『「歴史認識」とは何か 対立の構図を越えて』大沼保昭/中公新書
■ 「」付きの歴史認識だから主に日中・日韓間の歴史認識の相違による問題を扱っているということは分かる。帯に**東京裁判は公正だったのか 日本はアジアを「解放」したのか 「慰安婦」問題の本質は強制性か**とある。これらの問いかけについて、ほとんど何も知らず何も答えられないというのはなんとも情けない。ということで、先日買い求めた。なんでも読んでやろう、というわけだ。
年末に読む本としてはなんとも重いテーマ。江川紹子氏の質問に国際法が専門の大沼保昭氏が丁寧にそして分かりやすく答えている。
今日(21日)も朝カフェで読む予定。
■ 観察した火の見櫓に通し番号を付けているが、最初から番号を付けていたわけではない。2014年の4月に信濃毎日新聞の記者の取材を受けた際、今までどのくらいの火の見櫓を見たのか問われ、500基くらいとなんとなくの勘で答えた。その際、裏付けがない数字は記事にはできないと、記者に言われた(**500基以上を見て回った。**と記事に数字が示されていたが)。
で、反省して最初の記事から番号を付ける作業をしたが、欠番があるなど、不備があった。そこで、できるだけ訂正しようと再び番号付けの作業をしている。「一記事一基」でないこともあるし、同じ火の見櫓を二度、三度と紹介していることもあり、正確な番号を付けることは困難ではあるが。やはりスタート時にあれこれきちんと方針を決めておくべきだったと思う。
番号を付け直す作業をする時に記事も読んだりしている。上掲したのは2014年2月22日の記事だが、最後にいつか火の見櫓の本を書かなくては・・・。と記している。
今から5年以上前に既に火の見櫓の本を出すことを考えていたことが分かった。ちゃんと実行した自分を褒めてやりたい。
火の見櫓の魅力
■ 金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」という詩の中に「みんなちがって みんないい」というフレーズが出てきます。このフレーズには多様な価値観、多様な生き方を認めて欲しいというみすゞの心の叫びが表現されているような気がします。彼女の不幸な人生を考えるとなおさらです。
火の見櫓を観察すると同じ姿形というものは無く、似てはいてもどこか違っていることに気がつきます。意図的に変えたものなのか、意図せず変わってしまっているのかは分かりませんが。地元の人たちが隣の地区の火の見とは違うものを、と要望することもあったのかもしれません。
火の見櫓は「みんなちがって みんないい」のです。
火の見櫓は風景に溶けこんでいます。それでいてランドマークのような存在でもあります。目立つようで目立たない。目立たないようで、目立つ。火の見櫓が風景を引き締めているというか、特徴づけているのです。絶妙なデザインです。
火の見櫓の衒いのないデザインにも惹かれます。職人が簡単な姿図を基に経験と勘でつくった火の見櫓ですが、櫓のなめらかなカーブは曲げモーメント図に類似していて、構造的に合理的な形であることを示しています。いくつもつくるうちに次第に合理的な形に収斂していったのかもしれません。構造的にウソのない形はやはり美しいです。
屋根や見張り台の手すりなどに飾りが付けられている火の見櫓もあります。機能に徹したつくりに、職人が少しだけ遊び心を加えたのでしょう。何も飾らないシンプルなつくりのものにも職人の美意識が表れています。
画家は花の色や形に美を感じ、それを絵で表現します。植物学者は知的好奇心から例えば花の微細な構造や発色の仕組みを研究します。花に限らず、どんなものでも個人の興味に応じた多様な見かたができると思いますが、火の見櫓ももちろん例外ではありません。
①
②
細いアングル部材にガセットプレートをあて、ボルトで接合している。プレートの形状にも注目。
朝焼けに浮かぶ火の見櫓のシルエットを美しいと感じる、芸術家のような見かた。櫓の構成部材の接合方法を調べたり、構造解析を試みたりする、技術者のような見かた。あるいはどのような場所に立っているのか、立地条件や集落の構造を調べてみたりというようなアプローチ。
誰でしたっけ、立ちのぼる竈の煙に庶民の暮らしを見たというのは。メンテナンスの状態などから火の見櫓が立地している自治体の様子まで垣間見えると言えば言い過ぎかもしれませんが、火の見櫓を観察するといろんなことが見えてきます。
いままで火の見櫓を人との関わりという観点ではほとんど見てきませんでした。雪の朝、火の見櫓の周りの雪かきをしているお年寄り、火の見櫓の脇を登校して行く小学生、火の見櫓の横のバス停に立つ高校生、消火栓を点検する消防団員・・・。人との関わりという観点を据えることで豊かなものがたりが生まれてきます。
これからも様々な観点から火の見櫓を観察することを自分に課して。
■ 柱の数に注目してみましょう。
火の見櫓の柱の数は1本、2本、3本、4本とあります。ただし「櫓」とは立体的な構造のことですから柱が1本、2本の場合は狭義には火の見「櫓」ではありません。1本の場合は火の見柱、2本の場合は火の見梯子と呼称すべきでしょう。ただし広義にはこれらも火の見櫓としています。
① 1本柱 実にシンプルな造り
半鐘を吊るしている腕木(横材)の位置が絶妙。これより上でも下でも見た目のバランスが良くないでしょう。
② 1本柱 梯子が架かっていて、見張り台もある火の見柱 戸倉上山田にて 写真提供:Tさん
③ 2本柱 火の見梯子 大町市美麻にて
梯子タイプでも半鐘に雨がかかるのを防ぐために小屋根が付いているのも珍しくないです。この写真の例では柱の上端まで屋根で覆っています。
④ 2本柱 火の見梯子 恵那市の大正村にて
柱が木ですが、火の見櫓の材質については別の記事で。
⑤ 2本柱 北杜市にて
これを3本柱と判断するかどうかですが、梯子に控え柱(つっかい棒)がついたものとみるべきでしょう。
⑥ 3本柱 松本市にて
3本柱の火の見櫓 平面形が正3角形で櫓の3面が同じ構造になっているのが基本タイプ。松本平ではこのタイプが多い、という印象です。
⑦ 3本柱 北杜市にて
これは⑤の梯子につっかい棒のタイプと似ていますが、斜材を横架材で繋ぎ、ブレースを入れていることから櫓を構成する部材であることが分かります。従ってこれは3本柱の変形タイプです。
⑧ 4本柱 安曇野市明科にて
4本柱の火の見櫓は東信や南信方面に多い、という印象です。
以上が柱の本数に注目した火の見櫓のタイプ分けです。
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5本以上の柱タイプもあり得ますが、おそらく存在しないでしょう。わざわざ柱を5本、6本にする必要性がないからです。それでも何か特別な理由で、5本以上の柱の火の見櫓があるなら、たとえ遠くでも見に行きたいと思います。
この件を『あ、火の見櫓!』に書きました(152、153頁)。
茨城県に6本柱の櫓があることをある方に教えていただき、2016年9月に見に行ってきました。
20140119
(再)北安曇郡小谷村 この茅葺きの小谷村郷土館はもと村役場だったとのこと 撮影日191219
■ 来年から意図的に火の見櫓の撮り方を変えようと思っているが、そのための準備として試してみた。単なる火の見櫓のある風景という写真ではない。では何か、と問われても今のところ自分でもよく分からず、答えることができない・・・。
■ 私が遠い昔に在席していた大学の研究室では研究生活の心得を標語にしていた。
全体から部分へというのは、いきなり各論(部分)に入るのではなく、まず総論(全体)からという研究論文の構成に関する標語。例えば東北地方の民家の形式や構造を論ずるにしてもまず全国の民家を論じて、その中に東北の民家を位置づけてから、ということを学生に理解してもらうためのもの。日本を論ずるならば、まず世界を論じ、その中に日本を位置づけてからというわけだ。この標語は研究そのもののあり方を示しているともいえるだろう。
