史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

霊山・高台寺 Ⅴ

2016年11月04日 | 京都府
(幕末志士葬送の道)


幕末志士葬送の道


坂本龍馬 中岡慎太郎など幕末志士葬送の道

 霊明神社、正法寺に至る急な坂は、いつしか「幕末志士葬送」の道と名付けられている。
 もともと正法寺の参道であったが、文化六年(1809)、地下の村上都愷(くにやす)が正法寺の境内に霊明社を創建した。徳川幕府の宗教政策により原則として全ての国民が仏教徒とされていた時代に、神道による葬式を始めた。これにより、神葬祭を進める長州毛利家との縁ができ、在京志士の葬送・祭祀の地となった。維新後、霊明社の土地は没収され、創建間もない東山招魂社に譲られた。
 石碑の背後は神葬墓地となっている。ここはもと土佐高知藩神霊社があり、東側の現在マンションのある場所には、吉村寅太郎ら天誅組志士の墓があった。のち霊山護国神社内に移されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円山公園 Ⅳ

2016年11月04日 | 京都府
(建仁寺)
 俵屋宗達の「風神雷神図屏風」で有名な建仁寺は、祇園や四条通りの喧噪に近い場所にありながら、広い境内を持つ禅寺である。


建仁寺

 文久三年(1863)二月、上京した加賀藩主前田斉泰は、藩兵六百を率いて建仁寺に入った。三月には帰国の途についている。元治元年(1864)、今度は世子慶寧が京師守衛を命じられ上京した。しかし、長州に同情的な慶寧は禁門の変の七月十九日に本陣を引き払い、後事を奥村伊予守に託して帰国した。これを契機に加賀藩では勤皇派勢力が一掃された。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円町 Ⅳ

2016年11月04日 | 京都府
(光清寺)


光清寺

 慶応二年(1866)末、松平出雲守の後任として見廻役に就任した堀岩見守親義が、光清寺を宿舎とした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大将軍

2016年11月04日 | 京都府
(選仏寺)
 見廻組並をつとめた常見中次郎が、元治元年(1864)より選仏寺を宿とした。


選仏寺

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北野天満宮 Ⅲ

2016年11月04日 | 京都府
(東向観音寺)
 北野天満宮の二の鳥居の西にある東向観音寺は、天満宮と同じ頃に創建されたといわれる。慶応三年(1867)、上七軒の店で歩兵隊が暴れたため、佐々木只三郎が下宿していた観音寺に通報。歩兵隊が十を発砲し、見廻組と鳥居をはさんでにらみ合いとなった。


東向観音寺
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする