420
『デトロイト美術館の奇跡』原田マハ(新潮文庫2020年)
■ 原田マハの『デトロイト美術館の奇跡』を読んだ。虚実織り交ぜたアート小説。
デトロイトで暮らすフレッドは長年勤め続けていた自動車会社を55歳の時に解雇されていて、― 不景気で自動車産業は著しく業績が悪化していた ― 妻のジェンカが家計を支えていた。
もともと芸術にさほど興味がなかったフレッドは**自分はアートのなんたるかを知らないし、(中略)だから美術館に行ったところで楽しめないだろう。どだい、自分のような人間が行くべき場所ではないのだ。**(22、23頁)と思っていた。だが、ジェンカに誘われて地元デトロイト市のデトロイト美術館(DIA)に出かけ、やがて足しげく通うようになっていた・・・。
ある日フレッドはセザンヌの「画家の婦人」(本書のカバーの絵)の前で**―― 彼女、お前に似ているね。**(30頁)とジェンカに告げる。
*****
ジェンカが末期ガンと宣告されて・・・。
**―― あたしのお願い、ひとつだけ聞いてくれる?
最後にもう一度だけ、一緒に行きたいの。―― デトロイト美術館へ。**(32頁)
車椅子のジェンカとDIAへ出かけたフレッド。事前にフレッドから電話で車椅子の妻を連れて行くことを知らされていたDIAのスタッフの対応が実に自然で好い。その件(くだり)を読んでうれし涙。市民にとって美術館が身近な存在であることがスタッフの自然な対応からも分かる。
**―― あたしがいなくなっても・・・・・彼女に会い来てくれる? 彼女、あなたが来てくれるのを、きっと待っていてくれるはずだから。あたしも、待ってるわ。あなたのこと、見守っているわ。・・・・・彼女と一緒に、ここで。**(34頁)
それから二週間後、ジェンカは旅立つ。ここを読んで泣いた。朝カフェ読書でなくて良かった。
デトロイト市財政破綻 DIAのコレクション 売却へ 地元紙にこんな記事が掲載される。コレクションが売却されたら「画家の婦人」に会えなくなってしまい、ジェンカとの約束が果たせなくなる・・・。
DIAのキュレーターのジェフリーにフレッドは額面500ドルの小切手を手渡す。年金生活者のフレッドにとって精一杯の金額だった。このことがきっかけとなって、DIAのコレクションは私たちみんなの『友だち』だから助けたいという市民の想いが広がっていき、いくつかの財団からの多額の寄付が集まる。そして美術館の存続が決まる。その経緯が書名ということだろう。
アートを知らず、美術館とは無縁だったフレッドがDIAのボランティア・ガイドをすることになるまでがメインストーリー。
ボランティアの当日、フレッドがスタッフ・エントランスではなく、今までの習慣通り、正面エントランスから美術館の中へ消えていくところで物語は終わる。
アートを友だちのような身近な存在にして欲しいという原田ハマさんの願いが込められた作品。