(草薙神社)
草薙神社
工部六等属森元温墓
JR草薙駅から南に向かって二十分ほど、緩やかな坂道を進むと草薙神社がある。この神社は日本武尊が東国の蝦夷の反乱を平定するため、吾妻に向かう途中、この地で逆賊が起こり日本武尊を殺そうとして火を放ったが、日本武尊は剣を払って草を薙ぎ難を逃れた。その時の佩刀を神剣として祀ったのがこの神社の起源というから、千九百年近い歴史を持つことになる。境内には樹齢千年という楠木の御神木がある。
草薙神社に向かう道沿いに、幕末草薙神社の神官を務めた森元温(もとはる)の墓がある。
森元温は、天保八年(1837)の生まれで、父は駿河浅間神社の神官志貴昌俊。兄は昌信。森氏を継いで草薙神社の神官となった。国学、武芸に秀でていたという。慶応四年(1868)、遠州報国隊結成の中心人物の一人桑原真清は、駿河に来てまず焼津神社の鈴木五百枝を説き、ついで草薙神社の森元温や三保神社の太田健太郎のもとにきて勤王を勧誘した。森らは大宮浅間神社の冨士亦八郎らと謀り、駿州の神官・国学者を糾合して赤心隊を結成して従軍した。戦後感状を受けて江戸から帰った森は兇徒に襲われ、片腕を失う重傷を負った。凶徒は徳川氏の旧臣だったといわれる。のち危険を避けて江戸に出、兵部省・工部省に出仕。明治十七年(1884)、年四十八で没。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c7/f6db683c85623ae2990b3a0f8d739a46.jpg)
草薙神社
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工部六等属森元温墓
JR草薙駅から南に向かって二十分ほど、緩やかな坂道を進むと草薙神社がある。この神社は日本武尊が東国の蝦夷の反乱を平定するため、吾妻に向かう途中、この地で逆賊が起こり日本武尊を殺そうとして火を放ったが、日本武尊は剣を払って草を薙ぎ難を逃れた。その時の佩刀を神剣として祀ったのがこの神社の起源というから、千九百年近い歴史を持つことになる。境内には樹齢千年という楠木の御神木がある。
草薙神社に向かう道沿いに、幕末草薙神社の神官を務めた森元温(もとはる)の墓がある。
森元温は、天保八年(1837)の生まれで、父は駿河浅間神社の神官志貴昌俊。兄は昌信。森氏を継いで草薙神社の神官となった。国学、武芸に秀でていたという。慶応四年(1868)、遠州報国隊結成の中心人物の一人桑原真清は、駿河に来てまず焼津神社の鈴木五百枝を説き、ついで草薙神社の森元温や三保神社の太田健太郎のもとにきて勤王を勧誘した。森らは大宮浅間神社の冨士亦八郎らと謀り、駿州の神官・国学者を糾合して赤心隊を結成して従軍した。戦後感状を受けて江戸から帰った森は兇徒に襲われ、片腕を失う重傷を負った。凶徒は徳川氏の旧臣だったといわれる。のち危険を避けて江戸に出、兵部省・工部省に出仕。明治十七年(1884)、年四十八で没。
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