■ 「そうだ京都、行こう。」というJR東海のコピーが何年か前に流行った。
京都は今年の10月に行ったばかりだが、今月また行くことにした。京都駅近くの宿を予約し、昨日(12日)きっぷも買った。今回は気ままなひとり旅。
今どこに行こうかと思案中。北野天満宮と八坂神社の近くには火の見櫓がある。神社には狛犬たちが待っている。
22日 赤山禅院、熊野若王子神社、永観堂禅林寺、清水寺、地主神社
23日 北野天満宮、龍安寺、大徳寺、八坂神社
清水寺の狛犬(厳密には地主神社の狛犬らしい)は何年か前の旅行(過去ログ)でガイドさんが説明してくれたけれど、その頃は狛犬には興味がなかった・・・。
龍安寺は3、4回行ったけれど、あの庭をまた見たい。大徳寺塔頭の大仙院の庭が見たい。旅行はあれこれ考えて計画することも楽しい。
撮影日151211
■ 松本市内は高宮北の国道19号沿いに立っているこの火の見櫓は戦前(昭和5年)に建てられたことが分かっています。今現在立っている火の見櫓の多くは昭和30年代に建てられていますから、戦前のものとなると古い部類に入ります。松本市内の火の見櫓を見つくしたわけでもありませんし、建設年が分からないものもありますから確かではありませんが、今やこの火の見櫓が松本市内では最も古いかもしれません。
時々この火の見櫓の前を通ります。櫓内に同じ向きに掛けられた3基の梯子を見て、リズミカルでなかなかいい感じだなといつも思うのです。踊り場の鋼板張りの床が、その印象を補強しているように思います。
これだけの存在感なのに、気がついていない人が私の周りに多いのは残念です。広報活動を継続しないといけないな、と思っています。
■ 「宇江佐真理」という作家の名前は知っていたけれど作品を読んだことは一度もなかった。大分在住のある方が宇江佐さんの作品をブログで取り上げておられた。で、何か読んでみようと思った次第。
一昨日(10日)、通勤の途中で松本市内の書店に立ち寄り、『余寒の雪』文春文庫を買い求めてそのまま久しぶりにスタバで「朝カフェ読書」をした。
以前はスタバに私のことを覚えていてくれる女性店員さんがいて、注文する前に「ホットのショート、マグカップでしたね」を言ってくれたのだが、いつの間にかその店員さんはいなくなってしまった。 で、なんとなく足が遠のいていた。
2階にはまだお客さんはいなかった。
残りわずかだった阿川弘之氏『葭の髄から』を読み終え、『余寒の雪』を読み始めた。宇江佐さんの作品のことはなにも知らなかったが、シリーズ化されている「髪結い伊三次捕物余話」が人気のようだ。そのシリーズを読むかどうかは『余寒の雪』次第。
■ 松本市に隣接する山形村の唐沢という集落にはそば店が9軒、通りに並んでいる。
江戸時代、唐沢は集落を流れる唐沢川の水流を利用して水車を回し、精米や製粉業を営むところだったという。唐沢集落にそば店が誕生したのは1890年(明治23年)だとネット情報で知った。
昨日(10日)、そば処 からさわ亭でやまっちそばを昼に食べた。
やまっちそばのルール通り皿そば。オシャレな皿に盛り付けてあるが、以前はどの店も無地の白い皿だったように記憶している。何も足さない、シンプルなやまっちそば。
そばはやはり細い。私は太めのそばが好みだが。色はそれ程白くなく、いかにもそば、といった感じ。まずそばと細きりの長いもを交互にそばつゆに付けて食べ、途中で一緒に食べて第三の食感を味わい、そして最後はそばだけを食べた。そばはよく締まっていて美味。そばつゆはもう少し甘口が好みかな・・・。
味の微妙な違いを表現することは苦手だな・・・。
そば処 からさわ亭:長野県東筑摩郡山形村7218-3
やまっちそば:850円
■ 今日(9日)の朝6時半頃、外に出て東の空に浮かぶ爪の先のような三日月と凛と輝く明けの明星のツーショットを撮った。あの月には人が降り立ったし、あの金星の周りを日本の探査機あかつきが回り始めた。
今日の夕方、探査機あかつきが金星を回る軌道に投入されたことが確認できたということをラジオで聞いた。それもいくつもの要求を満たす限定的な軌道に。
