史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「暁の旅人」 吉村昭 講談社文庫

2008年10月04日 | 書評
 吉村昭は、司馬遼太郎先生と並んで私の好きな作家の一人である。やはり幕末から明治にかけての人物や事件を題材に多くの作品を残している。ところが不思議なことに、吉村昭と司馬遼太郎の二人が共通して小説の主人公として取り上げた人物は松本良順ただ一人なのである。松本良順は、佐藤泰然を父に、林董を弟に持ち、蘭医でありながら幕府の奥医師に取り立てられ、将軍家茂の臨終にも立ち会った。新選組の近藤勇や土方歳三とも親交が深く、のちに幕府が開いた医学所頭取に就任し、戊辰戦争にも従軍した。歴史のさまざまな場面に顔を出すので、作家としては執筆意欲を掻き立てられる題材なのであろう。同じ良順を主役に据えた作品でありながら、吉村昭の「暁の旅人」と司馬先生の「胡蝶の夢」は読後の印象が全く異なる。一言でいうと「胡蝶の夢」は痛快である。多紀楽真院や伊東玄朴といった悪役を配し、司馬凌海といったユニークな破滅型キャラクターも登場する。登場人物がいずれも活き活きとしかも人間臭く描かれており、小説として圧倒的に面白い。一方で吉村昭の描く良順は、必ずしもかっこよくない。多紀楽真院が繰り出す難問に対し、良順が一夜漬けで見事にクリアする下りは、わずか数行で片付けられている。逆に、晩年子供や親族に先立たれ、生きる意欲を失ったかのように老いを迎える良順の痛々しい姿を執拗に追う。目を背けたくなるほどの描写である。これが吉村昭流の歴史の描き方であり、読む方は、その人間の見たくない姿も見なくてはいけない。それだけの覚悟を要するのである。
 でもやっぱり良順についていえば、断然「胡蝶の夢」に軍配が上がると思います。

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