透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

平安時代の護摩炉

2023-11-15 | A あれこれ


 塩尻市広丘吉田の長者原公園南で1954年(昭和29年)に出土した鉄製の護摩炉は平安時代(*1)に製作されたものと言われている。長年松本民俗資料館で保管されていたが、今年(2023年)11月8日に塩尻市に戻され、出土地のえんてらすで展示されていると地元紙で知り、見に行ってきた。

『火の路』(文春文庫)で、作者の松本清張は飛鳥の謎の石造物とペルシャのゾロアスター教との関係を論じている。しばらく前にこの長編小説を読んでいたので、拝火壇との関連性から護摩炉に関心が及んだ。


説明文によると、この護摩炉の大きさは高さ26cm、外径49.5cm、重量15.4kg。



底の浅い炉と蓋

展示されている護摩炉を見ていて、鉄器は錆びて原形を保てない程ボロボロになってしまうことも多いと聞く。よく残っていたなぁ、松本清張は『火の路』で益田岩船をゾロアスター教の拝火壇に相当するものとみていたっけ、昔から人にとって火は特別な存在なんだな、などと思った。


*1 類例がないので時代特定は難しいとのことだが、形が平安時代の香炉とよく似ていること、足が鎌倉時代のものより古風な印象であることから平安時代と推測されるという。


「暗幕のゲルニカ」を読む

2023-11-14 | A 読書日記


『暗幕のゲルニカ』原田マハ(新潮文庫2022年3月5日 12刷)

 原田マハがピカソの名画「ゲルニカ」を一級のサスペンスに仕立て上げた、それも「ゲルニカ」の制作意図に沿うような。その構想力、ストーリー展開に感動した。最後の数頁に涙。

1937年から1945年のパートと2001年~2003年のパート、「ゲルニカ」を巡るふたつのストーリーが同時に進行していく。このあたり、原田マハは巧い。

1937年からのパート。パリ万博のスペインのパビリオンの壁画として描かれた「ゲルニカ」。その制作過程をピカソの恋人、ドラ・マールが見守り続ける。

2001年からのパート。この年の9月11日、WTCに旅客機が突っ込む・・・。同時多発テロで夫を亡くしたMoMAのキュレーター八神瑤子が「ピカソの戦争」と銘打った展覧会開催のために奔走する、奮闘する。この展覧会に「ゲルニカ」は欠かせない。だが、借用交渉は困難を極め、瑤子の身に危険が及ぶ・・・。


 


6松本市穴沢の火の見櫓

2023-11-13 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市穴沢(旧四賀村)3柱66型トラス脚 2023.11.12

 中信地域ではこの火の見櫓のような3柱66型(3本柱で屋根と見張り台が共に6角形)が最も多く、38%になる。またトラス脚も35%と最も多い。


この季節、茶色い火の見櫓は背景の紅葉に同化して目立たない。




梯子を掛けてあるところも手すりを付けている。この方が安全上好ましいように思う。梯子の上端から丸鋼の手すりを延ばしている。これは好ましい。


 


5松本市中川の火の見櫓

2023-11-13 | A 火の見櫓っておもしろい


1488 松本市中川(旧四賀村)3柱68型トラス脚 2023.11.12

 なんだかすごい所に立っているなぁ、という第一印象。


②の写真ではどんなところに立っているのか、周辺の状況が分からない。


③の写真でかなり遠くまで見通せる高台のエッジに立っていることがなんとか分かる。この位置でパノラマ的な写真を撮れば良かった・・・。


下から見張り台、屋根を見上げる。屋根も見張り台も平面形が他の火に見櫓と同じ6角形だと思い込んでいた。だが、見張り台は8角形だった。なぜこの火の見櫓だけ8角形なんだろう・・・。

外付け梯子の上端から手すりを延ばしている。これだけの配慮で随分上り下りしやすくなるはずだ。


脚の中間に棒を架け渡してある。これは何のためだろう。





3松本市中川の火の見櫓

2023-11-12 | A 火の見櫓っておもしろい


1487 松本市中川(旧四賀村)3柱66型トラス脚 2023.11.12


これまた3柱66型トラス脚。消防信号板が正しい位置に、正しい向きに設置されている。




半鐘が無いなぁと思って辺りを見ると・・・。


近くの建物(住宅ではないような気がする。人が居らず確認できなかった)の軒下に吊り下げてあった。火の見櫓に吊り下げてあったものを移設したのだろう。でもなぜ?