あかつきは2010年の5月にH2Aロケットで打ち上げられ、その年の12月7日に金星の周回軌道に入る予定だったが(阿川弘之さんは「だった」はだめ、「であった」だ、と言っていたそうだ。そのような表現が相応しい文章を書きなさいと)、主エンジンのトラブルで失敗。約5年ぶりの再挑戦で成功した。
主エンジンは使えないので4基の姿勢制御エンジンを噴射して速度を落とし、金星の軌道に入れたそうだ。噴射のタイミングも噴射時間も正確でないと狙った軌道に入らない。20分27秒だったか28秒だったか・・・。
若い女性研究員が中心になって何通りもの計算をしたそうだ。その通りぶっつけ本番で決めたというのはすごい。
あかつきは来年の4月頃に本格観測を始めるとのこと。小さく見えているあの金星からどんな情報が届くのだろう・・・。
『葭の随から』 阿川弘之/文春文庫
■ 長編小説『春の城』に続き、やはり阿川弘之氏のエッセイ集『葭の随から』を読む。
書店に行けば読んでみたいと思う作品が何作も見つかる。でも、このところ昔読んだ作品の再読をしている。いわゆる流行作家の作品ももちろんいいけれど、やはり長年読み継がれてきた作品がいい。
ああ、こんな折り目正しい文章が書けたらなあ。いやいや、ないものねだりはよそう・・・。
■ 物語の終盤に原爆が投下された広島の惨状が描かれている。主人公の小畑耕二が故郷広島に帰ってくるのを待ち続けていた伊吹智恵子は被爆して命を落とす。
**智恵子ら親子は当分の間、此処で生活することになったが、智恵子はその夜痛みを訴えてよく眠らず、そして翌日からは非常な苦しみが始まった。(中略) 父は宮島沿線に疎開している友人の医者を迎えに行ったが、二里の道を歩いて診察に来た医者も、殆ど手の下しようが無いらしく見受けられた。**(308頁)
**「小畑君に逢いたいか?」父親はかが込んで訊ねた。智恵子は首を横に向けて、こっくりをした。**(310頁)
8月13日、何とも悲しい智恵子の最期。父親はその時何を想ったのだろう・・・。この場面を読んで涙ぐんでしまった。加齢とともにますます涙もろくなって・・・。
今もテロや戦争による悲劇が世界各地で起こっている。ああ、悲しい現実・・・。
■ 今年の8月に亡くなった阿川弘之氏の『春の城』/新潮文庫の再読を始めた。
この長編小説の刊行は1952年(昭和27年)、文庫化は1955年。12年前(2003年)に買い求めて読んでいる。このカバーデザインは今風だが、60年以上も前の作品。読売文学賞受賞作。
**「在学三年の諸君とはこれでお別れでありまして、諸君はその十六七年の長きに及んだ学生生活を了えて、ここに新しく社会への首途(かどで)をされる訳でありますが、国の情勢は諸君に必ずしも華やかなる前途を許さず、大部分の方は直ちに軍に服して征戦の事に従われるものと思います。私は諸君と訣別するに当たって、言うべき言葉を知らない者でありますが、ここに北宋正学の先駆、范文正公の岳陽楼記の一節を高唱し、以て諸君の恐らくは苦難の多い前途に対し、ささやかながら餞(はなむけ)の言葉としたいと思います。」**(44頁)
学徒出陣。想いを寄せている女性が暮らす故郷・広島に原爆が投下された・・・。
激動の時代を主人公の青年はどう生きたのか、じっくり読みたい。
■ 相手の男性の意思に関係なく、一方的に相手の家に押しかけて住みこんでしまう女性のことを「押しかけ女房」っていいますよね、今はあまり耳にしませんが。
キュレーターの意思に関係なく、一方的にギャラリーに押しかけて展示を頼みこんでしまった私。「押しかけヤグラー」とでも自称しておきましょう。
12月6日(日曜日)まで、松本市梓川のカフェ バロで「火の見櫓のある風景」写真展(などと言うほどの作品ではないのですが・・・)を開催させていただいております。
キュレーターKさんの審査基準からして、到底展示など出来るレベルではないのでしょうが、上記の通り、無理にお願いしてしまいました。
カフェ バロの美味しいコーヒーを味わいながら、ご覧いただければ幸いです。
■ カフェ バロはこちらです。
