置もマンダラ世界の表現という指摘 もしている。建築家ならではの見方かもしれない。

この手の本の「なるほど!な説」は実に面白い。以前この著者による『法隆寺の謎を解く』ちくま新書を読んだが眉唾な説では決してなく、実に説得力があった。この『マンダラの謎を解く』も同様で、具体例を提示しながら展開される論考には説得力がある。

今週はこの本を隙間時間読書する。


 


美味でした!

2009-06-08 | A あれこれ


 先日ほお葉巻について書きました。そば粉のほお葉巻ってどんな味なんだろうと書いたところ、「これは催促しているんだ」と文面を正しく理解していただいた方から、そば粉のほお葉巻をいただきました。

ほお葉を2枚重ねて包んでありました。米粉のほお葉巻より、素朴な味でした。ペーパーナイフさんありがとう。さすが文章読解力がありますね。

朴葉には殺菌効果があるんですね。袋に入っていたパンフレットには**梅雨時でもバイ菌から食品を守り、鮮度を保つ力があるとされ、朴の葉にゴハンを包んで出掛けたという。勿論、大きく丈夫な葉は食器としてもエコ活用。**とあります。これも昔の人の知恵ですね。

「包む」について久しぶりに書きました。

茅葺屋根の棟仕舞

2009-06-08 | A あれこれ







①~④ 民家 昔の記録再掲

 屋根で雨仕舞上弱点になりやすい部位は、やはりふたつの屋根面が交差する棟です。棟は平面とは違って同一の構法(葺き方)を連続させることが出来ません。腐朽もしやすいので、棟仕舞(棟納め)としていろいろ工夫されるのですが、民家、特に茅葺の場合はそれが地方によって異なります。

④は塩山の櫓造りと呼ばれる民家です。残念なことに腐朽しやすい棟をトタンで覆っていて本来の姿を失ってしまっています。棟だけではなく、屋根全体をトタン葺きにしている民家が圧倒的に多いのが現状です。



⑤は昨年のカレンダーの3、4月に使われていた櫓造りの民家の木版画(甲斐桃源/山高 登)を撮ったものです。棟が緑色の民家が何棟かあります。昔は「芝棟」だったということがこの版画から分かります(この部分再掲)。

「芝棟」は関東から中部、東北地方にかけてよく採られた方法でした。東北では芝棟を「くれぐし」と呼びます。くれとは土塊(くれ)のことで、土のついた芝も意味しているのでしょう。ぐしとは棟のことです。

手元の資料(「住まいの伝統技術」安藤邦廣他)によると、芝棟には芝を直接棟に載せる方法と、まず杉皮を被せてその上に土を敷いて芝を載せる方法があるそうです。

前者の場合、芝の根が茅にからんで棟が固定されるのですが、後者の場合は土の重みで棟が押えられているのだそうです。雨で土が簡単に流されてしまいそうですが、そんなことはないのでしょう。

芝に加えて菖蒲やユリ科のカンゾウ(朱色の花)などを植えることもあるようです。もちろん草が自然に生えることもあるでしょう。先の資料には菖蒲が咲いた芝棟の写真が載っています。⑥



集落全体が芝棟で、いっせいに菖蒲が咲く・・・。昔はそんな光景を見ることが出来たのでしょう。きれいだったでしょうね。

カフェ・シュトラッセで読書

2009-06-07 | A 読書日記

 カフェ・シュトラッセで午後のひと時を過ごす。クラシックが静かに流れる店内、美味しいコーヒーをいただきながら本を読む、至福の時。こんな田園風景の中のカフェって、日本広しと言えども、そうはないだろう。このような場所であるのにもかかわらず、訪れる人が多い。いやこのような場所だからこそ、わざわざ遠くから訪れる人がいるのかも知れない。

もちろん一番の魅力がコーヒーの美味さにあることは指摘するまでもない。

焙煎機の煙突、木柱の外灯


今日ここで『日本の仏像 飛鳥・白鳳・天平の祈りと美』長岡龍作/中公新書を読了。

仏教の教え、施主の願いをビジュアルに表現したものが仏像だと思うが、その姿は一体何を表現しているのか、史料などを基に読み解こうという試み。内容は専門的で難しい。仏教の世界はやはり奥が深い。

仏像鑑賞には仏教の基礎的な知識が役に立つとは思う。が、ここまでのことを知らなくてもいいのではないか、と自分に言い聞かせてきちんと内容を理解することを諦めた。

『仏像の本』で著者の仏像ガール(廣瀬郁実)さんは、**まずはいっぱい感じて、ちょっと知ってみる。興味を持ったらもっと知ってみる。そんなふうに仏像を楽しんでみると、ステキな仏像との出会いがきっとあるはずです。**と書いている。そうだ、まずは仏像との対面だ。それから仏像通史をザックリと押えればいい。


石山さん、藤森さんを評す

2009-06-07 | A あれこれ


 日曜日の朝刊には読書欄があって、書評が何編も載る。今日の朝刊(信濃毎日新聞)で藤森照信さんの『ツバキ城築城記』日経PB社を建築家の石山修武さんが書評していた。

藤森さんはデビュー作から一貫して自然素材を使いつづけている。どこか懐かしい雰囲気の漂う作品を、嫌いと言う人は少ないのではないだろうか。それは自然素材の持つ力、魅力によるものだ、と思う。

本書のツバキ城は伊豆大島にもう何年も前に「築城された」酒屋だ。確かなまこ壁の目地が芝だった。表紙のように方形の屋根も芝、てっぺんにはツバキが1本植えられている。随分青々としていて赤い花が数輪咲いている。

藤森さんは自邸の屋根にタンポポを植えたし、作家で「老人力」という言葉をつくった赤瀬川さん家(ち)の屋根にはニラを植えた。屋根に植物を植えるという発想は民家に見られた「芝棟」という棟納めから来ているらしい。


芝棟「民家 昔の記録」再載

さて、石山さんの書評。

**本当は藤森の考えは、普遍化モデルに収束していく近代的思考、つまりグローバリぜーションにとっては異物である。しかし排除の力は働こうとしない。なぜか。それは藤森の思考が、建築の祝祭性への民衆の願望を代弁しているからだ。** このくだり、石山さんは真面目にそして的確に藤森さんの建築観、建築作品を評している。

**「カッカッカ、ザマミロ、イシヤマ」とまで書かれた私だって黙っていないぞ。今年、出現する私の建築を見て、その論を読んだら、オマエ泣くぞ。悲嘆にくれる姿が目に見えるようだ。** ふたりは盟友。この書評の結びがいかにも石山さんらしくて、いい。早速、この本を注文しよう。

どじょうは何匹でも

2009-06-07 | A あれこれ



 阿修羅、阿修羅、阿修羅。3冊とも買ってしまいました。

阿修羅を表紙に阿修羅えば、もとい、あしらえば雑誌は売れます。出版社の皆さんは「神様 仏様 阿修羅様」と感謝しているでしょう。

表紙の写真を比べてみると、アングルや照明によって、表情が全く違って見えることが分かります。仏師もそこが狙いだったのかもしれません。

ところで「サライ」には明治41年に刊行された写真集「日本精華」に掲載されたという、腕が欠落した阿修羅が紹介されています。痛々しい姿です。

阿修羅は顔が3つ、腕が6本もあるのに全く違和感を感じませんが、そのポイントは腕にあるような気がします。試みに合掌している腕以外の腕を隠してみると、3つの顔が急に不自然に見えますし、全身が妙に細長く感じます。やはり腕の太さと配置が絶妙なんでしょう。

「一個人」には京都妙法院三十三間堂の阿修羅像が載っています。ずんぐりした体、太い腕、顔は阿修羅本来の怒りの表情・・・。

やはり興福寺の阿修羅は特別なんですね。どこか寂しげで憂いを帯びた表情に惹かれます。

大勢の人たちを魅了した阿修羅、東京国立博物館の「阿修羅展」は今日(7日)閉幕ですね。


興福寺五重塔望遠 昔の記録

今秋、奈良に出かけて阿修羅と再会したいものです。


 


雨の日に阿修羅を語り合う

2009-06-06 | A あれこれ

「こんにちは。お久ぶりです」
「元気そうだね」

  