全体像と部分詳細のT字型構造も結局は同様のことを示している。総論だけでは論文としては「弱い」し、かといって各論だけでは、それが研究分野のなかにどのように位置づけられるものなのかがはっきりしない。まず広く総体を押さえてからその一部について(つまり研究対象について)深く掘り下げて論ぜよということだ。
前段が長くなった。本稿のタイトルはそのうちのひとつ、十を知って一の説明という標語を思い出してつけた。
このところブログで火の見櫓を盛んに取り上げているが、それぞれの火の見櫓には誕生から今現在に至るまでのものがたりがある。下は長野県の山形村は下竹田という地区の火の見櫓の脚元に置かれている「警鐘楼建設費寄附者芳名」表示板の写真だが、ここには約250人の氏名と寄付金額が記入されている。「昭和参拾七年六月貮拾四日」とあるから、今から50年前に地元の多くの人たちの寄付によって火の見櫓が誕生したことをものがたる貴重な資料だ。新しく建設する火の見櫓に寄せる当時の人たちの期待、思いが伝わってくる。
建設当時のことを知る古老に聞き取り調査をしたり、資料を探したりして、そのようなものがたりまでも読みとる努力をしなければならないだろう。それには厖大な労力を要するが・・・。多くのものがたりの上に火の見櫓は立っている、ということを意識すべきだ。
また、全体から部分へということから火の見櫓を論ずるならば、まず「櫓」や「塔」にはどのようなものがあるのか、その全体像を明らかにした上で、その中に火の見櫓を位置づけてからという手続きを踏むべきだったと反省する。別に学術的な研究をしているわけではないと言い訳をすることもできるが・・・。
先日(20120918)地元の「松本平タウン情報」という新聞に火の見櫓を紹介する記事が掲載された。安曇野のヤグラーのぶさんと私へのインタビューをまとめた記事だが、紹介された火の見櫓のうち、ひとつは火の見櫓ではなく、太鼓櫓だという指摘が読者からあったようだ(*1)。
前述したように櫓にはどのようなものがあるのかをきちんと調べておけば、あるいは気が付いたかもしれない、と反省している。
ああ、たかが火の見櫓、されど火の見櫓・・・。
2012年9月に掲載した記事に加筆して再度掲載する。
追記
・拙著『あ、火の見櫓!』は上記のことを意識して書いた。
・*1については拙著のコラム1に書いた。
・十を知って一を書く、ということに関しては火の見櫓の歴史については十を知って十を書くといった状況で全く余裕がな かった。内容に誤りがあればご指摘願いたい。このブログで訂正記事を書きたい。
1228 安曇野市三郷小倉 東小倉地区公民館 3脚66型 撮影日191215
■ 建築デザインに関して「遠景の丹下 近景の村野」ということばがある。丹下健三の建築の魅力は遠景で把握できる全体のフォルムにあり、村野藤吾の建築は近くで分かる細部・ディテールにあるという、ふたりの建築の特徴を対比的に捉えた評だと私は解釈している。
遠景と近景。今までは分析的な視点で火の見櫓の近景を主として観察してきた。具体的には上の写真のようにまず火の見櫓の全形を見て、それから下の写真のように火の見櫓の構成要素を「屋根・見張り台」「踊り場」「脚」と上から順に、そして更に細部を見てきた。
これは村野建築の観察法に通じるだろう。丹下建築の魅力は都市との関係(と書けば大袈裟なら周辺環境との関係)に注目しないことには理解できない。東京都庁やフジテレビの本社ビル、代々木体育館を思い浮かべれば分かるだろう。まず浮かぶシーンは遠景ではないだろうか。
来年は丹下建築の観察と同様に火の見櫓と周辺環境との関係や地域の人々の暮らしとの関わりに注目して観察したいと思う。今年とは違う写真を載せることになるはずだが、意識的に変えることができるだろうか・・・。
部材の接合にはリベットとボルトが併用されている。
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■ 『ことばの教育を問いなおす ―国語・英語の現在と未来』
国語・英語教育の現状とその問題点の指摘、なにかと話題の、いや問題の英語の大学入試などに関する論考。
**日本の大学までの教育は、徹底して読んで書くということをなおざりにしているように見えます。(中略)大学生が授業で読む文献の量も他の先進国にはまったく及びません。「読み」だけでなく、「書く」も重視されているようには見えません。そのような現状の上に、口頭によるコミュニケーション能力重視にさらに移行しようとしているのです。**(238頁 第10章 徹底的に読み、書き、考える―ことばの力の鍛え方) オックスフォード大学のチュートリアルという教育との比較から、論者の一人・苅谷綱彦氏はこのように指摘している。
大学生の約半数が月に1冊も本を読まないという現実。SNSの短文では論理的に考える力が鍛えられるわけがない。危うし、この国の教育。
■ 市民タイムス(タブロイド判の地方紙)の読者投稿欄に「非常知らせる半鐘は有効」と題した投稿が掲載されていた(11月7日)。
投稿した安曇野市の男性は台風19号の影響で千曲川が氾濫したとき、消防団員が半鐘を連打して住民に避難を促したことを取り上げ、**半鐘の音は非常を知らせ、何らかの行動を起こさせる心理的な響きがあり、伝達手段として有効だと思います。**という見解を示され、**今回のことを教訓に半鐘の役割を見直し、公民館の軒先などにつるして非常時に打ち鳴らすようなことは考えられないでしょうか。**と結んでおられる。
火の見櫓が解体・撤去されてしまうのは仕方がないとしても、せめて半鐘だけは残して欲しいと私は願っているが、投稿者のように非常時に叩く、現役として活用し続けるということは考えていなかった。そうか・・・。これからは使い続けるべきだということを機会ある度に言おう。
■ 久しぶりに読んだ時代小説は『本所おけら長屋』畠山健二/PHP文芸文庫。おけら長屋の住人たちはまるで家族のようにお互い深く関わりながら暮らしている。みんな情に厚い人たちだ。
**「大変なことになったよ。もし優勝できなかったら、この長屋じゃ暮らしていけないからね。せいぜい精のつくものを食べさせないと」(中略)「そうだね。なんたって、お梅ちゃんの幸せがかかってるんだから」「亭主にはね、もし負けたら離縁だって脅かしてやりましたよ」**(271頁)「ふんどし」では長屋対抗相撲大会で優勝を目指すおけら長屋の住人たちの奮闘ぶりを描いている。彼らには優勝しなければならない理由がある。収録されている連作7編の中ではこの「ふんどし」、それから「はこいり」のラストの落ちが好き。
現在12巻ある『本所おけら長屋』、月2巻のペースで来年の5月には読み終えることができる。
■ さて、『ことばの教育を問いなおす』鳥飼玖美子・苅谷夏子・苅谷剛彦/ちくま新書。
ことばは言うまでもなくコミュニケーションのツールだが、思考のツールでもある。私たちは日本語で会話し、日本語で考える。「うそ」「やばい」「まじ」「むり」ごく短い表現による会話。これはコミュニケーション力の低下を招く(あるいはその結果か)だけでなく、思考力の低下も招く。これは由々しき問題だ。
明治初期、福澤諭吉らが日本にはない外国語の概念に日本語の訳語を創り出した。これはすごく重要なことで、学術的な分野においても優れた業績を残すことができているのは、日本語でどんな事でも考えることができることに因る。ところが今はカタカナ語や省略語が氾濫している。これもまた困った問題。
このような問題意識から先日、書店でこの本を買い求めた。
本の帯には**(前略)言語と思考という本質的な問題です。「ことばの力」が大切なのは、それが「考える力」と深く密接な関係があるからで、表面に現れる「ことば」の基底に存在する「考える力」をどのように育てるのか、それを追求するのが教育である、と確認したのが、本書の結論と言えるかもしれません。**とある。