■ 「火の見櫓のある風景」展は予定通り6日に終了しました。開催期間中にカフェ バロに足を運んでいただき、ご覧いただきました皆さまにお礼を申し上げます。ありがとうございました。キュレーターのKさん、お世話になりました。ありがとうございました(1206追記)。
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■ 大町市は木崎湖の近くで見つけた異質なものの合体状態の一例。火の見櫓の上部をカットし、消火ホース乾燥柱を見張り台の床を貫いて設置、両者合体。
ホース乾燥柱に腕木を付けて半鐘を吊り下げている。木槌も吊り下げてあるもののこの火の見櫓が現役かどうかは不明。
この火の見櫓は近くを通っている国道148号からよく見えるのに何故かいままで気がつかなかった・・・。
■ 昨日(2日)の昼食は黒部ダムカレーだった。竣工検査を行ったのでその結果を公表する。
□ 型式 アーチ式ダム
□ 所在地 長野県大町市平10639-1
□ 着・竣工年月日 20151202
□ 施工期間(時間) 約10分
□ 堤高 30mm
□ 堤頂長 250mm
□ 堤頂幅 50mm
□ 堤重量 350g
□ 総貯ルー量 300cc *1
□ 発注者 U1
□ 施工者 食彩工房 麗句味遊 ゆ~ぷる木崎湖のおじちゃんかおばちゃん(施工状況未確認)
□ 総工費 1000円(税込)
注 堤重量は施工者に確認した。これはかなりの量だ。
堤高などの数値は発注者による実測値(スケールにて計測、周りを気にしながらすばやく!)
*1 以下の通り推定した。
円柱の体積を求める公式 底面積×高さをもとにして 3.14×15(皿の半径cm)×15×1.5(ルーの深さの推定値)×0.5(占有面積を皿の半分と見た)×0.6(皿の形状などによるかけ率はこのくらいかな)=317・925よって約300cc
自宅で300ccの水を同様の皿に注いで様子を確認した。少し量が多いような気もしたが、そのままの値を採った。
黒部ダム湖のガルベ 蒸かしたサツマイモ(とても甘くて美味かった)+人参+小旗
ダム下流側 白馬豚のトンカツ(サクサクで美味だった)、蒸したカボチャと人参、それから千切りキャベツとサニーレタス、オレンジ、ふくじん漬
「蒸かす」と「蒸す」の違いは分からないがなんとなく使い分けた。
以上!
586
■ 以前名古屋に向かう特急しなのの車窓から火の見櫓を見たことがあった。南木曽町の辺りだった。
この火の見櫓は中央西線の線路の近くに立っているが、どうもこの火の見櫓ではないような気がする。姿形は似ているが、ロケーションが違うのではないかと思う。名古屋に行く機会がないので確かめることができずにいる。
簡素な造りの火の見櫓だ。柱材は須原駅構内の火の見櫓と同様に鉄道のレールではないかと思うがどうだろう・・・。
585 南木曽町田立 撮影日151130
■ 木曽の山あいの集落に入り込んでみた。あった! 火の見櫓が道路沿いに立っていた。
上方に次第に細くなるラチス柱の火の見櫓。錆がすごい。
消防信号板が脚元に設置してあった。
584 南木曽町田立にて 撮影日151130
■ 理由は分からないが木曽谷には火の見櫓が少ない、という印象。南木曽町でこの火の見櫓を見つけた時はうれしかった。 細身の火の見櫓がすくっと立っているのが遠くから見えた。平凡な風景が火の見櫓がたっていることで締まって見えるから不思議。
見張り台の大きさに対して屋根が小さい。消防団員に雨がかかるのはしたたないが、半鐘には雨がかからないようにという考えであろうか。
平鋼の交叉ブレースだと、よく見かけるリング式ターンバックル付きの丸鋼のブレースの櫓とは印象がかなり違う。
屋根下が暗くて分かりにくいが半鐘は既に無い。半鐘の叩き方を示す消防信号板だけが残されている。
脚を補強する部材が無い!櫓の外に設置されている梯子、梯子段は丸鋼が一般的だが、ここは等辺山形鋼。
メンテナンスがなされておらず、かなり錆びている。遠目には茶色に塗装した櫓に見えたがそれは錆だった・・・。