透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

自費出版のこと

2019-12-20 | H 「あ、火の見櫓!」



 観察した火の見櫓に通し番号を付けているが、最初から番号を付けていたわけではない。2014年の4月に信濃毎日新聞の記者の取材を受けた際、今までどのくらいの火の見櫓を見たのか問われ、500基くらいとなんとなくの勘で答えた。その際、裏付けがない数字は記事にはできないと、記者に言われた(**500基以上を見て回った。**と記事に数字が示されていたが)。

で、反省して最初の記事から番号を付ける作業をしたが、欠番があるなど、不備があった。そこで、できるだけ訂正しようと再び番号付けの作業をしている。「一記事一基」でないこともあるし、同じ火の見櫓を二度、三度と紹介していることもあり、正確な番号を付けることは困難ではあるが。やはりスタート時にあれこれきちんと方針を決めておくべきだったと思う。

番号を付け直す作業をする時に記事も読んだりしている。上掲したのは2014年2月22日の記事だが、最後にいつか火の見櫓の本を書かなくては・・・。と記している。

今から5年以上前に既に火の見櫓の本を出すことを考えていたことが分かった。ちゃんと実行した自分を褒めてやりたい。


 


みんなちがって みんないい

2019-12-20 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓の魅力

 金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」という詩の中に「みんなちがって みんないい」というフレーズが出てきます。このフレーズには多様な価値観、多様な生き方を認めて欲しいというみすゞの心の叫びが表現されているような気がします。彼女の不幸な人生を考えるとなおさらです。

火の見櫓を観察すると同じ姿形というものは無く、似てはいてもどこか違っていることに気がつきます。意図的に変えたものなのか、意図せず変わってしまっているのかは分かりませんが。地元の人たちが隣の地区の火の見とは違うものを、と要望することもあったのかもしれません。

火の見櫓は「みんなちがって みんないい」のです。

火の見櫓は風景に溶けこんでいます。それでいてランドマークのような存在でもあります。目立つようで目立たない。目立たないようで、目立つ。火の見櫓が風景を引き締めているというか、特徴づけているのです。絶妙なデザインです。

火の見櫓の衒いのないデザインにも惹かれます。職人が簡単な姿図を基に経験と勘でつくった火の見櫓ですが、櫓のなめらかなカーブは曲げモーメント図に類似していて、構造的に合理的な形であることを示しています。いくつもつくるうちに次第に合理的な形に収斂していったのかもしれません。構造的にウソのない形はやはり美しいです。

屋根や見張り台の手すりなどに飾りが付けられている火の見櫓もあります。機能に徹したつくりに、職人が少しだけ遊び心を加えたのでしょう。何も飾らないシンプルなつくりのものにも職人の美意識が表れています。

画家は花の色や形に美を感じ、それを絵で表現します。植物学者は知的好奇心から例えば花の微細な構造や発色の仕組みを研究します。花に限らず、どんなものでも個人の興味に応じた多様な見かたができると思いますが、火の見櫓ももちろん例外ではありません。




細いアングル部材にガセットプレートをあて、ボルトで接合している。プレートの形状にも注目。

朝焼けに浮かぶ火の見櫓のシルエットを美しいと感じる、芸術家のような見かた。櫓の構成部材の接合方法を調べたり、構造解析を試みたりする、技術者のような見かた。あるいはどのような場所に立っているのか、立地条件や集落の構造を調べてみたりというようなアプローチ。

誰でしたっけ、立ちのぼる竈の煙に庶民の暮らしを見たというのは。メンテナンスの状態などから火の見櫓が立地している自治体の様子まで垣間見えると言えば言い過ぎかもしれませんが、火の見櫓を観察するといろんなことが見えてきます。

いままで火の見櫓を人との関わりという観点ではほとんど見てきませんでした。雪の朝、火の見櫓の周りの雪かきをしているお年寄り、火の見櫓の脇を登校して行く小学生、火の見櫓の横のバス停に立つ高校生、消火栓を点検する消防団員・・・。人との関わりという観点を据えることで豊かなものがたりが生まれてきます。

これからも様々な観点から火の見櫓を観察することを自分に課して。