「そのファション、最近流行っているけどなんていうの」
「え?」
「胸元に下着がのぞいている・・・」
「え?これですか。知らない、なんていうのかな」



「この記事見た?」

「ええ。興福寺の中金堂の再建が始まってるんですね。基壇が完成したってありますね。写真に撮ったんですか? あ、ブログ? ということはこの会話もアップするんですか」
「そう」
「別に、いいですけど」
「この模型、阿修羅展で見たけれど、木造だからね、材料がそろうのかな。柱は相当太いから」
「難しいんですか?」
「国内になければ台湾桧を使うとか。でもどうするんだろうね」

「国内産でないとなんだかね・・・

「そうだよね。ところでKちゃん、仏像がいまブームらしいけど、好き?」
「U1さんのブログを読んでいて私も仏像ファンになりました、なんて♪」
「んな、わけない」
「実は前から好きだったんです。友だちと京都とか行くでしょ。結構時間をかけて仏像観ますよ」
「そうか、Kちゃん、そういう雰囲気あるよね。ちょっと古風というか落ち着いた雰囲気。和服が似合いそう・・・」
「そうですか、前もそう言われましたけど、着たことないです。ところで阿修羅が安置されていた中金堂って7回も焼失してるんですね」
「そう。この記事を読むまで知らなかったけど。失火すると燃えるよね。木造だから」

「阿修羅はずっと無事だったってことですよね」
「そうだね。阿修羅像って内部が空洞だから、軽いんだね。だから火事の時は抱きかかえてお堂から運び出したんじゃないかな。6本の腕があるけれど、そのうち2本が欠落している写真を雑誌で見たけれど、明治時代に修理されるまでは、そんな姿だったんだね」
「え? 腕が欠損していたんですね。知らなかった・・・。細いし折れやすかったんでしょうか。仏像を特集した雑誌に出てましたけど、阿修羅って粘土で形を作っておいて、麻布を漆で張り重ねていくんですね」
「詳しいね」
「ええ。阿修羅がどのようにつくられたのか興味がありますから。でね、乾燥させてから中の粘土を背中からかき出して、中に木の心材を入れて補強するんです。顔の表情なんかは、木屑と漆を混ぜたものを塗ってつくるんですね」

「で、何の木の木屑だったか知ってる?」
「え~、知りません。何の木なんですか」
「しばらく前に、テレビで阿修羅を当時の技法でつくるところを観たけれど・・・。で、何の木屑か分からなくていろいろつくってみるところをやってたけど、たしか桜とか桧とか。でも何の木だったか忘れた。聞いたことのない木だったな」
「ええ、ちゃんと覚えていて教えて下さいよ」

「無理無理、覚えているなんて。ところでさ、阿修羅って修羅場って言葉の語源になっているんだね」
「知ってます。阿修羅ってもともと戦いを好む悪神だったんですよね。それで、繰り返し戦争したあと、釈迦の教えに帰依して守護神になった、って。そういう、なんていうのか経歴?があの阿修羅の人気の秘密かも」

「かわいい!とか、かっこいい!ってだけじゃなくて? でもね、Kちゃんとこうして阿修羅のことを話すなんて、ね」
意外ですか・・・」
「僕の方は仏像に興味をもったのは最近だからね。手にいろんなものを持っているとか、手の形にも意味があるなんてこと、知らなかった・・・。如来、菩薩、明王、それから・・・天か。そんな種類があることすら分かっていなかった。いろんな仏像がごちゃごちゃあるな、と思っていただけ。それぞれ役割があるんだね。今まで京都に行っても、仏像をゆっくり観るなんてことしたことなかったし」
「建築とか、庭とか、路地とか・・・?」
「そう。仏像は抜けてた」

「U1さん、ときどきバーに行ってるみたいですけど、私を誘ってくれないじゃないですか。今度行きましょうよ。居酒屋で飲むのも好きですけど」
「居酒屋では何回か飲んだよね、みんなで。じゃ、今度バーに行こう。この後、下の書店で本を探そう」
「村上春樹の新刊『1Q84』が話題になってるそうですね、読んでみようかな」


大和棟

2009-06-05 | A あれこれ





民家 昔の記録 大和棟の民家 当麻町 198105

 大和棟と呼ばれる切妻の屋根。妻壁の換気孔が特徴だが、写真には写っていない。奈良盆地では雪割棟の上部に針金で作った松竹梅を飾って縁起をかつぐ風習がある。これは松。

最近、仏像にぞっこん。奈良に行きたいと思っているが、これは28年前に奈良県当麻町で撮った写真。