透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

レトラライン

2011-10-19 | A あれこれ



 20代の時、読んだ本に水色の「レトラライン(レトラテープ)」を貼っていました。30代になったら別の色のテープを貼ろう。そうすれば書棚に並ぶ本の読んだ年代が一目瞭然だと考えて始めたのでした。そして30代の時に読んだ本には緑色のテープ、40代の時の本には黄色のテープを貼っていたのです。



北杜夫の作品をずっと読んでいます。とりわけ、瑞々しい感性にあふれる初期の作品が好きで、この『神々の消えた土地』新潮社などは何回も読みました。あとがきによると、この小説は北杜夫が大学2年生のとき、創作ノートに半分書いておいたもので、後年後半を書きついだ作品だそうです。この本には黄色いテープが貼ってあります。そう、40代の時に読んだ本です。

上の写真で水色のテープが貼ってある本は、北杜夫の『黄色い船』新潮文庫です。初読は1978年11月、20代の時です。因みに緑色のテープを貼ってある本は高橋たか子の『天の湖』新潮文庫、黄色は北杜夫の『怪盗ジバコの復活』新潮文庫です。この3冊をこれから再読しようと思っています。

このテープ貼りをすべての本にしていたわけではありません。そして40代の半ばでやめてしまいました。テープが入手しにくくなったのです(などというみっともない言い訳を書いておきます)。もし続けていれば50代は何色にしただろう・・・。


 


もし月が2個だったら・・・

2011-10-18 | A あれこれ

■ 地球の衛星は月が一つだけだが、他の惑星のようにいくつもあったら生活習慣などが全く違っていただろうな、と思う。月見うどんのタマゴの数だって・・・。以前ブログにこんなことを書いたことがありました。 過去ログ



昨日(17日)の朝刊に「月はかつて2個だった?」という見出しの記事が載りました(写真)。

**かつて地球の周りを2個の月が回っていた時期があり、それが衝突・合体して1個の月になったとするコンピューターシミュレーション結果がまとまった。** と記事のリード文にあります。月の表側と裏側の様子がかなり違うこと(新聞記事の右側の上下2枚の写真)をうまく説明できる新説として注目を集めているそうです。

今から45億年前の天体衝突によって、大きな月と小さな月が誕生し、数千万年の間、安定した軌道を回っていたが、やがて小さな月が大きな月に衝突して、つぶれて月の半分を覆い、大きい月内部のマグマが反対側に押しやられた・・・。この記事を読んでおもわず「なるほど」と声に出してしまいました。確かにこの説なら月の裏表で表情がかなり違うことをうまく説明できます。

もしこの天体衝突が起こらず今でも月が2個だったら、月見うどんのタマゴの数は2個、ということになっていたかもしれません。でも月はやはり1個の方がいいです。



「日本人の論理構造」を読む 2

2011-10-18 | A 読書日記

言葉からとらえた日本人の心性

■ 「第9章 明日は試験があった」において、著者は日本人が時間も空間も多視点、つまり視点を固定させず、自由に動かして捉えることについて論考している。

三島由紀夫の「潮騒」の文を取り上げ、**一つ一つ対象が変わるたびに、単に空間的な距離感が変わるだけでなく、時間的な距離も自由に動いている。(147頁)**と、作者の眼の位置、つまり視点がつねに観察の対象というか、描写の対象の直前に移動すると指摘している。

著者は川端康成の「山の音」の文も例示して、**ナレーターの時制の現在と過去、主人公の時制の現在と過去と四つの時制が、微妙に入り混じっていて、読者は本当は目まぐるしく飛び廻らなければならない。**と書くが、続けて**けれども、この時空の遠近法は、日本の読者にはごく自然に受けとられるはずである。(151頁)**としている。

このような手法は平安時代の例えば「蜻蛉日記」にも見ることができるという。浮世絵も同様で、固定的な視点からの遠近法に従わない描法だとし、絵に影をつけないという浮世絵の特色も視点の移動によるものだと指摘している。

この章の最後からの引用。**竜安寺の庭をはじめ、日本の庭園はどの方向から見ても美しく見えるように工夫されている。視点を自由に動かす遠近法によって生まれた美である。庭のみならず建築などでも一般に左右均整をきらうのは、左右均整の配置によって生まれる平面が多視点の美には不都合であるからであろう。(158頁)**