じっくり読みたい1冊。
■ 我が村が外部委託して制作している番組(村の出来事や行事等をあれこれ紹介する番組)を見ていた近所の方から、番組で僕の本が紹介されていると聞いた。番組の再放送を見ると「図書館だより」のおすすめ本のコーナーで図書館司書のMさんが『あ、火の見櫓!』の紹介をしていた。
拙著を進呈させていただこうとMさんに連絡した時のことは既に書いた(過去ログ)。Mさんが拙著の文章を分かりやすいと評していた。同様の感想を何人もの人から聞いている。
**本当にここまで読みやすく、わかりやすくまとめられたものだと感心します。** 九州のTさんがこのような感想をご自身のブログに書いてくださっている。
余分なことを書かないように、冗長に書かないようにということを意識した結果だろうか。もっとも、文才のない僕には豊かな表現の文章を書こうにも書けないが・・・。
■ 歳を取ることは悪いことばかりではない。私の年齢だと金曜日にTSUTAYA北松本店でDVDを1枚無料で借りることができる(TSUTAYAの他店はどうか分からない)。6日の金曜日、「居酒屋兆治」を借りてきた。1983(昭和58)年の作品だから36年前。
高倉 健、大原麗子、加藤登紀子、田中邦衛、伊丹十三、左とん平、平田 満、ちあきなおみ、池部 良、小松政夫、佐藤 慶、大滝秀治、石野真子、小林稔侍、細野晴臣、東野英治郎、あき竹城、武田鉄矢、伊佐山ひろ子。多彩な出演者。今の若い俳優の名前は知らないが、この頃の俳優は知っている。
原作者の山口 瞳と題字や出演者名を書いたイラストレーターの山藤章二も出演していて、健さんの居酒屋のカウンターで飲んでいた。原作者の出演といえば、昔々松本清張がNHKのテレビドラマに出演していたことを記憶している。
主人公・藤野英治(高倉 健)の不器用な、そして律儀な生き様はお決まりの設定で無口はお決まりのキャラ。資産家の神谷(左とん平)と結婚しても英治(健さん)のことが忘れられないさよ(大原麗子)。彼女のなんとも切ない人生に涙。ふたりが結婚していたらどんな暮らし、どんな人生になっていただろう・・・。
この映画の原作を「パナソニック メロディアス ライブラリー」というラジオ番組で作家の小川洋子さんが取り上げていた。放送を聞いて映画を見たいと思った。
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■ 久しぶりの時代小説。読み始めたのは『本所おけら長屋』畠山健二/PHP文芸文庫 第1巻。
このシリーズは12巻まで出ている(19年12月現在)。第1巻には7編の短編が収録されている。タイトルは皆ひらがな4文字。第一話の「だいくま」は大工の熊五郎が騒動を起こす話で、落語のよう。
畠山健二さん作品を読むのは初めてだが、自在な文章運びに書き慣れているという印象を受けた。巻末のプロフィールによると演芸の台本執筆や演出をしているという。このプロフィールを読んで納得した。
続けて全巻読むのかどうか、自分でも分からない。これから読みたい新書が見つかるかどうか・・・。読みたい新書が見つからなければ、このシリーズが年越し本になるかもしれない。
△ 表通りから表店の裏側に入る小道に面して平屋建ての裏店が並ぶ(深川江戸資料館にて 以下同じ)。
井戸や便所、ごみ溜めなどは共同。資料館で入手した資料(資料館ノート第114号 H28年3月16日発行)によると、文政11年(1828年)には江戸の平均的な店借率(長屋住まいの借家人)は約70パーセントだったという。深川地域では82.5パーセントで、江戸市中で最も高い割合だったそうだ。
△ 6帖(間口1間半、奥行2間)の大きさ。簡素な暮らしぶりが窺える。本所おけら長屋もこんな様子だろう。島田鉄斎も松吉も熊五郎もみんなこういうところで暮らしているのだなぁ。