 


1松本市中川の火の見櫓

2023-11-12 | A 火の見櫓っておもしろい

 久しぶりのヤグ活、エリアは旧四賀村(現松本市)。初見と再見合わせて7基。順次載せていく。
(再)松本市中川(旧四賀村)3柱66型トラス脚 2023.11.12

 国道143号沿い、藤池公民館の前に立っている。


3柱66型でやや長めのトラス脚、外付け梯子。半鐘は無し。消防信号板が見張り台に取り付けられているケースは案外少ないけれど、一番合理的な場所。



 


消えゆく火の見櫓

2023-11-11 | A 火の見櫓っておもしろい


 とうとうその日が来た。

黒部ダム建設工事(1956年~1963年)の砕石プラントの監視塔から1967年2月に旧穂高町(現安曇野市穂高)の火の見櫓に身を転じて以来、56年もの長きに亘り町を見守り続けてきたが、今日、11月11日解体された。以下、解体の様子を見守り、撮った写真を掲載する。














この後の様子は見ていないが、朝9時半過ぎに始まった解体工事は夕方までにほぼ終了しただろう。13日には解体された部材が現場から搬出され、コンクリート基礎も撤去されて更地になるだろう・・・。


 


「火の路」松本清張

2023-11-11 | A 読書日記


 松本清張の長編小説『火の路』(文春文庫2021年上下巻とも新装版第3刷)読了。初読は1978年7月。

松本清張が飛鳥時代の謎の遺跡に関する自説をこの主人公に語らせる「論文小説」。酒船石や益田岩船、猿石など飛鳥の石造物の謎を大学の史学科助手(助教)の若い女性が解き明かす。ペルシャ(古代イラン)に始まったゾロアスター教と大いに関係があるとする論考。尚、主人公の女性の出身地は長野県南安曇郡三郷村(現在の安曇野市三郷)という設定。

上下巻合わせて1,000頁近くにもなるボリュームに実に緻密な論考を展開している。推理小説という体裁を取っているが、松本清張にとってそれは便宜的なものだっただろう。それにしても松本清張の知的好奇心、探求心は凄いとしか言いようがない。


**益田岩船の上部平面で東西にならぶ二つの方形穴は、拝火壇の火を燃やす用途であったと推測したいのである。つまり岩船ぜんたいがゾロアスター教の拝火壇と基壇とを兼ねた石造物と考えるのである。**(下巻375頁)

益田岩船は確か花崗岩ではなかったか、花崗岩は火に弱いのでは・・・。松本清張は読者(考古学や古代史の研究者)のこのような指摘を想定して次のような回答を用意している。

**たしかに花崗片麻岩は火に弱く、長い期間火に当てると表面の雲母質が剥離する。岩船の方形穴には焼けて黒く変色したあともなく、剥離の状況も見られない。しかし、これは千三百年間も野天にさらされた風化によってその痕跡が消失したからであろう。事実、岩船の風化は相当にすすんでいる。また、穴には雨水が溜まり、雪が詰まるので、変色を消す役目もする。それに焚火の行事も短い期間であった。方形穴の部分が黒い焦げあとを残すのも、剥離するにもいたらなかったであろう**(下巻377頁)


 


咖哩ヤドリギ

2023-11-10 | C 名刺 今日の1枚

 安曇野市明科(旧明科町)にある中村君の事務所兼住宅を訪ねた。街なかの古い住宅の床を張り直し、壁を塗り直すなどして魅力的な空間に改修して使い始めている。昼時になり、中村君の案内で明科七貴にある「咖哩ヤドリギ」へ。


咖哩ヤドリギ外観


店内の様子




もともと養蚕用だった建物を改修、2019年9月にオープンした食堂。


食したヤドリギカレー、なかなか美味かった。温泉タマゴをトッピングして900円(税込み)なり。

320
お店の堀内ゆかりさんに232枚目の名刺を渡し、ブログへの掲載をOKしてもらった。気さくな女性、という第一印象。


咖哩ヤドリギ 0263-74-5931


ゴジラー1.0

2023-11-08 | E 週末には映画を観よう


 ゴジラ-1.0を観た。やはり巨大なゴジラは大きなスクリーンで観るに限る。

舞台は第二次大戦直後の東京。廃墟、即ちゼロと化した都市を更にゴジラが襲う。で、ゴジラ-1.0。主演は朝ドラ「らんまん」の主役のふたり。

驚きのラストにうれし涙。「え、生きていたのか・・・、よかった。」

どう生きるか、いや、そもそも生きるとはどういうことなのか・・・。山崎 貴監督は観る者に根源的な問いかけを発しているのだろう。


 


さて・・・

2023-11-07 | A あれこれ


 何日か前、ひのみ友だちのKBさんからいただいたタペストリー。違うかな・・・。サイズは42cm×37cm。


よく見ると火の見櫓が立っている。櫓の壁が上部のみ張られていて、大半の骨組みが露出している。これは商人地仕様の火の見櫓。場所はどこだろう・・・、日本橋あたりか。


以前送っていただいた、「あれ」じゃなくてこれ、コースターに使っている。サイズは13cm×15cm。