多視点の美か・・・、なるほど。


 メモ:板坂 元(1922年―2004年) 1950年、東京大学文学部国文科を卒業。ケンブリッジ大学やハーバード大学で日本文学・日本語を講じた。


「日本人の論理構造」を読む 1

2011-10-17 | A 読書日記


『日本人の論理構造』板坂元/講談社現代新書 

 昨日、34年ぶりの再読を終えた。

どうせ短いいのちなら。
どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき。
どうせおいらは一人者。
どうせひろった恋だもの。
どうせ気まぐれ東京の夜の池袋。

例えば「どうせ」について著者はこのような例を示し、日本人の心情にぴったりするものらしく、流行歌に頻出度がきわめて高いと指摘する。そして、すべて人生に対する否定的な思想であり、あるいは絶望的な評価であるとし、**行きつくところは孤独感無常観の袋小路である。おそらく流行歌の作者は無意識のうちにこういう価値判断の様式をとり入れることによって、庶民の胸をゆさぶるのであろうが、これが何ともいえない共感を呼ぶところに日本らしさがあるのである。**とまとめている。

さらに、
「どうせ買うなら飛び切りいものにしよう」
「どうせ行くなら、思い切ってヨーロッパにでもするか」
「どうせやりかかったことだ、とことんまでやってやろう」

このような例を示し、**決断のしかたが論理的に大飛躍する点とそれまでの思考の過程と無関係におこなわれる点で、やはり思考放棄の一形式である。**と述べている。

さらに続けて **だが、マイナスの面ばかりがあるのではない。明治以来、このどうせの論理が成功した点も忘れてはならない。どうせやるなら一流のものを完璧なものをというのは、無理が通れば思いの外の成果をおさめることができる。(中略)その時の必要限度をはるかに超えたところに目標が置かれたのが、五年後、十年後に実を結んだ例は少なくない。戦後の復興も、最近のコンピューター熱も採算を無視して飛びついたと思われる点がなくもないのは、このどうせの論理の目が表に出た例と考えられる。**と考察している(49~52頁)。

どうせ の他に、なまじ、いっそ、せめて、さすが、しみじみ、などの言葉についても用例をいくつも示して日本人のものの考え方や心理をわかりやすく考察している。

再読して一番興味深かったのは 「第九章 明日は試験があった」 だった。

**手帳か何かを見て自分の予定を調べている時、明日試験があることに気がついたとしたら、われわれは右の文をごく自然に口にするであろう。もちろん、文法的にも論理的にも誤りはないのである。**(143頁)

この章は最後に日本の建築にも論考が及ぶ・・・。

次稿につづく。






なぜ火の見櫓は美しいのか

2011-10-16 | B 繰り返しの美学

 「別冊 新建築 日本現代建築家シリーズ 出江寛」1989 (なんとも唐突な書き出しだ)に「感性が読みとる美 ― 人がこの世でつくる神聖」というフォトエッセイが載っている。

出江さんはこのエッセイで「抽象の美」、「奇怪の美」、「間合いの美」などについて書き、最後の「くりかえしの美」で**平凡なものの集合はときとして芸術にまで高められるのである。**と指摘している。 私が「繰り返しの美学」について考えるきっかけとなった文章で、既にブログで数回引用した。

では一体なぜ平凡なものの集合、繰り返しを美しいと思うのだろう・・・。この疑問に私は未だ答えることが出来ない。美しいから、美しいのだとしか言いようがない。過去ログ

「このところ火の見櫓ばかりですね」、と先日友人に指摘された。確かにその通りだが、火の見櫓の造形美、これも櫓部分の構成要素の繰り返しに因るところが大きいのではと、実は思っている。

下の写真のように、櫓の部分は4隅の柱材と横架材とリング式バックル付きのブレースを構成要素とする構造が大半だが、この横架材とブレースの繰り返しが美しいのだ。


横架材とブレースの繰り返しが美しい。


メモ:人と火の見櫓の関わり

火の見櫓の下を通学する小学生、火の見櫓の半鐘を叩く消防団員、火の見櫓の隣の畑で農作業をする人、火の見櫓の立つ港(って見つかりかな・・・)に帰ってくる漁船、雪の日の早朝に火の見櫓の下を除雪する人・・・。


