透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「ケガレ」 空間の境 時間の境

2012-01-19 | A 読書日記



 今年の正月は伝統行事の御柱を見て歩いた。御柱と火祭り(三九郎、どんど焼き)は共に道祖神に関る行事で、一連のものだという解釈を知った。火祭りで厄や穢れを焼き払い、道祖神の周りを清めて、新しい神様を迎える。御柱は神様が降りて来るための依り代、御柱は降臨柱だという。そしてオンベ(御幣)やイネバナ、キンチャク(巾着)は厄神に対する威嚇、つまり厄除けだとする解釈。 御柱と三九郎が共に道祖神の前に立てられている様子を見て、私はこの解釈が妥当なものであろうと感じた。

では穢れとは一体なんだろう・・・。その概念は? 諸相は? 

先日『ケガレ』波平恵美子/講談社学術文庫を書店で見つけた。これだ!と買い求め、早速読んでみた。

第一章 「ケガレ」観念をめぐる論議とその重要性
第二章 民間信仰におけるケガレ観念の諸相
第三章 空間と時間とにおけるハレ・ケ・ケガレの観念
第四章 「災因論」としてのケガレ観念と儀礼

この本の章立ては以上の通りだが、興味深かったのは第三章だった。

**道が重なる辻、山の勾配の分かれ目となる峠、領界と領界との境目などを神聖であると同時に危険に満ちた場所とする認識は日本の民俗の中でさまざまな形をとって表現されている。**(210頁)という指摘。道祖神などを集落のはずれや辻に祀るのは空間の境がケガレの空間であるという認識があるからなのだ。

また、**時の流れを均一のもの均質のものとみなす社会はなく、普遍的に人間は時間をそれぞれに異なったものと認識しそれに応じた行動をする。**(249頁) これはハレの日とケの日という概念に通じる捉え方だ。さらにこれがケガレの時があるという認識にも繋がっていく(ケガレとは生命エネルギーとしての「ケ」が枯れた状態だという説が本書に紹介されている)。時間と時間の境は無防備な状態で厄神がやって来やすい、ケガレの時間ということだ。月齢に関る行事も当然このことに関係しているだろう。そうだ、「節分」の豆まきも。

三九郎や御柱は正月(小正月)の行事だが、正月は「時間の境」だ。

そうか、道祖神は「空間の境」に祀られていて、そこで「時間の境」に三九郎と御柱が行われているのか・・・。



「ヴァレリオ・オルジャティ展」

2012-01-18 | A あれこれ


ベルミ21世紀美術館(ロシア)の模型 チューリッヒの展示会場

■ 13日(金)の午後、東京国立近代美術館で「ヴァレリオ・オルジャティ展」を観た。スイスを代表する世界的な建築家だそうだが、名前すら知らなかった。だが、なぜかどうしても観たいと思って、渋谷でフェルメール展鑑賞後、地下鉄で竹橋に移動した。

縮尺1:33の模型9点と詳細図、それからディスプレイ画面に次々映し出される作品の写真で会場が構成されていた。

水あばたが出たコンクリートが大理石の表面のようにも見える。厚さが3cmくらいあると思われるせき板を使ったコンクリート打ち放しの外壁。せき板の表面に直径が50cmくらいの花模様が深く彫り込んであって、それがコンクリート表面に出目地の模様となっている。出目地は珍しくはない。だが、このような造形は珍しい。

篠原一男からも影響を受けたという幾何学的な造形とざっくりとした素材感が創り出す不思議な調和、オリジナルな空間。空間構成、構造、素材の扱い、これらが独創的で実に興味深い展示だった。

建築、試みることはまだまだいくらでもある。


世界各地で開催されて東京が最終会場 (1月15日まで) 

 


244 松本市寿百瀬の火の見櫓

2012-01-17 | A 火の見櫓っておもしろい

 

 
244 松本市寿百瀬

ももせ自主防災センター(消防団詰所)と火の見櫓。正面からツーショット写真を撮ったが、またしても電線に邪魔された。 後ろは百瀬地区の公民館。スレンダーな櫓に短い脚(実際より細く写っているかもしれない)。


「すっきり」というわけにはいかないようで・・・

屋根の下には半鐘の他にモーターサイレンやスピーカーが付けられている。



梯子の下の部分が着脱式になっている。


撮影20120114
 


 


全体像を把握する

2012-01-16 | A 読書日記



 『ダンゴムシに心はあるのか』森山徹/PHPサイエンス・ワールド新書 、しばらく読んだこの本には「039」という番号が付いています。発刊順に付けられる通し番号です。先日買い求めた『脳の風景』藤田一郎/筑摩選書にも同様に通し番号が付いていて、こちらは「0024」です。

通し番号はPHPサイエンス・ワールド新書の場合3桁表示ですから999まで、一方筑摩選書の場合は4桁表示ですから9999まで付けることができます。年に何点くらいのペースで発行していく予定なのか分かりませんが、仮に50点とすると20年で1000点に達してしまい、PHPサイエンス・ワールド新書はこの表示方法が使えなくなります。4桁表示をしている筑摩選書は同様に考えれば200年OKとなり、充分な点数を確保できているということが言えるでしょう。

ちなみに中公新書の場合は1962年の創刊で、2009年に2000点に達し、『中公新書の森 2000点のヴィリジアン』という新書サイズの記念本が出ました。およそ50年かかって到達したことになります。

発行する本の総数を想定すれば4桁表示が妥当なところでしょう。PHPサイエンス・ワールド新書ではこのような検討がなされたのかどうか、気になるところです。まさか、1000点も出すことにはならないなどと考えたわけではないでしょう。

岩波新書は?講談社現代新書は?集英社新書は?・・・。 どのように表示しているでしょう。


 


「楡家の人びと」北杜夫

2012-01-15 | A 読書日記



■ 北杜夫の作品を再読している。代表作の長編、『楡家の人びと』を読み終えた。大正から昭和、太平洋戦争が終わるまでの激動の時代を背景に楡家の三代にわたる個性的な人びとが織りなす繁栄から凋落までの壮大な物語。

トーマス・マンを敬愛していた北杜夫は「ブッデンブローク家の人びと」に感銘を受け、いつかは一家の歴史を書いてみようと大学生のころからずっと考えていたそうだが(「マンボウ 最後の大バクチ」、「どくとるマンボウ回想記」による)、この小説を30代半ばで書いている。凄いとしか言いようがない。これほどの長いスパンのなかで、多くの人物がリアルな存在感を持って描かれた小説が日本にどのくらいあるだろうか。島崎藤村の『夜明け前』くらいしか直ちには浮かばない。

**戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つである。この小説の出現によって、日本文学は、真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正統性(オーソドクシー)を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる。(中略)これは北氏の小説におけるみごとな勝利である。これこそ小説なのだ!**という三島由紀夫の絶賛文が下巻のカバー折り返しに載っている。

こんなくだりもあった。**戦争の波動はすでにこの東北の僻村にも及んできていた。七月にはいってから、警報がしきりと出た。そのたびに村の火の見櫓の半鐘がけたたましく鳴らされるのである。**(下巻423頁) 

今年の読書の大きな成果を既に得た。


『黄いろい船』
『どくとるマンボウ青春記』
『どくとるマンボウ途中下車』 
『どくとるマンボウ追想記』
『どくとるマンボウ昆虫記』
『どくとるマンボウ航海記』
『夜と霧の隅で』
『白きたおやかな峰』 

『楡家の人びと』

以上読了

 


正月の伝統行事 御柱 その5

2012-01-15 | A あれこれ



 松本平(安曇野を含む)ではおよそ30ヶ所で御柱が立てられるが、その内、松本市内田と塩尻市片丘南内田(古くは北内田村と南内田村)で10ヶ所立てられる。その大半が14日頃に柱立て、20日頃に柱倒しが行われる。

昨日(14日)両地区の御柱を見てまわった。

この写真は塩尻市片丘南内田鍛冶屋・久保在家のものだが、道祖神(写真の左下)の前に御柱と三九郎が立っている。この様子を見ると両者には一連の関係があるとする解釈が妥当なものだと頷ける。このことについては既に書いた。過去ログ 


御柱のデザインは各地区各様。

上の写真に写っている道祖神の正面

松本市内田、塩尻市片丘南内田両地区とも文字書き道祖神が多い。


 


243 理にかなう意味があるはずだ

2012-01-14 | A 火の見櫓っておもしろい

 
海野宿にて 撮影201103

 火の見「櫓」というからには立体的な構造であることが必須の条件と言える。従ってこのような梯子状の火の見は櫓ではないが、一般的な慣習に従ってこのようなものも含めて火の見櫓と呼んでいる。まあ、こんな堅いことは脇に置いておこう。

 
243 塩尻市片丘南内田の簡素な火の見櫓 撮影20120108

 アングル材の柱に丸鋼をボルトで留めてステップにしている。後方のアングル材とで3角形の平面を構成して、やはり丸鋼の斜材で繋ぎ、立体トラスを構成している。

高さは3mとない。地上に立って半鐘を叩くことができるような高さのものと、どう違うのだろうか。音の届き方にも違いはないような気がするがどうだろう。たとえ数段であっても梯子を上るという行為そのものに意味があるのかもしれないなどと考えてみるが、一刻も早く半鐘を叩いて火災を伝える必要があると考えると、合点がいかない。

この姿・形にも理にかなう意味があるはずだが・・・。


 


フェルメールからのラブレター展

2012-01-14 | A あれこれ

 渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「フェルメールからのラブレター展」では手紙を主題にした作品が3点公開されている。昨日(13日)の午後鑑賞した。会場内はそれ程混雑してはおらず、3点とも正面からまじかに観ることができた。なお、2008年の10月には上野で開催され、7点公開されている。


「手紙を書く女と召使い」 

この作品は2008年の展覧会にも来ている。婦人が手紙を書き終わるのを所在なさげに待っている召使い、確か前回はこんな印象ではなかったかと思う。今回は印象が違っていた。ふたりには良好な関係が築かれていて、会話をしているようだった。窓の外の様子を見ながら、「今日もいい天気ですね」と召使い。「そうね、後で散歩に出かけましょう」とか何とか・・・。婦人の服の白さがまぶしいほどだった。


「手紙を書く女」

左肩の輝く黄色、きれい!手紙を書くのをとめてこちらに顔を向けた若い女性の上品な微笑。その一瞬をフェルメールの目がのがさなかった・・・。


「手紙を読む青衣の女」

服の深みのあるウルトラマリンブルー。夫から届いた遠くからの手紙を読む婦人。優雅な暮らし。


「フェルメールからのラブレター展」 会期は3月14日(水)まで 

 


242 塩尻市片丘の火の見櫓

2012-01-12 | A 火の見櫓っておもしろい

 
242 塩尻市片丘南熊井の火の見櫓(松林寺の近く)



屋根は形が整っていて美しい。見張り台の手すりはちょっとゴチャゴチャしている。もう少しすっきりしている方が好きだ。



脚部の構造 このように脚元までトラスになっているのが好ましい。



梯子が地面からは設置されておらず、消防団詰所の2階から火の見櫓の踊り場に梯子を掛けている。詰所の2階と火の見櫓の踊り場を繋いでいるのを時々目にするが両者のレベル(地面からの高さ)が違っていればこのような対応になる。ところでこの床って先端を梯子で吊ってバランスさせているのかな・・・。そうでもしなければこの薄い床はもたないと思うけれど。


 


「顔」

2012-01-11 | A 読書日記


松本清張没後10年の企画として復刻された短編全集 2002年11月発行(初版は1964年3月発行)

 オウム真理教の元幹部をかくまっていた元信者の女性が自首して逮捕された。大阪では潜伏していたマンション近くの整骨院に10年以上勤務していたという。このことを新聞で読んで、ある短編小説のことを思い出した・・・。

松本清張の短編全集5『声』におさめられている「顔」。この作品は映画化され、何回かテレビドラマ化もされている。

戦後の混乱期のことだ。井野良吉はある劇団の団員。映画会社から劇団に映画出演の交渉があって、井野はチョイ役で出演することになる。映画批評家にほめられ、映画監督にも気に入られた井野に新たな映画への出演依頼がくる。だが、井野には素直に喜ぶことができない事情があった・・・。 井野は過去に殺人を犯していた。 名声と地位を得るチャンスの到来だ。だが映画出演すれば「あの男」に自分の顔を見られる可能性が高くなる・・・。ジレンマ、葛藤。

大衆酒場で働くミヤ子との関係を断ち切ることができず、殺害を決意した井野。ミヤ子を山陰の温泉に行こうと連れ出したが、列車の中でミヤ子が知り合いの男を偶然見かけて声をかける。井野はミヤ子と一緒にいるところを男(石岡貞三郎)に見られてしまった・・・。

数ヶ月後、北九州の地方紙に事件を報じる記事が載る。**(前略)ミヤ子さんが男と二人連れで山陰線上り列車に乗っていたのを見た人があり、八幡署では、その連れの男が犯人とみて人相など聴取のうえ、捜査に乗りだした。**(106頁) **「ああ、やっぱりそうか。」と覚悟のうえながら、心臓の上を冷たい手でさわられたようにどきりとなった。**(106頁) **ぼくの顔が映画に出る。それを観たら、石岡貞三郎は飛び上がるに違いない。彼が映画を観ないとはどうして保証できよう。**(109頁) 

