(千葉縣護國神社)
既に四十七都道府県を踏破した私であるが、実は県庁所在地でいうと、千葉市の史跡だけが未訪問となっていた。現在の千葉市の市域の大半は、佐倉藩の領地であったが、特に藩政時代の遺跡が残っているわけでなく、積極的にここを訪ねる理由がなかったのである。もちろん、何度も通過はしているのだが…。

千葉県護国神社
この日は東金を訪問した帰りに千葉市内の護国神社に立ち寄ることにした。この神社は、明治十一年(1878)、初代県令柴原和が発起となり、千葉県庁公園内に千葉県招魂社として創建されたのに始まり、昭和四十二年(1967)現在地に遷移したものである。戊辰戦争、西南戦争から大東亜戦争に至る戦乱に命を捧げたみたまが祀られている。戊辰戦争で戦死した佐倉藩の安達直次郎(慶応四年閏四月羽前村山にて戦死。二十九歳)以下が当神社の祭神となっている。
既に四十七都道府県を踏破した私であるが、実は県庁所在地でいうと、千葉市の史跡だけが未訪問となっていた。現在の千葉市の市域の大半は、佐倉藩の領地であったが、特に藩政時代の遺跡が残っているわけでなく、積極的にここを訪ねる理由がなかったのである。もちろん、何度も通過はしているのだが…。

千葉県護国神社
この日は東金を訪問した帰りに千葉市内の護国神社に立ち寄ることにした。この神社は、明治十一年(1878)、初代県令柴原和が発起となり、千葉県庁公園内に千葉県招魂社として創建されたのに始まり、昭和四十二年(1967)現在地に遷移したものである。戊辰戦争、西南戦争から大東亜戦争に至る戦乱に命を捧げたみたまが祀られている。戊辰戦争で戦死した佐倉藩の安達直次郎(慶応四年閏四月羽前村山にて戦死。二十九歳)以下が当神社の祭神となっている。