カーネーション

2011-10-16 | A あれこれ

 NHKの連続テレビ小説「カーネーション」。コシノ三姉妹を育てた小篠綾子がモデルのものがたり。主人公の名前は糸子。「綾」の糸へんからつけたのか、職業をイメージさせるし、彼女のキャラクターにもぴったりの名前だ。

このドラマ、映像がすばらしい。 

昨年の「龍馬伝」の映像もそれまでの大河ドラマとは違って、光を意識した表現が斬新で良かった。高窓から室内に入ってくる光の帯、逆光に浮かぶ人物、ちょっとざらついた感じの映像等々。「カーネーション」の映像表現は「龍馬伝」と似たところもあるが、レベル的にはそれ以上だと私は思う。

「龍馬伝」の映像はいかにもつくったという、作為を感じたが、「カーネーション」の映像は自然な感じ、実にリアル。上質な古い映画のようだ。

大阪・岸和田の街並みの映像もまるで大正時代にタイムスリップしてロケしてきたかのようで、全く違和感がない。教室内の様子などは、つい「おひさま」と比べてしまう。「おひさま」は安曇野や松本が舞台だったから、ひいき目に見てしまうが、それでもクオリティーの違いは明らかだ。

各シーンのカメラを固定した映像の構図も良いし、移動映像(映像に関する用語をよく知らないので的確に表現できないが)も実に良い。

出演者の演技にちょっとコミカルな味というか雰囲気が出ていて、朝ドラにふさわしい。朝から暗い気分にはなりたくないから。室内の設えや小道具なども細かなところまでこだわっている。

このドラマ、力(リキ)入ってる。このドラマ、みんなでチームワークよくつくっていることが伝わってくる。ただし朝ドラとしては「重い」という評価もあるかもしれない。



― なぜ半鐘を叩かなくなったのか

2011-10-14 | A 火の見櫓っておもしろい

■  私の住む鄙里では数年前から消防団員が火の見櫓に上って半鐘を叩く、ということがなくなりました。全国火災予防運動の期間中などの時は集会施設の脇に立っている防災無線柱のスピーカーから半鐘の音が流れてきます。各家庭に設置されている受信機からも同じ音が流れます。

地域の人びとの生命と財産を守る、というか地域そのものを守るために火の見櫓をつくり、管理してきた昔の人たちが、このような現状を知ったら、時の流れを感じ、時代の変化に驚き、切ない気持にもなるかもしれません。

少子化で若者が減ってしまったり、鄙里から離れて都会で暮らす傾向にあったり、仕事の都合であったり、消防団員になりたがらない若者が増えたりで、消防団では団員の確保に苦労していると聞きます。

また、火の見櫓にするするとスムーズに上ることができない団員がいたり(見るからに上りにくそうな火の見櫓もあります)、親がうちの息子にそんな危ないことはさせられない、などと苦情を言ったりすることもあるのだとか。

このように半鐘を叩かなくなった理由をいくつも挙げることができます。住宅の高気密化で半鐘の音が聞こえにくくなったことも理由のひとつだと聞いたこともあります。

私は半鐘を叩かなくなったことの根本に、「地域への帰属意識の希薄化」ということがあるのではないか、と思っています。実証することはできませんが。

その一方で一生懸命頑張っている消防団員がいることも事実です。このことを忘れてはいけないし、昔の人たちにも知って欲しい、そう思います。夜遅く、消防ポンプ操法大会やラッパ吹奏大会の練習をしている団員の姿を見かけることがあります。仕事で疲れているだろうに大変だなぁ、と思います。

熱心に活動している消防団員に感謝、感謝です。


恵那市の日本大正村にて 101031



204 控え目なデザイン

2011-10-13 | A 火の見櫓っておもしろい


204 安曇野市豊科にて 撮影日111008 朝6時過ぎ 後方、火の見櫓の右は常念岳 

 

 

■ 先日友人に、この頃「火の見櫓」ばっかりですね、私は「繰り返しの美学」が好きなんですけど・・・、と言われた。確かに。「繰り返しの美学」はどこへやら・・・。いくつかのカテゴリーがあるが、「建築、本、その他」以外はほとんど「火の見櫓っておもしろい」だ。