偽名を使って大阪に潜伏していた元オウム信者の女性。彼女もきっと井野と同様の不安を抱えていただろう。いつか自分に気が付く者が目の前に現れるのではないか、と。



懸魚に棲む鶴

2012-01-11 | F 建築に棲む生き物たち




棲息地:松本市内田公民館の玄関 観察日20120108


 「建築に棲む生き物たち」、今年最初はおめでたい鶴です。松本市内田公民館は古い木造2階建ての建物です。きちんと確認しませんでしたが現在は使われていないと思います。前稿で紹介した火の見櫓の向かいにあります。その玄関の切り妻屋根に付けられている懸魚(げぎょ)に鶴が棲んでいます。

懸魚というのは元々棟木(上の写真よりも下の写真の方が分かりやすいです)や桁の小口をふさいで腐朽を防ぐ目的で付けられたものです。それがこのように装飾的な意味合いが次第に強くなってきたのです。 木造は火を特にきらいますから、中国では魚を吊すことがあったそうです。それが名前の由来と理解すればいいのでしょう。

懸魚ついては既に何回か書いています。鶴の棲む別の懸魚はこちら→過去ログ




棲息地:旧開田村の民家 観察日200904

火除けのために水と書いてあります。


棲息地:坂井歴史民俗資料館の唐破風@筑北村 観察日200912


 


241 松本市内田の火の見櫓

2012-01-10 | A 火の見櫓っておもしろい

 
241 撮影日 20120108

 何しろ長野県内には2,000を越える火の見櫓があるという調査もあるそうですから、まだまだヤグラーな日々が続きそうです。おいおいまた火の見櫓かよ~、などと思わずにお付き合いください。今回は松本市郊外、内田地区の火の見櫓です。後方に常念岳が凛とした姿を見せています。

松本で青春を謳歌した作家・北杜夫は『白きたおやかな峰』の中で、登頂を目指したカラコルムのディランについて**ディランは常念岳を極度に大きくしたような三角形をなし、(後略)**と、その特徴的な山容を常念岳に喩えています。この場所からですと、稜線が見えてしまってその特徴な形から外れてしまっていますが。

話がそれました。火の見櫓、火の見櫓っと。

ランドマークとして様になっている火の見櫓ですが、やはり電柱が邪魔です。



4角形の櫓と6角形の屋根の組み合わせって珍しいと思います。5段あるブレースの内、1段目だけ仕様が違っていて、遠目にもそのことが分かります。やはり丸鋼とリング式ターンバックルのブレースが好ましいです。

ところでこの火の見櫓も踊り場だけに半鐘を吊るしてあります。見張り台まで上るのに時間がかかるからでしょうか。前にも書きましたが、その理由が分かりません。なぜ見張り台の半鐘を取り外して踊り場の半鐘は残してあるのでしょう・・・。



脚部。直線材でトラスを構成して、上部にちょこっと申し訳程度に曲線部材を使っています。脚部全体をなめらかな曲線材で構成しているのが美しいのですが・・・。

1 櫓のプロポーション ★★★★
2 屋根・見張り台の美しさ ★★★ 
3 脚の美しさ 
★★★  

大変厳しい評価です。


 


正月の伝統行事 御柱 その4

2012-01-09 | B 石神・石仏

安曇野市豊科新田の御柱


期間限定、火の見櫓と御柱のツーショット   豊科新田公民館前 撮影20120109




大小ふたつの福俵が取り付けられている。この福俵を男根を暗喩するものという解釈もあるようだ。


御幣(オンベ)と柳花(ヤナギバナ)


昭和14年4月に新田青年団によって建立されたみかげ石の支柱に固定されている御柱


 


240 松本市寿の火の見櫓

2012-01-09 | A 火の見櫓っておもしろい


 
240 
松本市寿小池の火の見櫓(右側に公民館がある)


■ なかなかいいロケーションだ。3角形の櫓に6角形の屋根と見張り台。ブレースが4段でそれほど高くはない火の見櫓だが、踊り場が設けられている。





手すりに施された意匠。○を付けただけだが、それで表情が豊かになっている。意匠過多は好みではないが、このくらいが程良い。



脚が短いが、櫓全体のバランスからすれば悪くはない。が、やはり長い方がいい。

1 櫓のプロポーション ★★★★
2 屋根・見張り台の美しさ ★★★ 
3 脚の美しさ ★★★