東京向島に生まれた著者は、「生まれついての薩長嫌い」で「幕末における薩長は、暴力組織以外のなにものでもない」といって憚らない。勝海舟のことを、親しみを込めて「勝つぁん」と呼んでいるが、この本を通読すれば著者が海舟に心酔していることがビシバシ伝わってくる。山岡鉄舟や大久保一翁の功績を、あたかも自分の手柄のように自慢しているところは割り引くとしても、幕末維新の混乱期における海舟の役割は、無視できないほど大きかった。なのに、海舟の銅像が出身地である墨田区役所に建てられたのは、没後百年以上を経た平成十五年のことである。端的に言って、その功績に比して不思議なほど人気がない。巷間いわれているように慶喜と海舟は、どうしようもなく不仲であった。両者が和解を迎えるのは、実に明治二十五年(1892)まで待たなくてはならない。半藤氏は、一方的に海舟の言い分を書き立てているが、慶喜にも当然海舟を嫌う理由があっただろう。海舟に最も近い存在であったたみ夫人は、かなり海舟から気持ちが離れていたようである。「生きているうちはともかく、死んでからは一緒の墓に入らん」と言い遺して世を去った。慶喜やたみ夫人だけではない。福沢諭吉、福地桜痴、栗本鋤雲など、海舟嫌いは枚挙に暇ない。これだけ人に嫌われるというのは、本人の人間性に何らかの問題があったのではと勘繰りたくなる。海舟は「氷川清話」や「海舟座談」など多くの言葉を残しているが、この人の頭の良さ、世の中を見通す力にはいつも感心させられる。本当に頭の切れる人だったのだろう。海舟にしてみれば、世の中バカばっかりに見えていたに違いない。人をバカにすれば、当然の反作用として相手に嫌われるのが道理である。これほどの見識と大局観を持った海舟が、明治以降総理大臣になれなかったばかりか、それに推す声すら無かったのは、単に旧幕臣出身というだけでなく、基本的に人望が欠けていたことに起因しているように思う。
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