先日見た「熱中人」というテレビ番組で交差点に熱中している人が紹介された。変則的な交差点で通行をどのように制御しているのかに興味があるのだそうだ。ただ単におもしろい道路標識や信号に注目するだけでなく、変則交差点で車や人の動きをじっと観察して、信号システムを読み解くという趣味。地図やネットで情報収集して、全国変則交差点巡り。

以前、同じ番組で全国橋巡りをしている人、全国索道巡りをしている人も紹介された。世の中、いろんな人がいるものだ。

そんな人たちに比べたら、私なんかは甘い。日常の生活圏内をうろうろして、見つけた火の見櫓をろくな観察も、きちんと記録もしないで済ませているだけだから・・・。

まあ、それで十分満足、良しとしよう。


さて、今回は安曇野市豊科の火の見櫓。しばらく前、長野から松本に向かう高速バスから見つけた火の見櫓(たぶん)。

細身の火の見櫓で存在感が希薄、というのが第一印象。火の用心という看板がなければ、朝の透明な空気に溶け込んでしまいそうだ。清々しい朝の空気がそのような印象を抱かせたのかもしれない。

見張り台も至ってシンプル。「余分な」スピーカーも、サイレンも、消火ホースを引き上げる装置もない。手すりもすっきり。避雷針の飾りもシンプルな矢羽のみ。控え目なデザイン、好みのタイプ。

建築のデザインもこの火の見のように控え目に。そう、安曇野の風景に歓迎されるように・・・。



「日本人の意識構造」

2011-10-12 | A 読書日記



 歴史学者の会田雄次氏といえば『アーロン収容所』という著書(中公新書1962(昭和37)年初版)が有名だ。

2009年、中公新書通巻2000点を記念して出された『中公新書の森 2000点のヴィリジアン』で、最も印象に残っている中公新書、人に推薦したい中公新書などを挙げて下さいというアンケートで、この著書を最多15人が挙げている。大半の著書は1人しか挙げていないのに。ビルマのイギリス軍アーロン収容所で捕虜生活を体験した著者が「日本人としてのプライドを持って」と私は強調したいが、西洋、イギリスの実態を明らかにした名著だ。

会田氏の『日本人の意識構造 風土・歴史・社会』講談社現代新書(1972(昭和47)年初版)を再読した。

突然、熊に襲われたとき、日本人は子どもを抱き抱え、背中を熊に向けてうずくまる防御の姿勢をとる。この指摘は記憶にあったが、どこに書かれていたのか分からなかった。この本だった・・・。会田氏がアメリカで奥さんたちに頼んでどうするかやってもらうと、まず子どもを後ろにはねのけ、敵(熊)に直面し、両手をひろげて「仁王立ち」になったという(16頁)。日本人とはさかさまの姿勢だ。

日常の何気ない動作に意識下の民族的特質が表れる・・・。

**日本人の対外姿勢、つまり個人にすれば対社会的姿勢、国にすれば対外交的姿勢、企業にすれば他の企業あるいは外国企業と争ったり連携したりする姿勢、それが全部こういう形になっていることが分かるような気がする(20頁)。このような指摘を知るだけでも本書を読む意義がある、と私は思う。

この著書は今から40年も前のものだが、この傾向は今日でも、例えば外に対して閉じた都市住宅などにも表れている。



『日本人の論理構造』板坂元/講談社現代新書も日本文化論。次はこの本の再読。昔はこのような日本人論、日本文化論をよく読んだものだ・・・。


 

 


202 辰野町小野の火の見櫓

2011-10-10 | A 火の見櫓っておもしろい

 
202

 昨日(9日)は「安曇野 屋敷林フォーラム 2011」の前にと思い立ち、早朝辰野町まで火の見櫓巡りに出かけました。目的の火の見櫓を観察しての帰路、国道153号線から脇道に入ってみました。車のすれ違いに苦労しそうな細い道路を進み、集落内に立っている火の見櫓に出会いました。

立ち姿は辰野町の他の火の見櫓とよく似ています。反りのついた方形(ほうぎょう)屋根の4隅につけられた蕨手(わらびて)が大きくて目立ちます。4角形の見張り台の手すりのデザインもやはり他の火の見櫓と似ています。

数稿前、火の見櫓を女性に見立てて観察しているなどと、つい本当のことを書いてしまいましたが、そうなると隣の消防団の屯所(詰所)が男性に見えてしまい、気になります。 で、どんな男だ、と観察しました。





木造2階建ての屯所です。切妻屋根、波トタンの庇、梁や小屋束などの構造材を露出させた壁・・・。大きな窓がメガネに見えてきたりして・・・。正面は壁面が極端に少ないので、地震が来ても大丈夫かなと、ちょっと心配になります。ちゃんと耐震診断、というか健康診断を受けるようオススメします。

長年連れ添った仲の良いご夫婦、とお見受けしました。



安曇野 屋敷林フォーラム

2011-10-09 | A あれこれ



■ 「安曇野 屋敷林フォーラム 2011」が安曇野市堀金の総合体育館で行われた。

屋敷林と歴史的まちなみプロジェクトの活動報告の後、地元の建築家、富山県南砺市在住の高校教諭、屋敷林所有者、大学の名誉教授、以上4人のパネリストがそれぞれの立場から屋敷林との関わりやその保全などに関する報告と提言をした。

日本の原風景、日本人のこころのふるさとなどと評される安曇野。その美しい景観は雄大な北アルプスと豊かな田園、そこに点在する屋敷林によってつくりだされている。

屋敷林は防風林の役目を果たし、家具や建築用材となり、また薪としても使われて、安曇野の暮らしに欠かせないものだった。安曇野の景観は自然と共に暮らしてきた人びとの長年に亘る営みの所産だ。

その数2千ともいわれる屋敷林だが、近年減少し続けているという。実用的な価値が薄れ、維持管理が大変というのがその主な理由だ。安曇野にも植栽の無いむき出しの住宅が目立つようになってきた。このままでは安曇野の景観構成要素として欠かせない屋敷林が消えてしまう・・・。

フォーラムでは屋敷林を残すための仕組みについてパネリストから提言がなされた。緑地を保全する条例の制定、緑税やボランティア制度の導入・・・。

屋敷林を公的な財産として捉え、行政が保全に関って欲しい、それも黒子に徹して。住民が屋敷林の保全活動の主体となり行政が活動をサポートするという体制、システムができないか。パネルディスカッションのコーディネーターを務めた友人はこのような内容の言葉でフォーラムを締めくくった。同感。


 過去ログ


201 直線と曲線の組み合わせの妙

2011-10-09 | A 火の見櫓っておもしろい

 
201  





 秋も次第に深まってきました。木々の葉が色づき始めています。急に思い立って、辰野町まで行ってきました。辰野の火の見櫓には美しいものが多いです(確信しました)。これは国道153号沿いの上島という所に立っている火の見櫓です。

「こんな私のどこがいいの」火の見櫓にこう問われたら・・・。櫓のカーブ、横架材の割り付けがよくて立ち姿が美しい。屋根と見張り台の大きさのバランスがいい。屋根はもう芸術の域です。脚部のアーチの曲線も実に美しい。曲線と直線の組み合わせの妙・・・、見事という他ありません。

火の見櫓に向かってこのように答えます。 


 


200 擬人化

2011-10-09 | A 火の見櫓っておもしろい

松本市島内の火の見櫓


200

右側にある消防団の詰所の2階は火の見櫓の踊り場と床の高さが違うので苦労して繋いでいる。



 脳は観察対象のものを認識するのに既知のもの、それも馴染みのあるものに帰着させようとする癖がある。対象物を最も馴染みのある、「人」に見立てることも少なくない。車の正面を人の顔と見たりする。ものの擬人化だ。火の見櫓の立ち姿を見ていると、人が立っているように思えてくるのもその一例。

で、中年オヤジの火の見櫓観察のポイントは若い女の子、いや若い女性を観察する時のポイントと同じ、ということになる(早朝故、昨晩のアルコールが残っているのかな)。

この火の見櫓、プロポーションがあまり良くない。もう少し細身が好み。それに脚を開き過ぎ。特徴は屋根が8角形で見張り台が6角形と両者異なること。個性的な顔だ。屋根下にドラ形の半鐘とサイレンがある。おしゃべりが好きそうだ。

なんだか、隣の詰所がこの火の見櫓の彼氏に見えてきた。ふたり仲良く手を繋いでいる・・・。 


撮影 111008早朝