(正円寺)
鍋田方面における激戦が開始されると、小倉十四聯隊の後続部隊が続々集結し、正円寺前で野営を始めた。二月二十八日には、寺内乃木少佐のもとで作戦会議が開かれた。その中で正円寺に包帯所開設が決定し、六月四日の包帯所解散まで多くの傷病兵の看護に充てられた。その間、二度にわたり薩軍の襲撃を受けた。野村忍介の攻撃放火により居家、渡り廊下を全焼したが、本堂への類焼は免れた。本堂の柱には、官軍が放った銃弾の痕が残っている。
正円寺
史跡 西南之役官軍包帯所跡
鍋田方面における激戦が開始されると、小倉十四聯隊の後続部隊が続々集結し、正円寺前で野営を始めた。二月二十八日には、寺内乃木少佐のもとで作戦会議が開かれた。その中で正円寺に包帯所開設が決定し、六月四日の包帯所解散まで多くの傷病兵の看護に充てられた。その間、二度にわたり薩軍の襲撃を受けた。野村忍介の攻撃放火により居家、渡り廊下を全焼したが、本堂への類焼は免れた。本堂の柱には、官軍が放った銃弾の痕が残っている。

正円寺

史跡 西南之役官軍包帯所跡
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