透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

山形県 旧朝日村の茅葺き民家(再掲)

2013-12-15 | A あれこれ

民家 昔の記録 

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■ 山形県東田川郡朝日村(現在は合併して鶴岡市になっています)は庄内地方と山形地方を結ぶ六十里越街道に沿う山村です。江戸時代、この村の田麦俣には出羽三山参詣の足溜まりとして宿屋を営む家が何件もあったとのことです。この田麦俣という地名は民家の本には必ず出てきます。

この地方の農家の多くは明治以降に養蚕農家に転じたのでしょう。養蚕に必要な通風を確保する「はっぽう(2)」と呼ばれる特徴的な開口を持つ茅葺き屋根が造られました。私が朝日村の大網(下村、中村)を訪ねたのは1980年の8月13日のことでした。民家好きとして是非訪ねたいところだったのです。1日に何本もないバスを利用しての旅でした。(1) 

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妻側はかぶと造り

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風返しを訛って「けえじ」と言われる棟端飾りと高はっぽう。 このような屋根の造形は「すばらしい!」と言う他ありません。

芥川賞を受賞した『月山』という小説は出羽三山の1座、月山の麓の山村が舞台でした。映画化されて、このような茅葺き屋根の民家の冬のシーンを記憶しています。

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この辺りは全国でも有数の豪雪地帯です。外壁に雪囲いの骨組み(ボケと呼ばれるようです)を夏季でもそのまま残してありました。


○ 先日いただいたプリンさんのコメントを受けて旧朝日村の茅葺き屋根の民家を再掲しました。


453 麻績村の火の見櫓

2013-12-13 | A 火の見櫓っておもしろい

■ 長野自動車道を麻績ICで下りて国道403号線を旧坂北村に向かう。このコースは何回も通っているが今までこの火の見櫓にはなぜか気がつかなかった・・・。このところヤグラセンサーの感度が良好で何基も見つけている。

 
453 東筑摩郡麻績村

屋根が小さいことにまず気がつく。見張り台とほぼ同じ大きさの平面寸法の屋根が比較的多いが、これはかなり小さい。

半鐘に架けた小さな屋根はときどき見かける。戦時中、半鐘を隠して供出しなかった集落もあったと聞く。そう、半鐘は大切なもの。だから雨がかからないように屋根を架けている・・・。


青木村にて



シンプルでモダンな印象の手すり



コンクリート製の塊状基礎に固定した柱脚。このようにアンカーボルトが露出しているのものは少ない。


 


記録するということ

2013-12-12 | A あれこれ


11月の記録

 1年を振り返る時節になった。

私の場合、ダイアリーの記録の大半が仕事に関することだが、美術展や講演会、映画などの入場券を貼ってあるし(写真)、他に生活記録としてその日の天気はもちろん、体重(そう、私は毎朝量る体重を記録している)をはじめ飲酒の有無、飲み会などの場所や参加者も記録している。カフェトークの記録も。読書の記録はブログに移した。

ダイアリーに貼ってある入場券(1月~6月)の一部を挙げると
1月:葛飾柴又 寅さん記念館(33会の旅行) 
3月:二川幸夫・建築写真の原点
4月:軽井沢千住博美術館
   富岡製糸場(仲良し4人組で出かけた)
5月:名勝 養浩館庭園(そう、福井に出かけたのだった)
   高村薫講演会
6月:レオナルド・ダ・ヴィンチ展
   大神社展(充実した展示で鑑賞に時間がかかった)

手元に1985年のダイアリーから保管してあるから、来年、2014年のダイアリーが30冊目となる。これらを見ればその年のことを振り返ることができる。でも過去を振り返って何になる・・・。

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『古事記』は稗田阿礼が「記憶」している古くからの言い伝えを太安万侶が「記録」したものだ。これは記録することで後世にきちんと伝えたい、伝えるべきだと元明天皇が考えたことによる。記録することは文化的な営みの基礎をなす。

では個人の生活記録はどのような動機によるものなのだろう・・・。そして上に記したような内容を記録することにどんな意味というか、意義があるのだろう・・・。


 


塩尻市本山の道祖神

2013-12-10 | B 石神・石仏



 塩尻市本山(旧中山道の本山宿)に祀られている石神・石仏群の中に文字書道祖神があった。



石のプロポーションに応じた文字の書き方というか彫り方をしている。実に存在感のある文字だ。



裏面に寛政三亥年 五月吉日とある。調べて1791年だと分かった。


 


