(幕末志士葬送の道)
幕末志士葬送の道
坂本龍馬 中岡慎太郎など幕末志士葬送の道
霊明神社、正法寺に至る急な坂は、いつしか「幕末志士葬送」の道と名付けられている。
もともと正法寺の参道であったが、文化六年(1809)、地下の村上都愷(くにやす)が正法寺の境内に霊明社を創建した。徳川幕府の宗教政策により原則として全ての国民が仏教徒とされていた時代に、神道による葬式を始めた。これにより、神葬祭を進める長州毛利家との縁ができ、在京志士の葬送・祭祀の地となった。維新後、霊明社の土地は没収され、創建間もない東山招魂社に譲られた。
石碑の背後は神葬墓地となっている。ここはもと土佐高知藩神霊社があり、東側の現在マンションのある場所には、吉村寅太郎ら天誅組志士の墓があった。のち霊山護国神社内に移されている。

幕末志士葬送の道

坂本龍馬 中岡慎太郎など幕末志士葬送の道
霊明神社、正法寺に至る急な坂は、いつしか「幕末志士葬送」の道と名付けられている。
もともと正法寺の参道であったが、文化六年(1809)、地下の村上都愷(くにやす)が正法寺の境内に霊明社を創建した。徳川幕府の宗教政策により原則として全ての国民が仏教徒とされていた時代に、神道による葬式を始めた。これにより、神葬祭を進める長州毛利家との縁ができ、在京志士の葬送・祭祀の地となった。維新後、霊明社の土地は没収され、創建間もない東山招魂社に譲られた。
石碑の背後は神葬墓地となっている。ここはもと土佐高知藩神霊社があり、東側の現在マンションのある場所には、吉村寅太郎ら天誅組志士の墓があった。のち霊山護国神社内に移されている。