史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

山鹿 杉

2016年04月17日 | 熊本県
(日輪寺)
 山鹿口の戦闘において、北は正円寺山、南は志々岐・長岩まで、その戦線は約五キロメートルに及んだ。日輪寺は、薩軍の最重要拠点として、北方戦線の見張り所、指揮所が置かれた。


日輪寺


西南の役 薩軍の北方拠点日輪寺

 日輪寺墓地には、押川仙太郎の顕彰碑と薩軍三人の墓がある。


西南の役 押川仙太郎顕彰之碑

 押川仙太郎は、鹿児島出身とされるが、出生地等は不明。東京警視庁巡査隊二小隊長として従軍し、山鹿口の戦いにも参加した。薩軍が山鹿から撤退した後、路傍に打ち捨てられた三名の薩兵の遺体を見た。押川仙太郎は、三名の鎮魂供養のために墓碑の建立を里人に依頼し、走り書きの碑文と金銭を託した。
 歳月の経過とともに薩軍兵士の墓もその存在を忘れられていたが、墓地整理の際、故池田敬次郎氏が発見して自家の墓所に引き取って供養を続けた。平成十年(1998)、杉村の各位の厚情により日輪寺墓地に改葬された。その際、押川仙太郎の顕彰碑も建立された。


官賊無 鎮魂色即是空
(薩軍戦死者三名之墓)

 側面には、「天下国家ヲ論ス 賊名ヲ捨テ迷ワズ 魂ヨ郷里ニ帰レ 押川仙太郎」と記されている。
 この墓に葬られている薩軍三名は、
 上野清吉 二番大隊二小隊 鹿児島 山郷
 山上雄太郎 二番大隊二小隊 鹿児島宮之城
 山内治三郎 四番大隊二小隊 鹿児島国分

(山鹿稲荷神社)


山鹿稲荷神社


奉納 西南の役百年記念

 杉の稲荷神社の鳥居横には西南の役百年を記念した石碑が建てられている。

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