「空海の風景」

2013-12-10 | A 読書日記



 時の流れは早い。今年も残すところあと20日あまりとなった。

『空海の風景 上、下』司馬遼太郎/中公文庫の再読を始めた。先日の京都・奈良 寺巡りの最後に訪れた東寺は空海が嵯峨天皇から下賜された寺であること、来年の秋に高野山に出かける予定であることなどがこの本を再読する理由かどうか・・・。

**平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞** 本のカバー裏面の紹介文からの引用。

読み急ぐことなくじっくり・・・。この本が年越し本になっても良い。


 


451 452 安曇野市明科の火の見櫓

2013-12-08 | A 火の見櫓っておもしろい

 
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火の見櫓のある風景 安曇野市明科七貴 撮影日131208


 この火の見櫓は丘の上に立っている。国道19号線を生坂から松本方面に向かって走っていると、その立地から遠くからでもよく見える。



屋根の下はいろんなものが設置されていてにぎやか。半鐘は当然として、モーターサイレンや消火ホース巻き上げ用電動ウインチ、それからテレビアンテナまで設置されている。

梯子の段数からこの火の見櫓の見張り台までの高さは約12.5メートル。見張り台の床から屋根の頂部まで3メートルとみると、この火の見櫓の総高は15.5メートルとなる。これは高い部類に入るだろう。





脚部の様子。アーチ部材が使われているのは好ましいこと。でも美脚と評するにはイマイチ。厳しく評価して、★★★☆☆


上の火の見櫓同様、この火の見櫓も国道19号線からよく見える。犀川の向こう側、傾斜地に広がる集落のランドマーク的な存在の火の見櫓。

 
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安曇野市明科東川手の火の見櫓






脚部は不可。やはり脚の形をしていないと・・・。この火の見櫓には脚が無い。

火の見櫓にも建築同様、近景がいいものと遠景がいいものとがあって、この火の見櫓は遠景。いつか再訪して遠景を撮って集落のランドマークであることを表現したい。新緑の季節がいいかな。となるとコンデジでは限界が・・・。性能のいいデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)が欲しくなるなぁ。


 


メタボリズムの具現化の試み

2013-12-08 | A あれこれ

 

 他の業界の事情は分からないが、建築関係の企業のPR誌(PR誌とするほど宣伝に紙幅を割いていないが)は内容が充実しているものが多い。SUS株式会社が発行している冊子『ecoms』も然り。この冊子に連載中の「蔵考 現代に生きる蔵」の初回に私が撮影した蔵(倉)の写真が掲載された。このブログがそのきっかけとなった。その時の縁で『ecoms』を毎号送っていただいている。その36号(2013年4月)にメタボリズムという建築思想に基づいたプロジェクトが紹介されている(写真)。

メタボリズムについてはこのブログでも何回か書いたが、60年代に提唱された「生物のように新陳代謝することで建築の恒常性を保つという理念」に基づく理論と実践だった。生命現象のアナロジーとして建築を捉えるという試みだったのだが、当時、実際に具現化されたのは黒川紀章の「中銀カプセルタワー」だけだった、と言っていいだろう。

36号に紹介されているケーススタディは静岡事業所実験棟。工場で製作されたユニット(内法幅2.140×長さ3.730×高さ2.230 単位:mm 床面積約8㎡)がトラックで輸送されて、現場で治具に載せられて、治具とともにクレーンで吊り上げられて、鉄骨構造のスケルトン(ユニットを載せる鉄骨製の立体的な棚)に設置される。この一連のプロセスが紹介されている(上の写真の右上にクレーンでユニットを吊り上げている様子が写っている)。

記事には開発の経緯やその意義、目指す姿などについても紹介されていて興味深い。メタボリズムの具現化の試みをしている企業があるなんて・・・、この冊子を見るまで知らなかった。

SUS株式会社のチャレンジ精神に拍手。


 


― ドラ型の半鐘

2013-12-08 | A 火の見櫓っておもしろい

    

 今年撤去された山形村(松本市に境を接する村)下竹田の火の見櫓に吊り下げられていたドラ型の半鐘です。

直径が40センチメートルあります。思っていた以上に重かったです。すき焼き鍋に転用しても重すぎて使えないです。真ん中だけ変色しているのが分かります。長年叩かれた結果でしょう。

この半鐘は建て替えられた消防団詰所の外壁に吊り下げられるとのことです。2階の窓の横にそのための金物が取り付けてあります。

火の見櫓観察を続けているとこんな機会にも恵まれるんですね。


 


448~450 筑北村坂北の火の見櫓

2013-12-07 | A 火の見櫓っておもしろい

 
448 火の見櫓のある風景 東筑摩郡筑北村坂北にて 

 長野県は全国で最も村の数が多く、現在35あります。なぜ長野県に村が多いのか、別の機会に考えたいと思います。

筑北村は本城村と坂北村、坂井村が合併してできた村です。筑北村坂北(旧坂北村)から生坂村を通る国道19号線に至る県道55号線を昨日通りました。道路沿いに点在する集落に火の見櫓が立っているだろう、と予想していました。やはり立っていました。

見つけるたびに「あ、あった!」と声に出してしまいました。地図に火の見櫓をプロットしたサイトもありますが、あらかじめそれで火の見櫓の存在を調べてから出かけても発見の喜びはありません。私はできるだけ見ないで出かけるようにしています(先日京都の西本願寺近くの火の見櫓を載せましたが、その時はあらかじめ存在を確認してから出かけました)。



見張り台に「余分なもの」が無くすっきりしています。もう少し櫓と屋根・見張り台のバランスがいいと、もっと美しいと思うのですが・・・、少し残念です。



脚部のトラスにアーチ状の部材が無く、固い印象です。火の見櫓には錆がほとんど無く、健全な状態が保たれています。左側に鉄筋コンクリート製の防火水槽が写っています。


 
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次に出会ったのがこの火の見櫓です。消防団の詰所とのツーショット。





写真では分かりにくいですが、櫓の外側の梯子にはケージ?防護柵?(いまだに名前が分かりません)が付いています。これがあると上り下りするときの恐怖感がかなり和らぐはずです。

 
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次はこの火の見櫓です。後方には火の見櫓の後継、防災無線柱が立っています。脚元に消火ホース格納箱と屋外消火栓があります(どちらも赤色)。赤色灯のついた消防倉庫もあります。



6角形の屋根と見張り台。吊り下げてある半鐘に製造メーカーのものと思われるラベルが貼ってあります(メーカー名がのぶさんのブログに出ていたと思います)。



この脚部はよくあるタイプです。脚の上部をアーチ状のトラスで繋ぎ、下部は単材という構成。繰り返しますが、私はこのタイプではなく、トラスが脚元まである、東京タワーのようなタイプが好みです。


 


447 麻績村の火の見櫓

2013-12-06 | A 火の見櫓っておもしろい

 
447 東筑摩郡麻績(おみ)村

 我ながらよく気が付いたと思う。JR篠ノ井線の近くを通る国道403号線を筑北村坂北(旧坂北村)から麻績村に向かって車で走っていて、この火の見櫓に気が付いた。国道に添う段丘の上にあるし、雑木に遮られていて、落葉しているこの季節でなければ気がつかないだろう。国道から集落内の狭い生活道路を上っていってこの火の見櫓の近くまで行くことができた。

平面形が3角の櫓に3角の屋根、円い見張り台はよくある組み合わせだ。反りのついた屋根のてっぺんには矢羽付きの避雷針が付いている。うれしいことに屋根下に半鐘が吊り下げられていて、木槌もある。





脚部の構成もよくあるタイプだ。火災信号表示板も付いている。だが、現役かどうかは分からない。周りの雑木が生長していて視界が利かない。建設した時とは状況が変わっているのだろう・・・。


 


446 安曇野市豊科の火の見櫓

2013-12-04 | A 火の見櫓っておもしろい

 
446 安曇野市豊科

 いままで見たことがない姿・形の火の見櫓。偶々この狭い生活道路を車で通っていて出会った。

屋根はあるものの見張り台の無い小さな火の見櫓。この形をどのように形容したらいいのだろう・・・。



円錐形の小さな屋根の下に寺の梵鐘と同様のデザインが施された半鐘が吊るしてある。街灯の役目も果たしているのであろう。

丸鋼のブレースにはターンバックルがないから、現場では櫓のゆがみの修正ができない。鉄工所で完成させてここまで運んで建てたのかもしれない。



すっきりした脚部。木槌が吊してあるが火の見櫓として現役かどうか不明。身近なところにまだまだ火の見櫓がありそうだ。


 


アルコールな夜のブログ

2013-12-03 | D 新聞を読んで

12月は毎晩忘年会のようなもの。



スケベな中年オヤジはほろ酔い気分でこの記事を読んだ・・・。

毎年高齢、恒例の「今年の流行語大賞」。今年は4つの言葉が年間大賞に選ばれたそうな。同時に4つも選ばれたのは初めてのことだって。


 いつするの?

 今でしょ!

 じぇじぇじぇ 

   

 お・も・て・な・し 

 倍返し



ああ、これで読者が減る・・・。